勇気を出しなさい、わたしはすでに世に勝っている

5月 12, 2021

Take Heart, I Have Overcome
the World
May 12, 2021

ジョージ・ソシク

2020年は何とも波乱に満ちた年でした。コロナウイルスが世界中に大混乱を引き起こし、2021年の初頭になっても事態は収束していません。多くの人々が亡くなり、今もなお止まることを知りません。ウイルス(および新たな変異株)は依然として拡散しており、海外への渡航は今もなお厳しく制限されています。 そして言うまでもなく、経済にも大きな悪影響があり、多くの雇用が失われ、大企業も中小企業も廃業するところがあり、多くの人々が不安や鬱にさいなまれています。

その上、多くの国において世俗主義が根付いて蔓延するにつれ、政治的・文化的状況が悪化しています。キリスト教の原理を土台に築かれた西欧諸国は、キリスト教の基盤を放棄したも同然です。無神論的で進歩的な思想が強力な足場を得て、大衆文化を支配しています。グローバル化が現実のものとなりました。キャンセル・カルチャーは欧米諸国でクリスチャンを公の場から徐々に追いやっており、聖書の原則に反する法律が少しずつ導入され、場合によってはそのような思想の出版や説教を禁止しています。

このようなことを考えているうちに、正直なところ、私は幾分気落ちしてしまい、将来への恐れを抱くようになりました。文化的景観や「政治的正しさ」の間違った側に着地するのではないかという予感に圧倒され、妻と私、そして幼い子どもたちに、一体どのような影響が及ぶのかと考えたのです。このような中で、希望を持って前向きに生きていくのは大変なことです。

そんな戦いの最中のある日、ふとこの聖句を思い出しました。「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」[1] 続けてすぐに思い出したのが、「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」[2] いつものように、私が何かについて気落ちし始めると、聖霊が必要な聖句を思い起こさせて私の霊を引き上げ、その状況にぴったり合った聖書的助言への鍵としてくれます。主に感謝します。

イエスは、裏切られて、ついには十字架にかけられることになる前の晩、最後の晩餐の後にされた、弟子たちへの美しい説教の中で、ヨハネ16章33節の言葉を語られました。私は愛弟子ヨハネが、イエスが十字架にかけられる前に弟子たちと過ごした最後の時間に、彼の福音書の5つの章を割いていることに、しばしば驚嘆したものです。[3]

その夜、イエスは、地上の人生で最も苦しく過酷な時に向き合っておられ、イエスに従う者たちも同様に、彼らの魂が厳しく試される時を迎えようとしていることをご存知でした。そのため、イエスは大いなる愛と憐れみをもって、一晩中彼らと共に過ごし、最後の教えと励ましの言葉を与えて、これから起こることに備えるよう助けられたのです。

13章の最初の節には、当時のイエスの心の動きが記されています。「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」

そして、ご自分に従う者たちへの愛に満ちた心で、まずご自分が謙虚になってしもべの仕事をし、彼らの足を洗い、彼らも同じように愛をもって互いに仕え合うように促されます。[4]

その後すぐに、誰かがご自分を裏切ろうとしていることを警告し、それが誰なのかさえも示して、弟子たちの心を備えられました。[5] そして、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」[6] という新しい戒めを与えられたのです。このようなクリスチャンの愛が、キリスト教の真理を世界に証明するものであるという点に加えて、イエスは、弟子たちがこれからの危険の多い日々に耐えるには、このような犠牲的な兄弟愛とその結果としての団結が必要であることをご存知だったに違いありません。

まもなく裏切りの行為があることを知らされて、弟子たちはかなり動揺したことでしょう。14章の最初の箇所で、イエスは心を騒がせないようにと促し、弟子たちを待つ美しい永遠の家を準備するために、ご自分が一足先に天国に行かれること、[7] 彼らを捨てて孤児にはしないこと、[8] そして、悩みの中にあっても平安を与えてくださるという、良い知らせを伝えています。[9]

15章は、ぶどうの木であるご自分にとどまることで、強く実りある者であり続けるようにとの呼びかけと、そうすれば、間もなく彼らが祈るであろう必死の祈りに答えてくださるとの固い約束から始まります。[10] そして、互いに愛し合うよう再び呼びかけ、[11] この世から憎まれても気落ちしないようにと励まされました。それは、彼らが師である主に倣っていることのしるしだからです。[12]

16章でイエスは、これらのことを聞いた弟子たちの心が憂いで満たされていることに気づいておられます。そして、主が聖霊によって彼らを導き続けてくださるので、羊飼いのいない状態にはならないと励まされます。[13] その後、彼らの憂いが喜びに変わり、主が世に打ち勝って平和を与えてくださるので、勇気を出すべきだと言って、弟子たちを慰めておられます。[14] 主が受けようとしている裏切りと死、そして敵からの迫害によって、平和と喜びと楽しみがもたらされるというのです。それは、彼らがそういったことに対して当然抱く恐れに反するものだったに違いありません。しかし、弟子たちは主を信じたに違いないし、私たちもそうすべきです。

最後に17章では、イエスはご自分に従う人たちのために祈ります。それも、これから起こる困難から完全に逃れられるようにではなく、父がそれを守ってくださるようにとの祈りです。[15] これはとても美しい祈りであり、このように話を終えることは、弟子たちにとって大きな慰めになったに違いありません。

その時の弟子たちの立場になって想像してみると、このように予告され、励まされたことが、どれほど大きな意味を持っていたかがよくわかります。弟子たちは、主の愛と気遣いを深く感じ、これから先に起こる悪い知らせにもかかわらず、きっと力づけられたはずです。

現在の出来事がこれからどう展開していくのか、未来がどうなるのか、はっきりとはわかりませんが、もし私たちが生きている時代が悪化し続けるのであれば、この聖句は私にとって大きな慰めとなるでしょう。それらの中には、未来に何が起ころうと、私がそれに立ち向かうのに必要な助言、指導、慰めが含まれています。イエスとその御霊の臨在を知って慰められるだけでなく、喜び、楽しくしていることもできます。私の霊が悪に打ち負かされるのではなく、むしろ、周りの人々に証しをすることで、悪化する世界情勢を、善で悪に打ち勝つための機会と捉えることができます。彼らもまた現状に絶望しているかもしれませんが、彼らを慰めてくれるイエスを持っていないのです。

聖霊がこの聖句を思い出させてくださったことをとても嬉しく思います。[16] 私は時に不信心で不真実ですが、主は常に真実です。[17] 「これらのことをあかしするかたが仰せになる、『しかり、わたしはすぐに来る。 アァメン、主イエスよ、きたりませ。」[18]


1 ヨハネ 16:33.

2 ローマ 12:21.

3 ヨハネ 13–17章.

4 ヨハネ 13:4–17.

5 ヨハネ 13:21–26.

6 ヨハネ 13:34–35.

7 ヨハネ 14:1–4.

8 ヨハネ 14:18.

9 ヨハネ 14:27.

10 ヨハネ 15:1–10.

11 ヨハネ 15:17.

12 ヨハネ 15:18–25.

13 ヨハネ 16:6–13.

14 ヨハネ 16:20–22, 33.

15 ヨハネ 17:15.

16 ヨハネ 14:26.

17 2テモテ 2:13.

18 黙示録 22:20.

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