クリスマスの美しさ

12月 16, 2021

The Beauty of Christmas
December 16, 2021

マリア・フォンテーン

本記事では、クリスマス関連の話をいくつかしたいと思います。それは、イエスの愛を他の人に伝えるため、自分自身を使っていただくこと、私たちがクリスマスにする小さなことにも大きな価値のあること、そして、聖書に書かれている美しいクリスマスの物語です。

心の贈り物

地上でイエスがされたことはすべて、それをするために御子が自ら地上に来なければならなかったほど極めて大切なことだったはずです。けれども、イエスが実際にされた、そのような「極めて大切な」ことをよく見てみると、全部が全部、多くの人が言う「目を見張るような」ことだったわけではありません。主がなさったことの多くは、人を霊的に変えることであり、それはたとえ注目されたとしても、ごくわずかでした。そのほとんど、例えば、ニコデモへの証し、[1] 不道徳な行いをした女性の罪のゆるし、[2] 井戸のそばにいた女性との出会い[3] といったものは、目に見える形で突出したものではありませんでした。

主が群衆を教え癒やされたという、目に見える形で行われたことにも、それなりの時と場所はあります。たとえば、5千人に食べ物を与えられた時がそうです。[4] でも、主はそれと共に、一人または少人数の人との、心と心、霊と霊のつながりを持つことにも、時間と関心をつぎ込まれました。

聖書には、イエスが人の霊において行われた、人生を変えるような奇跡がいくつも記録されていますが、それには長い時間や巨額の資金、膨大な努力は要していません。主はただ、その機会が生じた時に、いるべき場所にいて、真理や愛や憐れみやゆるしを忠実に与えたのであり、それが、傷ついた心や混乱した思い、道を見失った霊を引き上げたのでした。そうやって、希望と光と真理を与える無条件の愛を贈られたのです。

主が示されるどのような方法によってであれ、助けを必要とする人に主の世話と支えを与えることで、主の模範に従うことができれば、今年のクリスマスはあらゆる面で主が望まれるものになるでしょう。主の模範に従えば従うほど、私たち自身の人生が霊的に豊かなものになります。他の人に主の愛を示すため、できることを行うなら、主は私たち自身の人生におけるご計画を、もっとよく理解できるよう助けてくださるでしょう。

イエスが誕生日にあなたから受け取ることを最も望んでいる贈り物とは、あなたが主の愛を他の人と分かち合うため、主に自分を使っていただくことです。それは、あなたが今何をしていたとしても、与えることのできる贈り物です。また、あなたにしか与えることのできない贈り物でもあります。なぜなら、それは、喜んでしようとする、あなたの心の贈り物だからです。

クリスマスの傑作となる

イエスに従う者たちが、イエスの意図されたとおりに生きている時、その人生は美しいものとなります。クリスチャンであり、神との関係を持っていることは、毎日の体験に浸透し、決断に溶け込んでいるべきものであり、自分自身や他の人に対する見方、またこの人生に対する見方に影響を与えるべきものです。

「クリスマスとは・・行動となって現れた愛です。あなたは誰かを愛する時、神が私たちに与えてくださるのと同じように、その人に与えます。神がこれまでに与えてくださった最高の贈り物とは、父なる神が実際にどのようなお方であるかがわかるよう、人の姿で私たちのもとに送られた神の御子でした。私たちが愛するたび、与えるたびに、それがクリスマスなのです。」—デイル・エバンス・ロジャース

クリスチャンの最も素晴らしい栄光は、美しい絵画のように、数えきれない些細な事柄で成り立っていることが多いのです。絵画の中にあるそれぞれの色彩の塊をすぐそばで見ても、あまり意味がなさそうに思えますが、全体を見れば息をのむほど美しい絵画になります。それと同様に、クリスチャンが生きていく上で、他の人たちと分け合った数えきれないほどの神の愛の現れは、その時にはそれ自体、あまり意味がないように思えるかもしれません。しかし、神は、ご自身に栄光を帰する人生全体に照らしてそれをご覧になり、その美しさに酔いしれるのです。

私たちの人生が神を中心としたものになるにつれ、神は私たちの瞳にきらめきを、足取りに軽やかさを、私たちの弱いところに強さを、苦悩や損失や苦しみの時に恵みを増し加えてくださいます。

私たちが主に依存する度合いが深まるにつれ、主は悲しみを克服する御霊の喜びを増し、特別な霊の視力を研ぎすませてくださいます。そしてそれが、欠点に目をやるのではなく、私たち自身や周りの人たちの内に宿る神の御霊の美に気づき、感謝できるよう助けてくれるのです。私たちがイエスとの歩みを強めようと決意し、イエスとの深い霊的つながりを願い求めれば求めるほど、イエスはますます私たちを通して御霊を現すことがおできになります。パウロは次のように言って、初期のクリスチャンのある者たちを賞賛しました。

「私は証ししますが、彼らは力に応じて、いや、力以上に、献げてくれました。しかも、自ら進んでそうしたのです。エルサレムのクリスチャンに献金を送る機会にあずからせてほしいと、幾度も私たちにたずねこんできました。その上、私たちが希望した以上に献げてくれました。彼らが何よりもまずしたいのは、神が彼らに望まれているとおり、自分自身を主に献げ、また私たちにも献げることだからです。」—2コリント8:3–5 [5]

あなたの価値観や目標や決断において、信仰という要素が欠かせないものであるなら、宇宙を創造するよう神をかき立てたのと同じ愛が、あなたの心をかき立て、周りの人の必要が見えるようにしてくれることでしょう。それはあなたに行動を起こさせます。神はご自身の愛を、小さな花の美しさの中に示すと同時に、私たちのために生きて死ぬためにこの世に来られるという、測り知れない偉大さの内にも示しておられるので、私たちの人生を通して神の御霊と真理をこの世界に示す方法にも、多様性があることが分かるのです。

「私たちが真の愛を知っているのは、イエスが私たちのために命を捨ててくださったからです。ですから、私たちも兄弟姉妹のために、自分の命を捨てるべきです。子どもたちよ。口先だけで愛し合うのではなく、行動によって真理を示そうではありませんか。その行動は、私たちが真理に属していることを示すのであり、それによって、私たちは神の御前に立つ際に心安んじていられるのです。」—1ヨハネ 3:16, 18–19 [6]

神は私たちの人生を、私たちが神にお任せする分だけ、御霊で満たしたいと願われます。私たちは神の御手のわざです。神がその愛と恵みという色彩を混ぜ合わせ、意図されたとおりの美しい姿を創り出すにお任せするなら、私たちは大勢の人々の心に語りかける、神の傑作となります。ですから、一番初めのあのクリスマスの日に贈られた、人生における主の臨在というかけがえのない贈り物を熱い心で受け入れましょう。そして、言葉と行いのすべてにおいて、人の心をつかんで離さない神の愛の美を育むなら、人々は私たちを通して神に引き寄せられることでしょう。

最も美しい物語

「星のきらめく静かな夜遅く、あたかもキラキラ輝くクリスマス・プレゼントの包みを破って開けるかのように、天使たちは夜空をめくりました。そして、決壊したダムから水が流れ出すように、天から光と喜びがほとばしり出て、天使たちは赤ん坊のイエスがお生まれになったという知らせを大声で告げ、歌い始めました。この世界に救い主が来られたのです。天使たちはそれを『良き知らせ』と呼びました。全くその通りです。」—ラリー・リビー

それは確かに良き知らせです。この物語は、聖書で読むことができます。イエスの誕生を簡潔に説明したものがアクティベーテッド誌に掲載されているので、ここに紹介したいと思います。こうして福音書それぞれにあるイエスの誕生物語を読み直していると、いずれも全貌を記してはいないけれど、合わさると素晴らしい物語が出来上がるものだと、改めて思いました。

マタイの福音書は、ヨセフが窮地に陥ったところから始まっています。妻となる女性が、子どもを身ごもっていると天使から聞かされたけれど、自分はその子の父親ではなかったのです。[7] さらにマタイは、東方に住む博士とか賢者とか呼ばれる人たちが、星に導かれて、王としてお生まれになった方に贈り物を届けに来たことを記しています。[8] 博士たちとヨセフが、嫉妬したヘロデ王の悪意に満ちた計画について、夢の中で警告を受けたことや、ヨセフとマリアと幼子イエスがエジプトへ逃れたことも書かれています。[9]

ルカの福音書には、マタイが記していない多くの詳細が含まれています。たとえば、大天使ガブリエルがマリアを訪れ、彼女が救世主を生むようになると告げたことや、[10] それを聞いた時のマリアの最初の反応と、[11] その後の反応などです。後になってからの反応を記した箇所は、マリアの賛歌やマニフィカトとして知られており、その中で彼女は神をたたえ、また、これから生むことになる息子に託された神の計画を賞賛しています。[12]

ルカの福音書ではさらに、ヨセフとマリアがナザレ出身であったにも関わらず、どうしてイエスはベツレヘムで生まれたかについて説明されています。また、王の王であり、世の救い主である方が、家畜部屋で生まれた経緯や、[13] 天使たちが王の誕生を近隣の羊飼いに告げた様子、[14] そして、その後羊飼いたちがいかにこの良き知らせを遠くまで広めたかが説明されています。[15]

ヨハネの福音書には詳細が記されていませんが、事の核心を突く、聖書の中で最もパワフルな聖句の一つが書かれています。「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」[16]クリス・ハント

2021年12月アンカーに掲載 朗読:キャロル・アンドリュース
音楽:『Christmas Moments』アルバムより許可を得て使用


1 参照:ヨハネ 3:1–21.

2 参照:ルカ 7:37–38, 48.

3 参照:ヨハネ 4:1–29.

4 参照:マタイ 14:21.

5 英語ニュー・リビング訳聖書より

6 英語ニュー・リビング訳聖書より

7 マタイ 1:18–25.

8 マタイ 2:1–11.

9 マタイ 2:12–15.

10 ルカ 1:26–37.

11 ルカ 1:38.

12 ルカ 1:46–55.

13 ルカ 2:1–7.

14 ルカ 2:8–14.

15 ルカ 2:15–18.

16 ヨハネ 1:14.

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