福音伝道の召しに応じる

11月 8, 2021

Answering the Call to Evangelism
November 8, 2021

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間:10:27
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ルカは、イエスがよみがえられてから昇天なさるまでの間に、40日に渡って弟子たちに姿を現し、神の国について語られたと告げています。イエスはまた、エルサレムから離れずに、父の約束を受けるまで、つまり聖霊の注ぎ入れがあるまで、そこで待つようにと命じられました。[1] そして、「聖霊があなたがたにくだった時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」とおっしゃいました。[2]

主を信じた人たちに対する最後の指示は、福音、すなわち良き知らせを、すべての場所ですべての人に伝え、イエスが彼らにお教えになったすべてを他の人にも教えなさい、ということでした。イエスは彼らに、「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」と言われました。[3] それは、当時、イエスを信じていた人たちに命じられたことですが、現代の私たちにあてたものでもあるのです。

すべてのクリスチャンは、福音を伝え、他の人たちにイエスを救い主として受け入れる機会を提供し、神との個人的な関係を築くための方法を学ぶ助けをするよう期待されています。私たちは救いという神の偉大なご計画の伝達者になるよう、イエスご自身により任命されています。人々は普通、私たちクリスチャンがその人に福音を分け合わない限り、信仰に至ることはありません。「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」[4]

人々は普通、誰かが救いについて伝えてくれたから、救いのための神のご計画について聞くのであって、それをすることになっている「誰か」とは、すでにイエスを知っている私たち全員なのです。主が与えられた任務に忠実になるつもりであれば、私たちは常日頃から意識的にそのための努力をしなければなりません。

私たちは、他の人たちに福音のメッセージを分け合うよう神が望んでおられることを知っていますが、私たちの一日は多くの責任で一杯なので、証しのための時間を取るのは難しく思えてしまいます。これを自分の生活の優先事項にすると決めなければなりません。福音を分け合うための機会を見つけるか、作るよう努力しなければならないのです。

多くの場合、証しをする時には、実際に「種を蒔く」というよりは、せいぜい、「土地を耕す」ところまで行けばいいでしょう。この最初の段階のことを、「福音伝道の予備段階」と呼ぶ事があります。ノーマン・ガイスラーの次の言葉がそれをよく説明しています。

福音伝道が福音の種を蒔くことであるなら、福音伝道の予備段階とは、人々の思いと心という土地を耕して、真理を喜んで聞くようになるのを助けることと言えるでしょう。[5] …現在私たちが生きているこの世界では、一定期間内にたくさんの霊の種を蒔かないと、人はキリストについて真剣に考えることがないのかもしれません。ただ、土地を耕してからでないと、種を蒔く機会もないかもしれません。私たちはすべての人をキリストの元にもたらすよう召されているのではなく、ただ、キリストをすべての人にもたらすよう召されているのです。[6]

初対面の時はたいてい、相手を知り、色々な話題の会話をする、福音伝道の予備段階の部類に属するでしょう。友人関係が育ち、信頼が築かれると、人々はイエスや救いに関するあなたの意見を、もっと進んで聞くようになります。

時には、証しのための機会が唐突に生じることもあるので、私たちはそういう可能性に対しても備えているべきですが、誰かに福音を分け合うには、意図的にそういったチャンスを作らなければならない場合がよくあるのです。深い会話ができる場所や時間に会うための計画を立て、気楽に感じられ、深い主題について気兼ねなく話せる状況を作り出すのです。そうすることで、霊的な事柄について話したり、会話を救いに関することに持って行ったりするためのきっかけができるかもしれません。

もちろん、メッセージを分け合うのに一つの決まった設定や方法というものはありません。世界は、様々な国籍や世界観、興味、好き嫌いや性格を持った、何十億という人たちで成り立っているからです。そして、福音は一人ひとりのためではあるものの、それを効果的に伝え、最善の反応を得るための方法は、それぞれ異なるでしょう。ですから、私たちは皆、福音を伝える命じられ、聖霊によってそのための力を授けられているものの、皆同じ方法を使うように求められているわけではありません。

私たちはそれぞれ異なる状況にいるので、誰にどう手を差し伸べるかは、状況や、神がどう導かれるかによって異なるでしょう。しかし、人類を愛し、「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを」望んでおられる神は、[7] あなたがどのような状況にいるのであれ、あなたを使って他の人たちに手を差し伸べて下さるでしょう。もしあなたが、神にそうしていただくなら。

福音伝道は、他の人たちへの神のメッセンジャーとなるために、神にあなたを使っていただくという固い決意から始まります。福音を宣べ伝えよというイエスの呼びかけに従うべく、意識して証しのために時間を充てるのは犠牲ともなりえますが、証しによる永遠の成果は、それだけの価値が十二分にあります。夕食に人を招いたり、コーヒーショップで仕事仲間と会ったり、クリスチャンではない友達との人間関係を育んだり、近所の人に会いに行ったり、誰かにトラクトやその他の文書をあげたりなどのことは、そのための計画をして、福音を伝えるための機会を意図的に探し求めた場合にのみ、実現します。

私たちは福音を伝えるよう召されているので、状況がどうであれ、神の御霊が、その状況でうまく行く方法に私たちを導いて下さいます。常に他の人と長い会話をすることはできないかもしれませんが、それでも種を蒔くことはできます。誰かに文書をあげることができます。なにか祈ってほしいことがないか、尋ねることができます。親切にし、イエスはあなたを愛していると告げることができます。たいして深い証しができる立場にはなかったとしても、神の愛と気遣いを示すことで、人の心という土地を耕すことはできます。証しするのを助けて下さるように、またあなたのいる状況ではどのような手段がうまく行くか示して下さるように、祈り求めるなら、主はアイディアや機会を与えて下さるでしょう。

最終的には、人に救いをもたらすのは福音のメッセージ、つまり神の愛とイエスの犠牲なのですが、そのメッセージに人がどれだけ進んで耳を傾けようとするかは、あなたにかかっていることがよくあります。ドワイト・L・ムーディーは、「すべての聖書は靴皮で綴じられているべきである」と言いました。あなたは、靴皮で綴じられた福音書です。あなたが、聖霊との生きた接点であり、天の力の媒体となる人間なのです。[8] 人々があなたから感じる親切、優しさ、思いやり、気づかいが助けとなって、彼らはあなたの言うことに喜んで耳を傾けるようになるでしょう。私たちが神の御霊の光とぬくもりを発散させると、人々は神の愛を感じます。

私たちを通して、イエスは「キリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである」のです。[9] 人々がそのかおりと出会うには、まずあなたと出会わなければなりません。そして彼らがいったんあなたを知り、あなたの愛を見て感じ、あなたになら話したり、質問したり、心の内を打ち明けられるとわかったなら、あなたは相手の質問に答えることで、土地を耕せるようになるのです。そして、神の愛と真理の種を彼らの心に蒔くことができるという希望を持つことができます。

人々があなたに惹かれるのは、彼らは気付いていなくとも、あなたが神の御霊と光と愛に満たされているからだということがよくあります。けれども、どこかの時点で、私たちを違ったものとしているのが何なのかを口にしない限り、彼らは決してわからないだろうし、彼らが受け入れることのできる救いの贈り物や新たに変えられた人生について聞く機会を逃すかもしれません。クリスチャンとして、私たちは他の人たちに神の言葉と真理を分け合うために、自分たちの人生や心や時間にそのための空きを作るよう求められています。

他の人たちに福音を伝えることは、キリストがすべてのクリスチャンに与えられた召しです。私たちの周りには、神が彼らを愛しておられることや、御子を信じるすべての人が新しく生まれ、救われ、神との関係に入れるよう、神が御子を送られたという素晴らしい知らせをまだ聞いていない人たちが大勢います。彼らには、誰かつながってくれる人、神の救いと真理の無料の贈り物を受け取る方法を説明してくれる人、どうすれば霊的に変わることができるのかを教えてくれる人、霊的成長を導いてくれる人が必要です。

私たちは皆忙しい生活を送っていますが、私たちのキリスト教の全般的背景は、この素晴らしい贈り物をまだもらっていない人に福音を伝えることです。父がイエスをつかわされたように、イエスも私たちをつかわされます。私たちは、召され、つかわされ、福音を宣べ伝えるよう命じられています。いつ、どこで、どうやって、誰に信仰を分かち合うことができるのかを示してくださるよう、神に求めましょう。自分がどのような状況にいようと、あなたは神が出会わせて下さる人たちにイエスを分け合うという任務を持って、あなたのいる市、近所、職場、家族につかわされた弟子であることを思い起こして下さい。

2014年6月初版2021年11月に改訂・再版。
朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ


1 使徒 1:4.

2 使徒 1:8.

3 ヨハネ 20:21.

4 ローマ 10:14.

5 1コリント 3:6.

6 Norman and David Geisler, Conversational Evangelism (Eugene, OR: Harvest House Publishers, 2009), 22–23.

7 2ペテロ 3:9.

8 K. Hemphill, “Preaching and Evangelism,” M. Duduit, ed., Handbook of Contemporary Preaching (Nashville, TN: Broadman Press, 1992), 525.

9 2コリント 2:14–15.

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