ゆるすチャレンジ

2月 7, 2023

The Forgiveness Challenge
February 7, 2023

引用文集

オーディオ所要時間:12:24
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ゆるすことが難しいのは、疑いの余地もありません。しかしながら、これはクリスチャンとして生きるための基本でもあります。イエスはこの大切な徳について説かれただけでなく、それを実践されました。ルカ9章51-56節によると、エルサレムへ向かう途中だったイエスは、サマリヤ人の村で歓迎されませんでした。そのことに腹を立てた弟子たちは、天から火を呼び起こして村を焼き払ってはどうかと提案しました。

けれどもイエスは、ご自分は滅ぼすためでなく救うために地上に来られたと指摘されたのです。また、ヨハネ8章3-11節に登場する、姦淫の場でとらえられた女性のように、さもなくば罰されていたであろう人に、憐れみとゆるしを示されます。中でも、ご自分を十字架刑にしていた者に対する、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」という有名な祈りは、ゆるしの素晴らしい手本です。(ルカ23:34)

実を言うと、私はすぐに恨みを抱いてしまいます。けれども、誰かの言葉や行動に恨みを抱きそうになったら、私も、自分が怒らせてしまった人たちからゆるしてもらわなくてはならなかった時のことを思い出すようにすることを学びました。

子どもの頃、新しい農場を買うために自分たちの土地を売った農夫とその妻についての話を聞きました。彼らは、手入れがされておらず荒れてはいるものの、良い農場に案内されました。近所の人に「どうして誰も住んでいないのですか?」と尋ねると、この土地に住もうとする人に嫌がらせをする、グライムスという強情な男がいるからだと答えました。ある人は彼のことを、「悪魔の化身だ」とさえ言いました。

妻や近所の人が驚いたことに、農夫は、「この農場を買うことにしたよ。そして、グライムスって人が嫌がらせをしようものなら、コテンパンにしてやるよ」ときっぱり言い切ったのでした。「何をするつもりなんだ」と尋ねられると、彼は「そういった男に対処する方法があるのさ」と答えたのでした。

噂通り、農夫と妻が農場に引っ越してくるや否や、嫌がらせが始まりました。朝起きると、水道の水が出ませんでした。調べてみると、水道管が掘り起こされていました。別の日には、農夫が乳搾りに納屋に行くと、牛がいません。放牧地への入り口の柵が壊されていたのでした。

その後も物干し用のロープが切られていたり、飼っていた犬が毒を飲まされたりしました。誰が犯人かは、農夫も妻もわかっていましたが、腹を立てる代わりに、彼らは愛とゆるしからなるイエスのアドバイスを調べ、それを行動に移せるよう祈りました。彼らはパンを焼いて、その他の食料と一緒にグライムスの家の玄関に置きました。また、その男と直接会って、主について話をする機会を求めて祈りました。

ある日、農夫は、悪名高いグライムスが車で町に出かけるのを見かけました。車が泥にはまったので、農夫は手を貸してあげました。すると、グライムスは、農夫や妻に嫌がらせをすると、そのたびに親切にしてくるのでイライラすると告げました。「あんたらはオレをコテンパンにしているよ。もう耐えられない」とグライムスは言ったのでした。

農夫はグライムスに握手をし、家に招いて妻を紹介しました。妻は祈りの答えに大喜びし、すぐにお茶をすすめました。グライムスは、酔っ払いの運転手のせいで妻と赤ん坊の息子が死んだことで、神を呪っていたと告げました。彼は、神が自分のような「強情なクズ野郎」でも気にかけてくださるのかと尋ねました。農夫と妻はイエスのいやしとゆるしの力について話しました。グライムスは農夫と妻にしたすべての嫌がらせを謝罪し、イエスを心に受け入れたのでした。

また特殊勤務の看護師の話があります。彼女の父親はある人のせいで、何年も前に不正に投獄されたのですが、なんと、その人の看護をするために呼び出されたのです。最初、彼女はためらいますが、牧師であった父なら、彼女にゆるす心を持ってほしいのではないかと考えます。患者は気難しい人でしたが、看護師は優しく忍耐強い態度を示します。そして、神への信仰を彼に伝えるための機会を得るのです。彼女の愛と優しさが彼の心を勝ち取り、彼は病院を増築するための資金を出資し、その増築部分に父親の名前を付けたのでした。

この世界には、私よりはるかにひどく傷つけられた過去を持ち、それでもゆるすことを学んで過去の傷を克服した人がいると知って、私はこの徳を忠実に追い求めようという意欲がわきました。ゆるしは簡単に手に入る美徳ではないものの、一度取得し、実践するなら、これ以上に人を解放し、変えるものはありません。—スティーブ・ハーツ

ゆるしの勧め

「ゆるし」の意味について、このように書かれてあるのを読んだことがあります。「ゆるしとは、間違いなどなかったかのようにすること。」 神のゆるしの定義も、そのようなものだと思います。真っ白な雪に覆われた平原の真ん中に、血が溜まっているのを想像してください。ぞっとするような光景です。それに、とても目立ちます。白地に赤ですから。そこに雪が降ってきて、血が覆われます。まるで最初から血がなかったかのように。それが神のゆるしです。神は間違いが一度も起きなかったかのようにしてくださいます。

主は言われます。「さあ、われわれは互いに論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ1:18) この聖句があるイザヤ第1章で、神は、イスラエルの民がご自身に背を向けて、反抗し、ソドムとゴモラのようになってしまったことで、彼らを叱責しています。

けれども、イスラエルの民がいかにご自分を拒んだかを最初の15節で語った後、神は突然、あがないについて語られます。自らを清め、善を行うことを学び、公正を求めるなら、「あなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなる」と民に語られているのです。

私たち人間にとって、そのようなレベルのゆるしを与えるのは難しいことです。傷ついた心や怒り、不当に扱われたという気持ちを手に取って、それが「一度も起こらなかった」かのように扱うことは、非常に困難です。私自身、ゆるしを十分理解しているとは言えませんが、それについて聖書が教えていることがいくつかあります。

ゆるすことで神と正しい関係を保てる。皆さんはおそらく、「もしも、あなたがたが人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父もあなたがたをゆるして下さるであろう」(マタイ6:14)という節を聞いたことがあるのではないでしょうか。この聖句は、私たちは皆ゆるしを必要とする罪びとであるという基本に立ち返らせてくれます。(ローマ3:23) 神にとって、罪はすべて恐ろしくひどいものです。すべての罪は私たちを神から遠ざけます。そして神とつながりたいなら、神のゆるしが必要です。そのため、私たちは人々のあやまちをゆるす必要があるのです。

ゆるしは、あなたをいやす。大抵の場合、相手をゆるすことは、あなたを傷つけているものから解放する、いやしへの第一歩です。こんな言葉を聞いたことがありませんか。「恨みを抱くことは、自分に毒を盛りながら、相手が苦しむのを期待しているようなものだ。」 相手がどんな間違いをしたとしても、あるいは当然の報いをどんなに必要としていても、恨みは相手よりもあなたを傷つけています。

ゆるすのは難しい。でも人生をより良い方向に変えてくれる。ゆるしは実に難しいものです。最初は(私にとってはそうなのですが)、起きたことを過去のものとするのは、とても高いハードルになるでしょう。私の場合、その状況や人、未来や過去に対して様々な感情を抱いてしまいます。

その出来事や相手のことを思い出すたびに、決意の言葉を唱えることが必要になるかもしれません。「私はゆるすことにしました。相手や出来事に影響されたりしません。私は神の愛と神の計画を信じています」と言うのです。または、さらに一歩踏み出し、相手とポジティブな関係を築き始めることかもしれません。時間と努力を重ねることによって、恨みを抱いていた状況や人を離れて未来へと進み、まさに「ゆるす」ようになるでしょう。

ゆるしの美しいところ、それは、他の人の人生も良い方向に変えてくれるということです。私が好きな話の一つは、ビクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』に出てくる、ジャン・バルジャンについてのものです。ジャン・バルジャンは盗みで有罪になり、仮釈放中でした。優しいディーニュの司教は彼を暖かく迎え、食事と眠る場所を提供してあげました。家政婦が銀食器を片づけるよう提案したにもかかわらず、司教はそのままにしておきました。そして、ジャンは誘惑に屈してしまったのです。真夜中、彼は銀食器を盗んで逃げました。言うまでもなく怪しいと感じた憲兵に捕まり、彼が司教の元に来るまでそれほど長い時間はかかりませんでした。

それはジャンにとって絶体絶命のピンチでした。司教の言葉次第では、彼はガレー船に送り返され、そこで一生過ごすことになります。けれども、司教は非難の言葉を一切発しませんでした。こう言ったのです。「その銀食器は私があげました。それにジャン、銀の燭台を持っていくのを忘れていますよ。この銀食器と燭台を持っていき、新しい人生を始めなさい。」 そして、ジャンはそうしたのです。

ゆるしはあなたに新しい人生と自由をもたらします。そして、ゆるした相手の人生を変える力を持っているのです。—マラ・ホドラー

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