私たちの地球を気遣い、世話する

1月 19, 2021

Caring for Our Planet
January 19, 2021

引用文集

オーディオ所要時間: 12:05
オーディオ・ダウンロード(英語) (11MB)

聖書には、神が天と地を造り終えられた時、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」[1] と書かれています。それから神は人に、ご自分の被造物を世話し、その資源を管理する仕事をお任せになりました。その所有者としてではなく、管理者としてです。「主なる神は人をエデンの園に置き、そこを手入れさせ、管理させた。」[2]

世界には今も美しく、正常に機能している部分も沢山ありますが、中にはひどく衰えている部分もあります。自然の力も被害をもたらしてきましたが、私たち人間にもその責任の一端はあります。地球の生態系の一部は消滅しつつあり、数々の動植物の種が絶滅しかかっており、多くの資源が枯渇しつつあります。

人が神によって、被造物の世話という仕事を任されて以来、私たちは共にその責任を負い、その結果を刈り取っています。空気や水質の汚染によって、何百万という人々の生活の質が低下してしまいました。地球温暖化は沿岸地域や低平地に住む人々にとって、深刻な脅威となっています。森林伐採は新たな砂漠を生み出しています。海や湖や河川のある地域の多くが、生物のいないデッドゾーンとなりつつあります。

私たちの共同の住まいである地球が危険にさらされており、私たち一人一人が、世話をするようにと神から任された地球を「手入れし、管理する」ために、自分の分を果たすという責任を負っています。

神の助けを借りつつ協力し合って働くなら、もっと成果が上がります。私たちは、自分たちの世界を世話するという、神に任された仕事を忠実に行うことにおいて、すべき分を果たすことができるのです。—キース・フィリップス

環境を気遣うべき理由

聖書には、私たちが環境を気遣うべき主な理由が三つ挙げられています。第一に、神ご自身が被造物を「はなはだ良い」と言われたからです。物質的な世界は神様にとって大切です。神はそれを常に維持しておられます。神がおられなければ、この世界はばらばらで混沌とした状態になっていることでしょう。主は万物よりも先にあり、万物は主にあって成り立っています。[3] ですから、その世話を怠って環境を損なってしまうなら、私たちは神にとって非常に貴重な何かを損壊していることになるのです。

第二に、私たちが環境を気遣うべきそれ以上に重要な理由とは、神が創世記1:28と2:15で、人にそうするよう明確に命じられたからです。神は私たちに、生きている被造物と生命を持たない被造物の両方を世話するよう言われました。私たちは良き管理者として、被造物を自分たちの利己的な目的のために乱用するのではなく、むしろそれらを統べ治めることになっているのです。地球に適宜な世話を施すなら、それは多くの実を結び、神に栄光を与えることにおいて、本来意図されていた通りの役割を果たせるようになります。これは、私たちが神を正しく礼拝することの一部です。

三番目の理由は、旧約聖書と新約聖書の両方において心待ちにされているように、いつの日か宇宙は「新しい天と新しい地」として新たにされ、造り変えられるからです。[4] それによって、神の被造物に関する本来のご計画や目的の通りに、生命が満ちあふれるようになるでしょう。そこは人々の真のふるさとであり、神がその民と共に住まわれ、彼らも被造物全体も神を礼拝し、神に栄光を帰す場所です。

ですから私たちが今どのように環境を扱うかは、将来新たな被造物をどのように扱うかの、言わば試演であり予行演習であるべきです。将来被造物が新たにされるという確かな希望があるからといって、現在の被造物の世話を怠っていいというわけではありません。むしろその逆です。自分たちの時代に自分たちのいる場所で、神に喜ばれることをするために、この物質界に本来備わっている良いものや実り豊かさを守り育て、活用すべきもっともな動機があるのです。ルターも次のように言ったとされています。「イエスが明日戻って来られると知っていても、私はそれでもなお今日、木を植えるだろう。」

宇宙の存在そのものが、神の創造的活動の結果です。そしてキリストの十字架上での犠牲によって贖われた、その最終目的地とは、すべての信者と共に新たにされて、神のとこしえの栄光に入ることです。—ボブ・ホワイト [5]

良い管理者

人は神のかたちに造られたので、神は男と女にすべての被造物にまさる特権をお与えになり、彼らに地上の管理者となるよう命じられました。[6] 管理者というものは、任されたものを粗末に扱うことなく、それを世話するのです。私たちは神に賜った資源を賢く運用し、あらゆる勤勉な世話を施すことによってそれらを保持し、守ることになっています。これは旧約聖書の、神が畑やぶどう畑に6年間種を撒いて収穫し、7年目には作付けせずにおくようにと命じられた箇所にも見られます。土地を休ませて、将来も引き続き神の人々のための収穫が確保できるよう、土壌の中に栄養分が育つようにそうされたのです。[7]

世話係という役割があることに加えて、私たちは環境の機能性と美しさを喜ぶべきです。神はその信じられないほどの恵みとみ力の内に、エデンの園以来ずっとそこに暮らしてきた、何百億もの人々を養い、彼らに衣服や住居を与えるために必要なすべてのものを、この地球上に置かれました。 神がこれまで私たちの必要のために提供してこられた資源は、すべて再利用が可能であり、神は今も、それらの資源を維持し補充するために必要な、太陽と雨を提供し続けておられます。また、まるでそれだけでは不十分であるかのように、私たちの美的感覚に訴え、私たちの魂をその驚異によってわくわくさせるために、輝きに満ちた色や風光明媚な美しさで、地球を飾って下さいました。 花々やエキゾチックな鳥たちや、他にも神の私たちへの愛を表している、数えきれないほど多種多様な美しいものがあります。

同時に、私たちが暮らす地球は、永久に存続する惑星ではなく、そうなるよう意図されてもいませんでした。…神は「新しい天と新しい地」を創造されるのです。[8]

私たちはこの地球が存在し続ける限り、つまりそれが神の至高のご計画と目的にかなっている限り、その良き管理者となる必要があります。—gotquestions.orgより [9]

地球は主のもの

なぜ私たちは環境に配慮する必要があるのでしょうか? 汚染や気候変動や、その他の環境問題のせいで、自分たちが直面している危険性だけが、その理由ではありません。確かにこれらも深刻ではありますが。クリスチャンにとって、問題はさらにずっと深いところにあります。私たちは神が世界を創造されたことを知っています、そしてその世界は、私たちではなく神のものです。このため、私たちは神の被造物の管理人つまり管理受託者にすぎず、それを粗末に扱ったり、疎かにするべきではないのです。聖書には次のように書かれています。「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」[10]

世界を神の被造物と見なしていないなら、最終的にはそれを粗末に扱うようになります。利己主義と貪欲に支配されて、環境や、自分たちが将来の世代に生じさせている問題について気にも留めなくなるのです。…

これらの問題は重要なことなので、皆さんが関心を失わないよう願っています。しかし、それよりもさらに重要な、神との関係を見失わないで下さい。キリストはあなたの人生で最優先されていますか? そしてあなたは毎日彼に従おうとしているでしょうか?—ビリー・グラハム [11]

管理責任と説明責任

環境問題を、真にクリスチャン的で、徹底的に聖書に沿った方法で表現するなら、それはどのようなものになるでしょうか? 私たちの見解によれば、それは一つの聖句に基づいたある信仰告白から始まらなければなりません。…「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」[12]

あらゆる人々の中でも、とりわけクリスチャンは、自分たちが生きている世界が自分たちのものではないことを理解しています。地球は、イエスのたとえ話のぶどう園のように、[13] その創り主であり所有者であられる方によって、私たちが管理を任されている預かりものです。神は私たちに、ご自分の園の世話をするように命じられました。私たちは、神が投資されたものに、プラスの利益を添えてお返しする責任を負っています。

神は創世記1:28で、人が被造物を「支配」し「治める」ようにされました。しかし、これは、人間が地球の資源を好き勝手に略奪したり乱用できるという意味ではありません。それどころか、「支配」には管理責任と説明責任が伴います。私たちには、神が世話されるのと同じように、神の世界を世話する義務があるのです。

これはとりわけ、少なくとも私たちが自然から取り出すのと同じくらい多くのものを、自然に戻す方法を見いだすことを意味します。優れた農業従事者なら誰でも知っているように、土壌を維持したり補充する方法を見つけることができない場合、肥沃な畑は黄塵(こうじん)地帯になってしまいます。同様に、産業は基本的な人間のニーズを提供する役に立てるものの、その過程において天然資源を保護するためにできる限り尽力し、責任を持って行動する必要もあります。そうしてこそ、主人の財産の良い管理人と言えるのです。…

すべてのクリスチャンには、自然界を心から気遣うという責任があります。私たちは環境のためだけでなく、人類に奉仕する方法としてもこれをしなければなりません。私たちの環境との相互作用は、人間の生活を改善し、神のかたちに創造された男女・子どもたちの苦しみを和らげることを目的としているべきです。—Focus on the Family [14]

2021年1月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディ―ノ 音楽:マイケル・ドーリー


1 創世記 1:31.

2 創世記 2:15.〈英語NLT訳より〉

3 コロサイ 1:16–17.

4 イザヤ 65:17–25, 黙示録 21.

5 https://www.eauk.org/church/resources/theological-articles/why-should-christians-care-for-the-planet.cfm. ボブ・ホワイトは、ケンブリッジ大学地球科学科で地球物理学の教授を務めている。

6 創世記 1:26–28; 詩篇 8:6–8.

7 出エジプト 23:10–11; レビ 25:1–7.

10 詩篇 24:1.

12 詩篇 24:1.

13 マタイ 21:33–46.

Copyright © 2024 The Family International