心配と戦う

11月 24, 2021

Combating Worry
November 24, 2021

スティーブ・ハーツ

主は最近、神の言葉を信じ瞑想することで効果的に心配と戦うことについて、多くを教えてくださっています。この主題については、まだ成長と進歩を続けていかなくてはいけませんが、これまですでに多くを学んできたし、記事を書けるくらいの進歩は遂げられたかなと思います。ここに記すことが、あなたにとって励ましとなり、役に立ちますように。

まず第一に、神の言葉について瞑想することよりも良い心配対策はありません。これは、いつも理屈の上では分かっていたことですが、最近やっと、より一貫して実践するようになりました。その結果は素晴らしいもので、特に、心配でたまらなくなりそうな状況にあっても、心には以前より大きな平安があります。

心配することは、神が私に対して抱いておられる計画の一部ではないし、どんな形でも私の助けにはならないということが、よく分かりました。だからこそ、イエスはこう言われたのです。「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。」[1] 心配し出すと、あれこれ思い煩ってしまいますが、神の言葉には「何事も思い煩ってはならない」とあります。[2]

恐れや心配のもととなるものは数多くありますが、この記事では愛する人たちに関する心配について書きたいと思います。ただ、ここでお話しする私の教訓は、他の状況にも当てはめられるのだと学んでいるところです。

一つ、これは間違った考え方だと気づいたものがあります。それは、誰かのために心配でたまらなくなるのは、その人への愛情のしるしであって、心配しないのなら愛していないという考え方です。敵なる悪魔はこういった考え方を利用して、私たちを心配の罠に陥らせようとすることが分かってきました。確かに、愛する人を思いやり、できる限りのことをしてあげるべきですが、心配したってしょうがありません。それよりも、彼らのために神に祈り、神の言葉の上に立っているべきです。神の言葉は、どんな状況についても、信仰と平安を与えます。心配とは基本的に、何かについて気にかけている内に、その気持ちが制御できなくなった状態だと気づきました。私は、詩篇138篇8節にある、この言葉を思い出し、信じる必要があります。「主は、私が気にかけていることをすべて成し遂げてくださる。」[3]

心配は何の解決にもならないということに、私は気づきました。それよりも、神の言葉に意識を向け、神の平安をいただいた方が、神の声をよりよく聞くことができるし、問題解決において私の果たすべき役割についての神の考えを知ることができます。たとえそれが、祈りで支援することだけであっても。

心配と戦う上で大切なもう一つのことは、私の思いを神の言葉のとりこにすることです。パウロは、第2コリント10章4–5節で、こう語っています。「わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ・・。」

私の思いをとりこにしてキリストに服従させるとは、心配によって私の思いを乗っ取られるのを拒むということです。「~だったらどうしよう」と仮定するのも、状況がひどくなるかもしれないと想像するのも拒むことであり、神の言葉と約束について深く考えるのを選ぶことです。

昨年、私はある事態に直面したのですが、それは、上記のことについて実践に移す機会となりました。それはCOVID-19パンデミックの只中のことで、ガールフレンドが風邪らしきものにかかったのです。のどが痛く、微熱もあり、数日ベッドでおとなしくしていないといけない状態だったので、仕事の関係でPCR検査を受けなければなりませんでした。

私は話を聞いたとたんに、心配でたまらなくなりました。検査の結果が陽性だったらどうしよう、ウィルスは彼女にどれほど深刻な影響を与えるのだろう、などなど。でも、自分が何をしているのかすぐに気づいて、神の言葉を瞑想することの大切さとその力について学んできたことを思い出しました。そして、それを実践する絶好のチャンスとして、その事態を見るようにしたのです。また、状況がどうあれ、私は彼女にとって強力なサポートでいなければならないし、心配してばかりだと、そうなれないことが分かっていました。

というわけで、私は彼女のために、また彼女と共にたくさん祈り、他の何人もの人に祈りの応援を求めつつ、キリストにおける権威を用いて、自分の思いの中にどんな心配も入り込む余地を許さず、神の言葉に意識を集中させていました。そうすることで、私は平安で満たされ、この戦いを勝利者の目で見ると決意できました。検査の数日後、結果は陰性だったとの知らせが彼女に届きました。主をほめたたえます。

私たちが心配し、恐れながら生きることを、神は望んでおられません。私たちは、毎日例外なく、神を信頼し、絶対に確実な神の言葉を信じていることができます。その時によって、それがちゃんとできる日もそうでない日もありますが、主は私がより安定してそうできるよう助けてくださっています。そして、皆さんのことも助けてくださるでしょう。


1 マタイ 6:27.〈新改訳2017〉

2 ピリピ 4:6.

3 英語欽定訳より。[訳注:本来の意味は「私に関わること」ですが、著者がしたように、「私が気にかけていること」と読むこともできます。]

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