クリスマスに、他の人に手を差し伸べる

12月 17, 2019

Reaching Out at
Christmas
December 17, 2019

引用文集

オーディオ所要時間: 9:30
オーディオ・ダウンロード(英語) (8.7MB)

クリスマスの精神とは、愛と寛大さと優しさの精神です。それは魂の見晴らし窓を照らし、そこから世界の忙し気な生活を眺める時、私たちは物事よりも人に興味を持つようになります。

あなたと私は、今年のクリスマスに何を贈るでしょうか? 生活の中で、主であり救い主であられる方の教えを実践し、その足跡をたどることによって、主に感謝という贈り物を捧げましょう。—トーマス・S・モンソン

*

私の気のせいでしょうか、クリスマスシーズンが一年の内でも、ずば抜けて最高に狂気じみた時期であると感じるのは? クリスマスの買い物やクリスマスの飾り付け、(全部の落ち葉をかき集めたらすぐに)クリスマスイルミネーション、クリスマスの劇、クリスマスパーティー、クリスマスクッキー、クリスマスの写真があるし、テレビではクリスマスの特別番組をやっています。混雑したショッピングモールを、そりに乗って時速1500キロメートルで駆け抜けているような気分です。とても楽しいものの、それこそがクリスマスというわけではありません。

そしてしばしば他の人々も、教会に通っていない人たちでさえ、そのように感じているのがわかります。彼らは、クリスマスには慌ただしいスケジュール以上の意味があることを知っています。おそらくそれが、私たちがクリスマスの催しに人々を招待すると、喜んで応じてもらえる理由です。彼らはそのシーズンに、ペパーミントラテや足の痛みやパニック発作以外の何かが欲しいと望んでいるのです。

そしてイエスのおかげで、私たちはそれらにまさる何かを持っています。私自身、このことを自分に思い起こさせなければならないことがよくあります。つまり、人々は仕事よりも重要であるということを! この時期に、福音の希望を人々と分かち合う方法を考えましょう。

クリスマスの福音伝道は、ちょっと創造性を働かせれば実践可能です。このクリスマスに、「やることリスト」に書かれていること以外に、何かできることはないかと考えるなら、神は喜んで機会を与えて下さいます。導いて下さるよう、神にお願いしましょう!—ジム・ドナヒュー [1]

*

クリスマス・シーズンが始まろうとしている今、私たちにはおそらく、飼い葉桶の中の幼子が、今この時代に、人々にとってどれほど大きな意味を持ちうるかを話す機会がたくさんあることでしょう。多くの人にとってクリスマスとは、世俗的で商業的な休暇程度の意味しかないので、増大しつつある貧困、不正、混乱、恐れ、苦しみに立ち向かう世界中の何百万という人たちにとっては、祝うべきものはほとんどありません。けれども、希望はあります。畏怖の念を抱かせるほどの人生の変化が起こりうるのです。そしてそれは、それまで力や喜びがなかった場所にそれを与え、困難な時に進み続けるための意思力がほとんどすべてなくなった時に、それを与えることができるのです。

世界が暗くなるにつれ、この贈り物はもっと貴重に見え、光を探している人々はそれを見逃すことができなくなります。様々な出来事によって、人々の安心感や、世俗の喜びや、さらには多くの場合、日常必要とされるものさえ奪い取られている今、神の力が私たちを守ることができ、神の愛はどんなものにも打ち勝つことができるというクリスチャンの希望のメッセージは、日に日に人々の心を惹き付け、ちょうど必要とされるものになっています。

今年のクリスマスに、希望のメッセージをあなたの心に響かせ、あなたの人生から希望の光を輝かせましょう。あらゆるチャンスを使って、あなたの顔からそれを輝かせましょう。イエスに人生を与え、イエスに従う者であり、良い時も悪い時も、イエスの世話、支え、保護、導きを経験した者として、イエスのメッセージが私たちの希望であることを宣言しましょう。

今年のクリスマスに、真理と意味を探し求めているこれらの人たちに、答えがあるというメッセージを広めましょう。耳を貸す人には誰にでも、あなたに喜びのある理由を教えましょう。ベツレヘムの馬小屋で小さな赤ん坊が生まれた時に始まった、この世の希望について話してあげましょう。神が人間の体をとられるほど彼らを愛して下さったこと、そしてそれは困難や大混乱から保護されずに、私たち皆が直面する人生をそのまま経験するためであったことを、宣言しましょう。未婚の母が社会からのけ者にされるという文化にあって、母の胎に身ごもられた瞬間から、イエスがいかに恐ろしい状況に直面なさったのかを、彼らに話しましょう。イエスはその生涯で楽な道をお選びになりませんでした。それは、私たちに対する愛により、人間であることのすべて、つまり測り知れない困難も喜びもあますところなく経験されたかったからです。

このクリスマス・シーズンに、神であり人である方イエスがいかにして地上に来られ、私たちの一員として人生を生きられたかを祝いましょう。何もかも楽しくて心地よいおとぎ話のようにではなく、ありのままにイエスの物語を語って、人々に興味をひかせましょう。イエスの地上の両親が経験した困難を示す物語を告げましょう。彼らがいかに何度も何度も問題や危険な状況から救い出されたかを教えてあげましょう。彼らは別の地に移動せざるを得なくなり、追われる身になりましたが、それらの困難な時を通して、自分ではそうと知らないままに、イエスの誕生、人生、そして最終的な死とよみがえりを定めていた預言を成就したのです。

人生を変えてしまうとてつもない困難に直面し、私たち一人ひとりを救うために十字架の上で残酷な死を遂げた、神の御子のありのままの物語を、人々に伝えましょう。問題のさなかにある人々に希望を与えましょう。肉体をとった神であるイエスが、人間どうしの残虐さを極限まで経験されたことを彼らに知らせるのです。それだから、イエスはすぐそばにいて、私たちが人生で直面する困難や恐れを真に理解できる親しい友になることができるのです。私たちの傍らにいて、どんな時も私たちを守り、支えたがっておられるのです。

今年のクリスマス、私たちの手本と言葉によって、希望が存在すること、イエスを通して豊かな人生を送ることが可能であることを示しましょう。—マリア・フォンテーン

*

それを奉仕の時としましょう。クリスマスの精神が与えることであることは、誰もが知っています。しかし最高の贈り物は、包装紙に包むことができない場合が多いのです。それは奉仕の贈り物です。つまり、自分の時間や才能や人脈やアイデアや労力を、周りの困っている人々に提供するのです。

この時期に、ちょっとした親切な行為をしてみてはどうでしょう。年末はせわしない時期で、誰もがどこかで助けを必要としています。買い物を引き受けたり、小包を受け取ったり、子守りを申し出たり、飾り付けを貸してあげたり、教会のために電話をかけたり、家に閉じこもりっきりの人を外食に誘ったり、といったことを。

それを喜びに満ちた礼拝の時としましょう。クリスマスと聞いて、第一に思い浮かぶのは礼拝の言葉です。喜べ! 祝え! 喜びを! 賛美を! 感謝を捧げよ! 地に平和あれ! 救い主という、神のクリスマスの贈り物を感謝するために、当然礼拝の時間を設けたいことでしょう。

あなたは神を日常の活動の中で礼拝することができます。それらの活動を、あたかも神のためにしているかのように執り行い、そうしながら、神との絶え間ない会話を続けるのです。それに、商店街や医院やエレベーターなど、クリスマスキャロルがほとんどどこでも流れているので、それらの歌詞を心に浸透させるなら、ほとんどどんな場所でも礼拝することができます。「おお、来て拝せよ、主なるキリストを。」

それを喜んで分け与える時としましょう。クリスマスシーズンの間は、一年の他のどんな時期よりも、人々が霊的な話題に対して、もっと受容的であることに気づくでしょう。ですから、家族や友人にメッセージを分け合いましょう。教会の壁の外側に手を伸ばすのです。それは彼らが今後耳にするであろう中で、最も素晴らしい知らせなのです。—リック・ウォレン [2]

2019年12月にアンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク
音楽:「Christmas Moments」アルバムより、許可を得て使用


1 具体的なアイデア(英語):http://gccjax.org/reaching-out-during-christmas.

Copyright © 2024 The Family International