すべてが行き詰まった時

4月 15, 2020

When All Stands Still
April 15, 2020

アイリス・リチャード

パンデミックが私たちの生活に入り込み、周りのあらゆるものが不確かで混沌とした状態に変わる時に、恐怖や不安や懸念に陥ってしまうのは当然のことです。私たちの誰もが何かしら影響を受けていますが、中にはより深刻な状況に陥り、孤立や孤独や経済的困難や病気、また死にすら至っている人々もいます。このような状況に対処することは困難であり、失意や絶望や将来への不安などのネガティブな感情に、暗いマントのように覆われてしまうことがあります。

数々の疑問が頭をよぎります。「いつこの不安から解放されるのだろう? 明日はどんな日になるのだろう? どうやって生き伸びればいい?」 ニュースを見れば、感染症への不安や恐怖が募り、大切な人を失うと、無力感が増し加わります。失業の危機も現実味を帯びてきており、私たちは混乱の中で打ちのめされそうです。人間ですから、COVID-19がもたらす影響を目の当たりにして、心が痛み、信念が揺らぐのも無理はありません。

私たちは、身の回りで起きている憂慮すべき状況に対して何ができるのかや、前向きでい続けようとするだけでは十分ではない時に、どのように対応すべきなのかを自問しています。

祈り続ける

「祈りはクリスチャンの最強の武器です。」—ビリー・グラハム

私たちクリスチャンは、上を見上げます。祈りによって神を求め、神の主権に信頼します。聖書は、祈りが私たちの最も強力な方策の一つであると教えています。言葉にできない時、あるいは毎日同じ祈りで神の扉を叩いているように感じる時には、神の聖霊に助けを求めましょう。聖書によると、聖霊は私たちのためにとりなして下さる方であり、私たちに代わって神に呼び求めて下さいます。[1]

神の言葉に没頭する

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえにわれらは恐れない。」「主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る。」—詩篇 46:1–2, 箴言 18:10

災害や病気の蔓延や死亡者についてのニュースを聞いて、自分のことのように胸を痛める時、あなたは神の言葉の中に「避け所」を見つけることができます。

希望という贈り物

「神の忠実さに信頼することで、恐れを消し去ることができます。」—レスリー・コー

神は御心の時に約束を果たされるばかりか、私たちをそれまで持ちこたえさせて下さいます。これは、神がその御計画を成就し、敵から解放し、涙をぬぐい、恥辱を取り除いて下さることを待っていた時に、神の民が抱いていた希望と同じです。[2] そして神は、その民が待っている間、彼らに逃れ場や庇護を与えて下さいました。試練の中で彼らを慰め、耐え抜く力を与え、神が共におられることを確信させて下さいました。私たちには、生涯にわたって主に守られ、慰められ、力を与えられ、保護されるという、この約束があります。

心を守りなさい

「悲嘆は、情緒的にも身体的にも人を殺すことがあります。神の強さとみ力によってそれを和らげなければ、私たちは自身の弱さによって衰弱してしまうのです。」—ビリー・グラハム

特に危機的な状況下では、常に最新の情報を得ることが重要ではあるものの、情報過多になったり、テレビやソーシャルメディアで悲惨な事件の生々しい映像が繰り返し流されたりすると、そこから悪影響を受けてしまう場合もあります。これらの情報は、身体的、感情的、精神的に影響を与えるような永続的な印象を残す可能性があると認識することが重要です。

他の人を気遣う

「互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。」—ガラテヤ 6:2

家族を亡くした人や、個人的な危機状況に陥っている人がいれば、何かを手伝うことで、その人を支えることができます。電話をかけたり、メールを書いたり、買い物ができない人のために買い物を手伝ったり、話を聞いてあげたり、といったことです。祝福になれる方法を探してみましょう。微笑み、優しい言葉をかけ、ちょっとした親切を施し、何らかの形で絆を示すなら、孤独な心を癒すことができます。

持っているものを分け合う

「すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。」—2 コリント 8:14

誰もが物資の購入や必需品の備蓄に追われている時、スーパーの棚に最後に残った必需品を自分が取るのを控えて、次の人に取らせてあげることができます。他の人と物を分かち合うことは、危機的な状況下ですべきことのリストの中では最後のものかもしれませんが、利他的に与えることや分かち合うことによって、何らかの形で祝福を受けることがよくあります。あの有名な「フランシスコの祈り」にあるように。

主よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい。
憎しみのあるところに愛を蒔かせて下さい。
傷のあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
暗闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びを蒔かせて下さい。

ああ、聖なる主よ、自分が慰められるよりも、
私に人を慰めさせて下さい。
理解されるよりも、相手を理解させて下さい。
愛されるよりも、愛させて下さい。
与えることによって与えられ、
ゆるすことによってゆるされ、
死ぬことによって永遠の命に生まれるからです。
アーメン。


1 ローマ 8:26.

2 イザヤ 25:1.

Copyright © 2024 The Family International