砂漠が、元気を回復させる泉に変わる

8月 31, 2021

From the Desert to Refreshing Springs
August 31, 2021

引用文集

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バカの谷は、聖書で一度だけ、詩篇84篇に出てきます。「バカ」という言葉は、ほとんどの翻訳聖書では、次のように「涙、嘆き」と訳されています。「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」[1]

ヘブル語の「バカ」は、「涙を流す、嘆く」を意味する「ベケー」と関係しています。バカとは、バルサム樹、クワの木、アスペン樹のように、粘性のある樹液をしたたらせて「涙を流す」木を指しています。…

この詩篇の作者は、バカの谷を象徴的に用いて、人生における困難で悲しい道を表現しています。この谷の名前は、その一帯が乾燥して荒れた土地であることを示しています。涙を流す木は、そのような土地で育つことが多いからです。人々が礼拝のためにエルサレムへ旅する際、この疲労困憊させる「涙」の場所を通るのですが、その旅は最終的に価値のあるものとなります。

「その力があなたにあり、
その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
彼らはバカの谷を通っても、
そこを泉のある所とします。
また前の雨は池をもってそこをおおいます。
彼らは力から力に進み、
シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。」[2]

同様に、この人生において悲しみを味わう人は(そんな経験のない人などいるでしょうか)、神を信じることによって力を見出すことができます。私たちは、本来あるべき場所に主を置くことによって、バカの谷がまったく異なる場所になるのを目にすることでしょう。苦しい時期を乗り切ろうとする忠実なクリスチャンの旅路は、一歩一歩、「力から力に」進みつつ遠出をするようなものです。

詩篇84篇では、バカの谷をもちだして、主の道をたどってシオンに巡礼する者たちなら誰もが熱望を抱いており、恵みにあずかるようになることが描かれています。この信者たちは、主を礼拝したいという強い熱望を抱いているのです。「万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。」[3] 彼らは神ご自身により力づけられて巡礼の旅を始め、心をしっかりと保ち続けます。[4] そして、揺るぎない信仰を持って逆境に立ち向かい続けることで、霊的にますます強くなっていくのです。[5] この寄留者たちは、その力を神に見出すことで、悲惨な出来事や悲しみ、また厳しい試練を耐え抜くことができ、そして最後に、恵みを見出します。彼らのバカの谷は祝福の泉に変わり、元気を回復させる水を与えるのです。—GotQuestions.comより [6]

*

誰もが、いつかは涙と嘆きの谷を通ります。ダビデはそれを「バカの谷」と呼びました。バカとは涙や悲嘆という意味であり、それはつまり涙の谷ということなのです。[7]

肝心なのは、そこを通り抜けることであり、その時、私たちは聖書が言うように、「そこを泉のある所とする」ことができます。その谷は、元気を回復させる泉の湧く場所ともなりうるのです。

その前にある二つの節で、ダビデは、神を賛美する人は神の内に力を見いだすことを述べています。彼らの心の中には、涙の谷を通ってそこを泉のあるところとした人たちの歩んだ大路があります。[8] 私たちは、神を賛美するのは、気分が良くて幸せで満足している時にできることだと見なしがちですが、このような「信仰の人」に共通する一つのこととは、彼らが皆、苦悩と苦難のバカの谷を通りながらも神を賛美し続けたことです。ただ何となく賛美の歌を歌っていたのではなく、苦悩の内にあって、そうしていたのです。

彼らは激しい苦しみや絶望に耐えていたので、主の恵みを求めて呼ばわること以外には何もできない、ということもありました。しかしそれでさえ、賛美です。神の主権を認め、主の恵みと救出のための力を信じていることを示していたからです。

第6節は、原典ではさらに美しい奥義を告げてくれます。ストロングのコンコルダンスによると、翻訳者らが「また前の雨は池をもってそこをおおいます」と訳している箇所を原典のヘブル語で見れば、「師(偉大なる師である神のこと)はそこを祝福でおおいます」とも訳せるというのです。なんと美しい解釈でしょう。そして、なんとぴったりなのでしょう。

ですから、涙と苦しみと困難の谷を通っていても、なお神を賛美する時、私たちはその荒れ果てた苦しみの谷を、さわやかな泉とすることができるし、私たちの師である主は、そこを祝福でおおってくださるのです。

さわやかな泉となる水は、陰鬱で悲しくもなりえた人生の旅路を喜びに変え、私たちの嘆きを踊りに変え、慰めと美をもたらすことができます。[9] そして、その谷を通り過ぎた後になって、私たちはそれらのものが人生を豊かにし、より良くしてくれたと気づいて、感謝の気持ちで振り返ることができるのです。私たちの偉大な師は、霊的成長と、主についてのより深い理解、そして、私たちが主ご自身の心にますます似てくるという貴重な祝福で、私たちをおおわれるでしょう。—マリア・フォンテーン

*

バカの谷は、苦しみと悲しみと困難の場所です。乾燥してほこりっぽい、砂漠のような場所なのです。詩篇84篇は、私たちがバカのような場所を通る時、困難や悲しみ、その他どんな苦難であれ、それを祝福に変えていただけるのだと告げています。

私の知り合いに、かなりの苦しみを味わってきた人がいます。この男性は私たちの長年の友人なのですが、私たちと共に主の御仕事で旅をして以来、かなりの苦しみを味わってきました。しかし、自分の痛みを口にすることはなく、そのバカの谷を大きな祝福に変え、泉を掘ってきたのです。

そのように、クリスチャン人生は、バカのような乾燥してほこりっぽい場所にも打ち勝ち、その谷全体を美しい場所に変えることができます。また、何があなたの人生にその試練をもたらしたのかを見つけるために、心の奥深くまで探り、その点について神が何か特別なことを語りかけようとしておられるかどうかを見ることもできます。よく掘り下げて、探りましょう。そこに井戸を掘るのです。そして、神がその素晴らしい約束の内に尊い真実を明らかにしてくださるまで、御言葉を掘り下げて探りましょう。

ある人がかつて、小川のそばでは、井戸から飲もうという気はあまりしないと言っていました。私はヨセミテ公園で小川のそばに座っていたことがありますが、飲み水ということで考えるなら、しぶきを上げながら流れる清らかできれいな小川のそばでは、井戸の水はあまりさわやかには見えないし、飲もうという気にもならないことでしょう。しかし、乾燥したほこりっぽい砂漠に井戸があるなら、その水はしっかりと元気を回復させてくれるし、飲みたくもなるものです。

クリスチャンは、悲しみや苦悩の中にある時、神の約束を固く信じて忠実でいることができるのであり、それによってまわりの人たちは彼らの信仰に気付くことでしょう。そして、その困難で乾燥し、ほこりっぽい場所で、彼らは井戸や泉を掘り、そこを元気回復の場所に変えるのです。こういう状況で、つまり、苦難の場所で勝利者となる時に、クリスチャンの信仰は魅力的なものとなります。

今日、悲しみに打ちひしがれた女性が私を訪ねてきたのですが、その人はただ自分自身とその悲しみだけを見ていました。主に目を留めていないのです。ハガルが天に目を向けたその時、神から水のある場所を示され、そこに井戸を見つけて、自分と息子の元気が回復したという話をあなたも覚えていることでしょう。[10]

悲しみの中に腰を落ち着けてしまう人たちがいます。いわば受難を楽しみ、嘆きの谷に留まるわけです。私たちは、その谷に留まっているべきでも、ただ問題に耐えているべきでもありません。ただ耐えるのは勝利ではありません。勝利とは、神をほめたたえ、勝どきの声を上げ、約束の正しさを証明することなのですから、神の言葉を固く信じて、敗北から勝利を勝ち取りましょう。そうやって状況を乗り越えた時には、神の手から与えられた生ける水が湧き上がっているのを見ることでしょう。神の言葉には、雨が池をもってその場所を覆い、あなたは力から力に進むとあります。

天の父よ、苦難の場所を通っている者たちを助け、敗北を勝利に変えてくださるよう祈ります。なぜなら、彼らは自分自身や状況に目を留めることをせず、信仰の導き手であり、完成者である私たちの主イエス・キリストを見つめているのですから。[11] イエスの御名によって祈ります、アーメン。—バージニア・ブラント・バーグ

2021年8月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス
音楽:ジョン・リッスン


1 詩篇 84:5–6.〈新改訳第3版〉

2 詩篇 84:5–7.

3 詩篇 84:1–2.

4 詩篇 84:5.

5 詩篇 84:7.

6 https://www.gotquestions.org/Valley-of-Baca.html.

7 詩篇 84:6.〈日本語訳聖書では、「バカの谷」(口語訳)、「嘆きの谷」(共同訳系)、「涙の谷」(新改訳)などと訳されています。〉

8 詩篇 84:4–5.

9 詩篇 30:11.

10 創世 21:18–19.

11 ヘブル 12:2.

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