1月 12, 2021
失敗を恐れることで、私たちはどれだけの良いものを見逃しているのでしょうか。さらに重要なことには、失敗を恐れて試しにやってみることさえしないために、神が私たちに用意された計画を見逃すこともあるのではないでしょうか。
あなたは自分が何か優れたことをやっているとは思えないので、自分自身に対して、ある方向へ一歩踏み出せない言い訳をしようとしているのかもしれません。今の自分にとって、それをしなくても大したことではないと思えるので、避けても構わないと考えているのかもしれません。しかし、思い出してください。歴史上何か優れたことを成し遂げた人は皆、失敗するリスクを負って、偉大なことを成し遂げられるかどうか分からないままスタートしたのです。
ヨシュアとイスラエルの民がエリコの町を攻めに行った話を見てください。[1] イスラエルの人々は強い軍隊を持っていて、他の多くの都市を倒してきました。しかし、神は戦うのではなく、町の周りを歩き回るようにと言われたのです。3日目か4日目には、彼らが何を考えていたかは想像がつくでしょう。「もう何日も歩いているが、何も起こらない。エリコの軍隊はわたしたちを見て笑っている。馬鹿にされているに違いない。」
しかし、彼らは途中で投げ出したでしょうか。いいえ! 彼らが恐れに立ち向かったからこそ、城壁は崩れ、都市は征服されたのです。
ゴリアテに立ち向かおうとするダビデを見なさい。[2] ダビデは確かに最もあり得ない対戦相手だったし、兵士ですらありませんでした。武器の訓練もなく、戦闘技術もなく、巨人と戦ったという経歴もありません。その上、ただの痩せっぽちのティーンエイジャーだったのです。
しかし、ダビデはそのせいでやめたのでしょうか。いいえ。彼が戦おうと言ったことで、人々が笑ったとき、彼はあきらめましたか。ゴリアテに嘲笑われたとき、彼は立ち止まったでしょうか。いいえ、違います。彼は自分がその仕事にふさわしいと考え、何事にも邪魔されることなく、自分の宿命を貫いたのです。彼は足を踏み出し、恐れに立ち向かい、石投げでその巨人を倒しました。
アメリカのベストセラー作家、ジョン・グリシャムを見てみましょう。処女作『評決のとき』は、当初は大失敗でした。16人の出版エージェントと12社の出版社から断られ、最終的に、ある小さな出版社が5,000部だけ印刷し、グリシャムはそのうちの1,000部を自分で購入して販売しました。そして、故郷の図書館をはじめ、全米の図書館を巡るブックツアーを行いました。そして、その本をすべて売り切るまでに、数カ月を要したのです。彼は、売れそうもない本を売ろうとすることに不安を覚えたでしょうか。「もう小説を書くのは諦めたほうがいい」と思ったことはないのでしょうか。しかし、この間、グリシャムは書くことをあきらめず、2作目の『法律事務所』(ザ・ファーム)に取り組み、この作品はたちまち成功を収めたのです。最初は失敗したかのように見えたかもしれませんが、結局、彼の決意は報われました。[3]
愚かに見える危険を冒すときに、神が導く方向に忍耐強く進むには、信仰が必要です。失敗しても、挑戦し続けるには、神の計画への信仰が必要です。どうかしていると思われること、非現実的と思われることに挑戦するには信仰が必要です。しかし、そのような信仰こそ、神が喜ばれる信仰であり、神が報いを約束された信仰なのです。[4]
あなたは失敗を恐れて何かを避けてきたことがありますか。失敗すると愚かに思われるというリスクを取りたくなくて、人生の難関から逃げてはいませんか。もしそうなら、立ち止まってください。振り返ってみなさい。その難関に向き合い、あえてそれに挑み、神があなたの心に置かれた召命を追い求め、星に向かって手を伸ばすのです。—マリー・ストーリー [5]
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私たちの人生には、恐怖が私たちの心をぎゅっと掴んで、正真正銘の勇気から生気をすべて搾り取ってしまうような時があります。過去の失敗は炭火に燃料をくべます。恐れがゆっくりと燃えていて、暖かい炭が赤く脈打っているところに。すると突然、炎が燃えさかって、わたしたちはその熱を思い知らされます。眠っていると思っていた灰色の炭に再び命が宿り、過去が頭をもたげてきて、わたしたちを再び動けなくするのです。
恐れは、あなたと、あなたの前に広がる美しい未来を破壊しようとします。恐れは、ただただ、あなたを傷つけ、不安なままにしておこうと望んでいます。恐れは、神があなたに与えた贈り物を捻じ曲げて、弱く生気のないものに見えるようにしてしまうのです。
そこで、あなたを麻痺させる恐れに対して、以下の二択のうちどちらかを行うことができます。
恐れと不安に支配されることに甘んじて、アイデア共有、問題解決、健全なコミュニティーから遠ざかることもできます。
あるいは、恐れを支配することもできます。あなたは恐れからではなく、愛によって創られたことを思い出し、神から授かった賜物の炎を燃やすことができるのです。恐れによって動けなくなるかもしれないという可能性を笑い、他の人が勝ち得て余りある者になれるよう助けることができます。[6]
怖いと思ったら恐れに向き合い、それに乗じてもっと努力し、もっと深く掘り下げ、全力を出して戦おうという気持ちになりましょう。
もし恐れているのなら、その燃料を使ってあなたの創造力を充電し、今までしたことのないことで成功を収めるのです。恐れをどこかに隠すのではなく、何について恐れているのかを細かく調べ、その恐れを良い方向に利用する方法を見つけましょう。[7]
何としても、恐れに負けてはいけません。
「こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」[8]—ベン・リード [9]
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わたしは、あなたがどれだけうまくやっているかに関係なく、あなたを愛している。うまくできるかどうか、不安で悩んでいるときには、いつでもその気持ちをわたしのもとに携えてきなさい。
あなたの思いはすでに平安を奪う者の正体を何度も暴いたが、この悪党は、あなたが油断した隙にあなたの心を引っ掻き回し続ける。あなたは敗北感に悩み、時にはなぜそう感じているのかさえもわからないことがある。わたしは揺るぎない愛の力を授けることで、あなたがこの束縛から解放されるのを助けたい。
敗北感を携えてわたしのところに来なさい。それをわたしの臨在の光の中に携え、そこで共に吟味しよう。嘘と欺瞞に基づくこれらの感情は、暗闇の中ではびこり、あなたはそれに気づくことがあまりない。しかし、それはわたしの輝かしい癒やしの光の中ではしおれ、縮んでしまう。結局、うまくできるかどうかという不安は、わたしに太刀打ちできっこない。わたしはサタンに勝利したのと同じ方法で、この悪党を打ち負かしたのだ。つまり、十字架上で完結したわたしのわざによって。
敗北感が重くのしかかるときには、わたしを見上げなさい。わたしの愛の光があなたを照らし、闇を払い、あなたをますますわたしに近づける。わたしに近づけば近づくほど、承認を表すわたしのほほえみがよく見えるようになる。この無条件の愛を浴びることで、うまくできるかどうかという不安から脱する力を得る。たとえまた古い習慣に陥ってしまっても、いつでもわたしに立ち返ることができる。わたしの揺るぎない愛は、いつだってあなたを回復させるためにそこにある。あなたは永遠にわたしのものなのだから。—イエス [10]
2021年1月アンカーに掲載 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
音楽:マイケル・ドーリー
1 ヨシュア 6:1–27.
2 サムエル上 17.
3 “John Grisham marks 20th anniversary of ‘A Time to Kill,’” by Dennis Moore, USA Today, June 22, 2009.
4 ヘブル 11:6.
6 2コリント 1:3–11; ローマ 8:35–39.
7 創世記 50:20.
8 2テモテ 1:6–7.
9 http://www.benreed.net/palpable-conquerable-fear/.
10 Sarah Young, Jesus Lives (Thomas Nelson, 2009).
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