「どんなこともできる」のメガネで見る

9月 7, 2023

Looking Through the “All Things Are Possible” Lens
April 6, 2021

引用文集

オーディオ所要時間: 9:06
オーディオ・ダウンロード(英語) (8.3MB)

わたしには、すべてが可能だ。人生の道で大きな困難にぶつかったときには、それを「非常に喜ばしいこと」と考えてほしい。あなたがこれらの「不可能」を跳ね除けるとき、わたしの「永遠の腕」は大きく開いて、いつでもあなたを受け止め、落ち着かせ、不可能と思われることを可能にするのを助ける準備ができている。わたしはあなたの「救いの神」なのだから、あなたは当惑するような問題のただ中でも喜ぶことができる。わたしはすでに、あなたを罪から救うという最大の奇跡を成し遂げている。よみがえった主であり王であるわたしを見つめ続けるなら、あなたの悲観主義はやがて勇気に変わるだろう。あなたは多くの面で地上に縛られた生き物だが、あなたの魂はわたしの永遠の勝利を共有している。

わたしは無限であり、「不可能」はわたしの得意とするところなので、わたしはそれを喜ぶ。それによって、わたしの栄光が鮮明に映し出されるからだ。それはまた、あなたがわたしの意図したとおりに、つまり喜び、信頼し、わたしにより頼んで生きるのを助ける。次に「不可能」な状況に直面したら、すぐに、希望に満ちた心でわたしに向き返りなさい。自分は完全に力不足であることを認め、わたしにすがり、わたしが無限に充足させることに頼りなさい。わたしには、「なんでもできないことはない」のだから。—イエス [1]

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神はご自分の望むことは何でもできますが、ご自分の聖なる意志に反することや、ご自分の目的に反することはされません。例えば、罪深い行為はできません。神は完全に聖なるお方であり、罪を犯すことは神の性質ではありません。…

私たちは聖書を通して、神が全能であり、神には匹敵するものは何もなく、何者にも追い越されることのない方であることを知ります。ヨシュア4:24は、神がヨルダン川に乾いた道を造り、民が安全に渡れるようにしたことについて述べています。「このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである」。それと同様に、エレミヤ32:26-27にはこうあります。「主の言葉がエレミヤに臨んだ、見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」。続けて、ヘブル1:3には、こう書かれています。「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる」。これらの聖句やその他の聖句は、神の御心の範囲内であれば、神にはすべてのことが可能であることを示しています。

ルカ1:36-37に登場する天使は、マリヤにこう言いました。「あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、なんでもできないことはありません」。… 神にとって何かが可能だからといって、実際にそれを行う義務があるわけではありません。私たちは、神が何を願い、何を約束されたかを知り、それによって神が私たちの人生において何を可能にしてくださるのかを知ることができるよう、聖句を熟知していなければなりません。

聖書全体を通して、私たちが天の父の力強い超自然的な御業のすべてを考えるとき、父は、一見不可能に見えることであっても、流れ行く時間に沿って人間の出来事を動かすことができる方であり、そのすべては父の栄光ある目的のためであることがわかります。—gotquestions.org より [2]

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できないと言う人は、神と出会うべきだ。神によれば、あらゆることが可能になる。—ディナ・ロール

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私はキリストを通してなんでもできる。キリストは私に力を与え、豊かにし、必要なものを備え、啓発し、活力を与え、再創造し、復活させ、促進し、強め、清め、後援し、私を備えてくださる! そう、私にはできる。私はなんでもできる!—イスラエルモア・アイヴォー

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今は不可能に思えることの多くが、明日には現実になる。—ウォルト・ディズニー

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歴史上の偉業はすべて、誰かがそれを実現させるまで、かつては不可能だと考えられていました。アップルの創業者、スティーブ・ジョブズの人生を考えてみましょう。彼はまだ存在しないものを創り出したいと考えていましたが、そのアイデアは実現不可能で奇想天外に聞こえました。彼はこんなことを言ったことがあります。「見たこともないのに、どうして人々は自分たちが何を望んでいるかわかるのか?」 役員たちは、パソコンには市場がなく、普通の人は欲しがらないし、必要としないだろうと言って、彼に反対しました。今では馬鹿げて聞こえますが、当時はそういう考え方だったのです。

このようなビジョンには、現状を受け入れることを拒み、その代わりに物事をより良くしようと努力する思考様式が必要です。よく「型破りな」考え方と言われるのも頷けます。私たちは往々にして、今までずっとやってきた方法や、他の皆がやっていることや、すでに作られたものの枠の中で考えることに自分自身を制限してしまうことがあります。

神が私たちに、一歩踏み出し、新しいことに挑戦するよう呼びかけるとき、私たちは信仰を持ち、どんな困難に直面しても、常に「信ずる者には、どんな事でもできる」ことを忘れずに、イエスと神の約束に目を留め続ける必要があります。[3]

神は、御言葉に記されている約束を、私たちが自分の益とし、励まし、慰めとするよう望んでおられます。[4] それによって私たちの信仰が成長し、イエスの力によって強められ、信者たちが、イエスが約束されたより偉大なことを行うことができるようになるためです。聖書には、神の良き目的を達成するために神が歴史に介入された時の出来事が数多く記されています。それらの出来事に比べれば、今日の私たちには不可能に思えることでも、神が私たちを召しておられることならば、もう少し手が届きそうに思えるかもしれません。

イギリスの歴史家、G・M・トレヴェリアンは簡潔にこう言いました。「決して人に、そんなことはできないと言ってはいけない。神は、それは不可能だと知らない人が、まさにそのことを実行するのを、何世紀も待っていたのかもしれないのだから。」[5]ニーナ・コール

2021年4月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ
音楽:マイケル・ドーリー


1 Sarah Young, Jesus Lives (Thomas Nelson, 2009).

2 https://www.gotquestions.org/all-things-are-possible.html.

3 マルコ 9:23.

4 ローマ 15:4.

5 参照: G. M. Trevelyan. [日本語版: ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン

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