困難の中にあって主の安らぎを見いだす

9月 28, 2020

Finding His Comfort in Trying Times
September 28, 2020

イエスからの言葉

オーディオ所要時間:10:41
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「あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。」—詩篇 32:7

あなたの周りにある痛みや苦しみについて見たり、読み聞きしたりすると、なぜわたしはこの世に問題が起こるのを許しているのだろうと思いそうになるだろう。わたしは気にかけているだろうか。そうだ、気にかけている。苦しむ人々、特に愛する家族や生活手段、健康や幸福を失った人々、非人道的行為の犠牲となった人々に、わたしは心を痛めている。今日、世界で起こっているこれらのことを目にすると、わたしは深く悲しむ。

「では、なぜ、あなたは悪に終止符を打たないのですか」と疑問に思うのは当然だろう。わたしは悪を忌み嫌ってはいるが、人は意図的に自由意志を持って創られたのであり、その自由意志を行使して、正か誤、善か悪、自己か他者を選択することが許されるべきだ。最終的にわたしが再臨してすべてが正される時までは。わたしが愛と正義の両方であるゆえに、最後には万事が正されると信じ、信頼するには信仰が必要だ。

ヘブル11章に記されているような、あなたより先に逝ったわたしの偉人たちを思えば、彼らがいかにわたしのために生き、わたしの名によって偉大なことを成し遂げてきたかに気づくだろう。彼らは地上にいる間、わたしが約束したものすべてを受け取ることはできなかったが、信仰が失われることはなく、それゆえに永遠の報いを受けることができた。[1]

あなたは、果たしてわたしはあなたを助けるのだろうかと思うような危機や問題に直面しているのか。聖書に登場する、あなたを雲のように取り囲む偉大な証人たちを思い浮かべ、彼らならどのような助言をするだろうかと考えてみなさい。彼らの手本をあなたの霊の燃料として補充し、彼らの不屈の精神によって心を安らかにしなさい。わたしが彼らを最後までやり遂げさせたように、わたしは必ずあなたを最後まで見届ける。

あなたのための見守り

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」—ピリピ 4:6–7

この世には数え切れないほど多くの悩みがある。どこを向いても、問題やトラブルが目につく。このような混乱のさなかにあって、わたしに助けを求めなさい。わたしの名前「イエス」とささやきなさい。そうすればわたしがそこにいるという気づきが再び生き生きとよみがえるだろう。

あなたの意識のスクリーンに「わたし」が現れ、あなたの世界観が明るくなると、視界は劇的に変化する。わたしの慰めはあなたの悩める心をなだめ、魂を喜ばせることができる。

もしこの世界が完璧だったなら、わたしから慰めを得るという喜びを経験することはなかっただろう。問題に落胆するのではなく、それを、わたしの臨在、わたしの平安、わたしの愛を求めるためのリマインダーとして利用しなさい。あなたはこれらの目に見えない現実を、いつでも、どこでも利用することができる。そしてそれは誰も奪うことのできない喜びを与えてくれる。だから、重荷を負うて疲れているときにはわたしのもとに来なさい。魂に安らぎを与えよう。

わたしは、わたしを愛するすべての人を見守っている。特に困難な日々にあっては、この見守りの約束があなたを慰めるだろう。あなたがわたしを愛しているゆえに、この約束はあなたのためにある。当然、わたしを愛すれば保護を得られるというものではない。しかし、わたしに属する者、わたしの見守りの下にある者は、わたしを愛する者なのだ。わたしが最初にあなたを愛したゆえにあなたがわたしを愛する、これはわたしがしたことへの反応なのだ。

極度の危険と破壊に遭うと、勇敢な大人でさえも親に助けを求めて叫ぶことがある。これは幼少期の記憶から流れ出る本能的な反応だ。人は恐怖を感じると、より大きく、より強い人に守られたいと思うものだ。安心しなさい。羊飼いが群れを見守るように、わたしはいつもあなたを見守っているから。

時には、孤独で無防備だと感じることもあるかもしれない。そんなときは、わたしがあなたと共にいると信頼し、わたしとコミュニケーションをとることから始めなさい。わたしに対して心置きなく自分の気持ちを表現することで、あなたはわたしがすぐそばで愛情深く見守っていることに気づくだろう。[2]

あなたへの約束

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」—ヨハネ 16:33

神を愛する者たち、すなわち、わが目的に沿って召された者たちには、万事が共に働いて益となることを、あなたはわが言葉から知っている。わたしは、わたしを愛する子供たちへの保障条項として、その約束を与えた。

この世界には、問題、患難、不正、苦痛があるが、最も困難な状況や破壊的な状況であっても、わたしには、それをあなたの益とする力がある。あなたがどんな混乱や苦難に陥ったとしても、神の子として、わたしは万事を共に働かせてあなたの益にすることができると信頼していいのだ。

いかなる時も信頼しなさい

「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」—詩篇 62:8

わたしのあなたへの愛はとても大きい。わたしの腕はいつもあなたに向かって差し伸べられている。たとえ、人生のすべてのもの、すべての人が、あなたを裏切ったとしても、わたしはいつだってあなたのためにここにいる。このような軽い患難は束の間であり、その後、わたしの永遠の栄光がそれらをはるかに超え、わが愛があなたのうちに完成されるであろう。[3] あなたの顔は太陽のように輝き、わが愛はすべてを包み込む。

人生で何が起ころうと、どんな困難に直面しようと、あなたはわが子であり、わたしはいつもあなたと共にいることを忘れないでほしい。わたしは決してあなたを離れず、あなたを見捨てない。他の人があなたを失望させても、わたしははあなたを失望させない。

わたしにあって、そしてあなたへのわが愛と気遣いにあって、あなたが慰められるように願っている。人生においてわたしがあなたに与えるすべての祝福を覚え、その一つ一つについてわたしに感謝しなさい。わたしががいかに多くの方法であなたを慰め、あなたとともにいたかを知るだろう。

この危機と困窮の時にあって、あなたをわたしの心に引き寄せたい。わたしがこの時期を切り抜けさせてあげると信じなさい。わたしは途中で止めて、あなたを道端に置き去りにしたりしない。わが愛が最後まであなたを抱えて運ぶだろう。

あなたが弱く感じるときには、わたしがあなたのために強くなろう。あなたが混乱しているときには、平安を与えよう。恐れているときには、あなたの心を慰めよう。疑っているときには、信仰を与えよう。緊張しているときには安らぎを与えよう。途方に暮れているときには道を見つける手助けをしよう。

自分は役に立たないと感じるときには、わたしはあなたに目的を与えよう。苦悩しているときには、喜びを与えよう。自信をなくしているときには、あなたを安心させてあげよう。混乱し、悶々としているときには、思いをすっきりさせよう。すべてが暗く嵐のように見えるとき、わたしはあなたの輝く光となろう。

昼も夜も、いつでも、どんなときでも、毎時間、毎分、毎瞬、わたしはあなたとともにいる。

2020年9月アンカーに掲載 朗読:サイモン・ピーターソン
音楽:マイケル・ドーリー


1 ヘブル 11章

2 Sarah Young, Jesus Today (Thomas Nelson, 2012).

3 2コリント 4:17.

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