傾聴

1月 17, 2023

Generous Listening
January 17, 2023<

引用文集

オーディオ所要時間:12:24
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クリスチャンにとって、耳を傾けることに関する憲章的な一文を挙げるとすれば、ヤコブ 1:19かもしれません。「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」 原理上は簡単ですが、実践するのはほとんど不可能と言えます。私たちはしばしば、聞くに遅く、語るに早く、怒るに早いのです。…

良い聞き方とは、集中力を必要とするもので、両耳を使ってじっくりと、相手の話を最後まで聞くことです。話し手が、一番重要な事柄や心の奥底のところから話し始めることは稀です。私たちは、線路を越えようとする前に、思考という列車の最後部にある車掌車に至るまで、思考の脈絡全てを聞く必要があるのです。

良い聞き方とは、スマートフォンをマナーモードにし、相手の話を止めずに、注意深く、忍耐強く聞くことです。外見はくつろいでいますが、内面は活発です。私たちを襲い続ける注意散漫の元、私たちの意識にストリーミングし続けるあまり重要でない事柄、話の邪魔を長引かせる多くの可能性を遮断するには、エネルギーが必要です。語るに早いタイプの場合は、聞くのに早くなるためだけでなく、聞き続けるために、御霊の力による忍耐が必要なのです…。

お粗末な聞き方は拒絶します。良い聞き方は受け入れます。お粗末な聞き方は相手を萎縮させる一方で、良い聞き方は相手を重要な存在として歓迎します。ボンヘッファーはこう書いています。「神への愛が神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛は、相手に耳を傾けるのを学ぶことから始まります。」

良い聞き方は、キリストの思いと密接に関連しています(ピリピ 2:5)。それは、自分よりも他の人をすぐれた者とするへりくだった心から生まれるものです(ピリピ 2:3)。それは、自分のことだけでなく、他の人のことも考えます(ピリピ 2:4)。そして、寛容であり、情深いのです(1コリント 13:4)。…

時として、良い聞き方とは、ただ耳を傾けることであって、口を閉じているのが一番うまく行くのですが、通常、相手が必要としているちょうどその時に、恵みの言葉を伝えるための備えをすることです。ボンヘッファーもこのように書いています。「私たちは神の言葉を語ることができるように、神の耳で聞くべきである。」 —デービッド・マティス [1]

傾聴

ただ「聞く」のと「耳を傾ける」のには違いがあります。聴覚を働かせるというのは、普通、静かにしているということですが、誰かや何かに耳を傾けるときは、自分が静かになるだけでは足りません。心がそこにあるべきです。意識をそこに置いて、耳から入ることに集中しなければなりません。

聞く時は、よく耳を傾けなさい。傾聴する聞き手として、あなたは思考と心をそこに集中させます。傾聴する聞き手は、じっくり耳を傾けます。例えば、友達と深い話をするときには、話を遮ることなく、相手に話させることで、あなたが気にかけていることを示せます。自分の意見を言う機会を待って、ウズウズしているわけではありません。

傾聴することを決意なさい。もっと耳を傾け、話すのを減らしなさい。集中しなさい。意識をそこに置きなさい。聖書にはこうあります。「主はきて立ち、前のように、『サムエルよ、サムエルよ』と呼ばれたので、サムエルは言った、『しもべは聞きます。お話しください。』」(サムエル上 3:10)

「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」(ヤコブ 1:19) —ケイスリン

福音伝道における聞き方

福音伝道と言えば、通常、話すことを考えます。何と言っても、福音伝道とは、「福音を伝える」ことですから。そういうわけで、私たちは自ずと、また当然のこととして、良き知らせのメッセージを宣言し、伝え、擁護し、分け合うことに訓練を集中させます。

しかし、福音伝道において「聞く」というスキルが軽視されがちです。ある福音伝道の指導者が、「神は私たちに二つの耳と一つの口を与えられました。それがどういう意味か気づくべきです」と言っていたのを思い出します。もし、話す分の二倍聞くなら、私たちの言葉は人々の魂とより深くつながるかもしれません。

効果的な福音伝道は、耳を傾けることから始まります。…私たちが誰かに与えることのできる最大の贈り物の一つは、その瞬間に100%心をそこに置くことです。気を散らさせることなく、相手に全神経を傾けることは、真の愛、尊敬、尊厳、価値を伝えることになります。イエスご自身、優れた聞き手でした。ヨハネ4章に登場するサマリア人の女性との会話では、彼女はイエスの4倍も話しています。…

私たちは、じっくり耳を傾けずに、その人の話を聞いてしまうことがよくあります。事実を聞いても、その根底にある感情を聞き逃しているかもしれません。その結果、相手の問題を解決しようとしたり、自分自身や自分の経験ばかりに焦点を当てたり、上から目線になったり、短絡的な返答をすることで、思考や会話の中で罠に陥ってしまいます。そうではなく、多くの場合、人々は最初に共感してほしいと思っているのです。…

私たちの耳と口の両方を使って、イエス・キリストにおける良き知らせを伝えようではありませんか!—マーク・スローター

真摯に聞く

誰かの話に真摯に耳を傾けることは、イエスが愛しておられるその相手の人生に影響を与えるための機会となります。それは、思いやりと愛の生きた手本となる機会であり、聞く耳を貸すことをいとわないばかりか、相手が向き合っている困難が何であれ、それを導き通すための力と知恵を持っているということを示す機会なのです。私たちの創造主は、私たちを、理解してもらいたいという願いと、他の人を理解したいという願いの両方を持つよう創造されました。相手の話に耳を傾けずして、その人を理解することはできません。相手に関心を示すなら、その人は、誰かが気にかけてくれている、自分も誰かに価値あるものを与えることができる、自分を押しつぶしている問題の解決策を見いだせると感じられるようになるでしょう。

誠実に、批判することなく耳を傾けることは、自分自身に対する見方や、状況・将来に対する見方を変えることができます。話に耳を傾けて思いやりを表すことは、聞き手とその相手との信頼のきずなを生じさせます。それは、うつや恐れ、怒りを和らげることができます。

それは相手を殻の中から引き出し、話している内に、彼ら自身が人生のどこの面で前進できるのか、どこを変えられるのかに気づくでしょう。あなたも時々、自分の面している困難や問題をどうしても誰かに話したくなって、話している内に、相手はほとんど何も言っていないのに、物事がはっきりとして、道が開け、何か解決策が見えてきたということはありませんか。

希望が新たにされ、感情面でのいやし、立ち上がってもう一度やってみようという意欲、また、聞き手にとっては、その人があなたと神にとって大切であると気づくことは、耳を傾けることの成果であり、そこにはとてつもない益があります。

あなたには、相手の心の訴えを聞きたいという願いを示すことで、人生を変えたい人がいますか。それには、主の愛と思いやりで満たされている心さえあればいいのです。あなたの活動拠点は、どこであれ、あなたがいる場所です。あなたのクライアントは、すぐ近くにいる人です。あなたの仕事道具は、あなたの心、目、耳です。感じる心です。相手のうなだれた肩や意気消沈した目つき、心配そうな表情に気づく目です。そして、話を聞く耳なのです。

あなたは、耳を傾け、相手の心を理解する時間を取ることで、思いやりを示すことができます。それから、相手に準備ができたなら、すべての悩みや困難から彼らを助け出し、すべての必要を満たして下さるイエスに近づく方法を示してあげるのです。他の人の人生に時間をつぎ込むことは、その人の心と霊に変化をもたらします。そして、それは永遠に続くでしょう。そのすべては、耳を傾けるという単純なことから始まるのです。—マリア・フォンテーン

耳を傾けるという賜物

私たちはテクノロジーの時代に生きており、人が一度に一つのことだけをすることは滅多にありません。例えば、先日私は、メールをしながら電話できるものだと気づきました。どうりで、ある人たちとは、通話中に何度も同じことを繰り返さなければならないわけです。この世界は速く動いているので、猛スピードで走っている間、私たちはしがみつきたくなりますが、その代償は何でしょうか。…

レジにいるとき、時々レジ係が目を合わせないことに気づいたことがありますか。店に行った時に、レジの人の目をまっすぐ見て、お元気ですかと聞いてみてください。ほんの少しの時間でも、相手の心を引きつけることができます。あなたがその人と関わることで、相手は自分が大切な存在なんだと感じるようになります。時には、「今日は忙しいですか」といった簡単な質問をするだけでいいのです。人々は話したくてたまりません。問題は、誰も真剣に話を聞いていないことです。

時には、人との出会いは偶然の産物であり、取るに足らないことだと思って日々を過ごしてしまいがちです。けれども、詩篇 139:2-3にはこうあります。「あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。」 宇宙の神は、あなたの日々の営みをご存知です。あなたは計画を立てますが、神はそれがどうなるかをご存知です。私たちは計画を立てるときに、それを忘れてしまうことがあります。自分が支配しているという誤った感覚を抱き、その支配権を保持しようとしますが、実際には神が支配しておられるのです。

人々と出会う時、私たちはこのことを念頭に置きつつ一日を過ごす必要があります。神は人と関わるための機会を置いてくださるので、私たちはそれに気づくことを学ばなければなりません。耳を傾けることは大切です。私たちの目の前にいる人は、神が愛している人、神が重要に思っておられる人なのですから。神がご覧になるように人々を見るための目を与えてくださいとお願いしましょう。—アン・ピーターソン [2]

2023年1月アンカーに掲載  朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・ドーリー


1 https://www.desiringgod.org/articles/six-lessons-in-good-listening.

2 https://www.christianitytoday.com/biblestudies/articles/spiritualformation/learn-to-listen.html.

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