12月 7, 2021
兄弟に微笑みかけ
手を差し伸べる度に
それがクリスマス
自分は黙っていて
相手に耳を傾ける度に
それがクリスマス
虐げられた人たちを社会の片隅に
追いやるような原則を拒む度に
それがクリスマス
金銭的また霊的に貧しいことで絶望する人と
寄り添って立ち直りを願う度に
それがクリスマス
自分の限界や弱点を
謙虚な心で認める度に
それがクリスマス
他の人たちに与えられるよう
主にもう一度生まれていただく度に
それがクリスマス
*
クリスマスに、キリストは愛によって与えられるすべてのものを必要とする小さく無力な幼子のようになって、私たちのもとに来られます。私たちはキリストを受け入れる備えができているでしょうか。イエスが誕生される前、両親はただ泊まれるだけの場所を探したけれど、見つかりませんでした。もしマリアとヨセフがイエスのために家を探しておられるとしたら、あなたの家や家庭を選ぶでしょうか。
今日の世界には数多くの問題がありますが、その多くは家庭から始まると私は考えています。家庭に平和がないことで、世界は苦しんでいるのです。
何千何万もの崩壊した家庭があります。私たちは家庭を思いやりと赦しの中心地にして、平和をもたらさなければいけません。
あなたの家や家族を、愛と平和と喜びと一致に包まれたもう一つのナザレとしてください。なぜなら、愛は家庭から始まるからです。そこから始め、あなたの家庭を愛の中心地とするのです。妻、夫、子ども、祖父母、また誰であれ、あなたと関係のある人にとって、あなたが永遠の幸せの希望とならなければいけません。
家とは、母親のいるところです。私はある時、路上で一人の子どもを見つけました。私たちの「子どもの家」(養護施設)へ連れて行き、風呂に入らせ、清潔な服も与えたのですが、どこかへ行ってしまいました。後で別の人がその子を見つけたのですが、また逃げられました。そしてもう一度見つけた時、私はシスターたちにこう言いました。「あの子の後をついて行き、どこへ行ったのか見てきてください。」
その子が3度目に逃げ出した時、シスターたちが後をついて行ってみると、木の下に母親がいて、石を積み上げた所に陶器の器を載せ、どこかで見つけた食べ物を調理していました。シスターが子どもに「どうして私たちの家(「子どもの家」)から逃げ出したの」と尋ねると、その子はこう答えました。「僕の家はここだよ。だって、お母さんがここにいるんだから。」
それが家であり家庭です。母親が調理してくれたので、食べ物は申し分のないものでした。子どもを望み、ハグする母親であり、そんな母親がこの子にはいたのです。そして、夫婦間でもそれは同じです。…
クリスマスに、イエス様を迎え入れることができるよう祈りましょう。冷たい飼い葉桶のような心にではなく、愛と思いやりに満ちた心に、他の人への愛で温かい心に。
*
待降節(アドベント)は自然界の春季のようで、すべてが新たにされ、生き生きとし、健やかです。待降節は私たちを生き返らせ、健やかにし、キリストがどのような形で来られるのであれ、お迎えできるようにしてくれます。クリスマスに、キリストは母親を必要とし、母親の愛が与えられるすべてのものを必要とする小さく無力な幼子として来られます。キリストの御母は謙虚であったため、仕えることができました。神に満たしていただきたいと本当に思うなら、謙虚な心で、私たちの内にある利己心をすべて捨てなければいけません。
クリスマスはマザー・テレサの霊性の中心にありました。クリスマスは宇宙の物語に意味を与える出来事です。それは、これまで地上に住んだ、そしてこれから住むことになる無数の人間と同じような人間となって、キリストが誕生されたことを思い起こさせてくれます。それは人類を「あがなう」ため、つまり、時の初めにエデンの園でアダムの不従順の結果もたらされたダメージを回復するために、愛によってなされた選択です。
マザー・テレサは、ベツレヘムの家畜部屋で生まれた、か弱く無防備な幼子の内に、全人類の状態を見ていたし、それと同じように、すべての人間の内に幼子イエスを見ていました。特に最貧困層の人たちの内にイエスを見ており、それは、最も苦しみ、何も持たない人の方が、ベツレヘムで生まれた幼子に最も近いからです。また、捨てられた子どもの内にイエスを見ていましたが、それは、そういった罪のない子どもたちが、幼子イエスの置かれた状況をさらにはっきりと表しているからです。
私はマザー・テレサと幾度もクリスマスを過ごしました。特に覚えているのは、インドのコルカタでのことです。マザー・テレサは、私を12月24日の夕食に招待して、彼女や他の修道女とともにクリスマス・イブを祝えるようにしてくれました。神の愛の宣教者会で食べる普段どおりの質素な食事でしたが、喜びと愛と友愛に富んだ食事でした。とても心温かい雰囲気だったので、食べるのを忘れそうになったほどです。
そうこうしている内に、ドアをノックする音が聞こえました。修道女の一人が玄関に出て、布でくるまれたカゴを持って戻ってきました。「女の人がこれを手渡して、走り去っていきました。」 マザー・テレサにカゴを渡しながら、こう付け加えました。「きっと、クリスマスなので食料品を寄付してくださったのだと思います。」
マザー・テレサは布を取り除けると、目を輝かせ、美しい笑顔で「イエス様が来てくださったわ」と言いました。他の修道女たちが駆け寄ってカゴの中を見ると、男の子が眠っていました。生後数日の捨て子で、連れて来たのはおそらく母親です。面倒を見られないので、修道女たちに預けたのでしょう。コルカタではよくあることです。修道女たちは眠っている赤ん坊を見て心を動かされ、喜びの声を上げてカゴをつかんだので、その声で赤ん坊は目を覚まし、泣き始めました。マザー・テレサはその子を抱き上げ、微笑んでいましたが、同時に目に涙を浮かべていました。「ほら、これで私たちのクリスマスは完璧なものになりましたよ。幼子イエスが私たちのもとに来てくださったのだから。この素晴らしい贈り物を神に感謝しなければいけませんね。」 強烈な感情が、彼女から発せられていました。それはその子を守ろうとする力であり、彼女が持つ大きな愛だったのです。—レンツォ・アッレーグリ(ニリカ司教の言葉として紹介されたもの) [1]
2021年12月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ
音楽:『Christmas Moments』アルバムより許可を得て使用
1 https://www.messengersaintanthony.com/content/mother-teresas-christmas
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