異なる見方

11月 25, 2019

A Different Perspective
November 25, 2019

マリア・フォンテーン

オーディオ所要時間: 7:17
オーディオ・ダウンロード(英語) (6.7MB)

こんな思いに駆られた覚えはありますか?

「私は何とか頑張って、ベストを尽くそうと努めている。けれども、時々、自分が何も進歩していないような気持ちになる。ほとんどすべてのことが当て外れに終わった。家計も苦しく、落胆と戦いながら、自分は何か間違ったのことをしたのだろうかと思っている。

「これからどうすればいいのだろう。主が最初に示された通りのことをやり抜けばいいのか、それとも計画を変えるべきなのだろうか? 期待していたことが実現していないように思えるのに、主はあとどれぐらいそれを続けてほしいのだろう?」

これと似たような状況に面しているか、あるいはそれがずっと続いているなら、物事が起こるべき形で起こっていないように思われるかもしれません。主はあなたの計画を承認してくださったので、少なくとも何らかの供給や、開かれた扉、あるいはゴールへの確実な一歩といった形で主の祝福が現れるはずなのにという思いがあるかもしれません。

そのような時期には、人生はかなり陰鬱なものに見えるかもしれません。けれども、求めていた結果が今しばらく遅れることはよくあるのです。もう少しすれば結果が出るのかもしれません。それまでの間、主はあなたの関心を何か他のことに引こうとしているのかもしれません。あるいは、主には別の計画があるのかもしれません。あなたを特定の場所に連れて行くために、主はまずある特定のコースを進ませたのであり、それから次のステップを示されるのかもしれません。あなたの期待や計画とは異なる、なにか別のものを。

けれども、ちょっとした物事や、人々とのちょっとした出会いでさえも、すべてが世界を変えることの一部であると覚えておくことは大切です。それは人々を助け、影響を与えることの一部です。一度に一つずつ心を変えていくのです! 主のための仕事は必ずしも大きな業績や大掛かりな仕事とは限りません。大きく際立った活動というのは、普通、ちょっとした行為の忠実な積み重ねから生まれるものです。私たちは人々に良い影響を与えたいと望んでおり、それが大きな現れ方をすることもあれば、小さな現れ方をすることもあります。聖書には、イエスが方々を巡り歩いて善い行いをされたと書いてあります。[1] イエスは人々をいやし、五千人に食事を与え、水の上を歩かれましたが、それだけではなく、人を励ましたり、色々な人のために祈ったり、彼らを教えることにも多くの時間を費やされたのです。

物事には、とにかく時間がかかるものです。新しい試みやビジネスや仕事を軌道に乗せるには、かなりの忍耐が必要です。すぐに成果が出ることは滅多にありません。ちょうど私が、今朝デボーションで読んだメッセージのように。「山を登る時に、山道にある石や足場の悪い場所のことばかり考え、それしか見ないなら、山登りはなんとうんざりするものになることだろう。だが、その一歩一歩が栄光と美が広がる達成の山頂につながると考えるなら、山登りは全く違ったものになる。」[2]

もしかしたら、主は今の状況の中で、何かあなたに気づいてほしいことがあるのではないでしょうか。あなたが実際にしているこのような一見小さなことが実はとても大切なことなんだと、主は気づいてほしいのかもしれません。もしかするとあなたは、できたらいいのにと思うことや、自分にはできるとわかっている「もっと重要な」ことと、毎日あなたがしていることを比べているので、それらすべての価値に気づいていないのかもしれませんね。だから、ほかのことで時間を無駄にしているように感じているのかもしれません。それがどれだけ大切かに気づかずに。あなたがただ方々で「善い行い」をし、手本によって自ら他の人たちに教えることで、色々な可能性が実現するかもしれません。パウロが、「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい」と言ったように。[3]

今はまだ、全体的に大勢の人に手を伸ばしていないかもしれませんが、後により広範囲に渡るミニストリーで手を伸ばすようになるかもしれないし、誰が知りましょう、もしかしたら、今日あなたが出会う二人か三人の人が、後でとても多くの人たちに手を伸ばすことになるかもしれません。

それに、私たち全員にとって、神のような見方で状況を見るのを学ぶことは極めて貴重な資質であり、身に付けるのが難しいものだと思います。それほど価値はないものとして片付けてしまい、過小評価したりする多くのものが、じつは主の目には大切である、という場合がよくあります。それは信仰の問題であり、信仰によって受け止めなければなりません。主が大切だとされるものは、多くの場合、最初はそれほど大切なように見えないからです。けれども、あなたが最近していることを、このようなフィルターを通して見るなら、多分何らかの達成が見えることでしょう。

主は時折私たちに、立ち止まり、見て聞く機会を与えられます。時折私たちのペースを落とされるのです。病気や、閉じられた扉、状況の変化などによって。それは、私たちがじっくり物事を考えて、私たちにとって本当に価値があるのは何なのか、何を成し遂げたいのか、人生の真の意味は何なのかを見きわめることによって、何でもかんでも、がむしゃらに突き進まないようにするためなのです。主はこのような時期を用いて、私たちが自分の目標が何であるかをはっきりと知り、賢明な決断を下すのを助けて下さいます。主は、私たちが主に満たされて、主がありのままの自分たちに価値を見いだしておられることに気づくよう、願っておられます。そしてご自分への私たちの愛を尊び、主が自分たちを置かれたどんな状況においても、ベストを尽くしていることを誇りに思っておられます。

私たちが主が見られるように物事を見ることができるなら、ただ主に従い、行く先々で主の愛を他の人々に示すことによって、自分たちが最も重要なことをしているのだということに気づくかも知れません。

私たちのミッションは大きく立派な活動だけで成り立っているのではありません。実際多くの場合、このような小さなことが積み重なって、大きなことになるのです。どんな大きなことでも、通常はたくさんのより小さなことからできています。望んでいたことのために主が扉を開かれない時にも、忍耐強く信仰を持ち続けることができるなら、そして人々にイエスを指し示し、彼らが主に近づく手助けをするという、今自分のしていることがどんなに大切かに気づけるなら、満足が得られることでしょう。

主の御心を求め、すべきだとわかっていることはすべてしているのに、何も具体化していないとしても、あなたは主の望まれるまさにその場所にいて、主の望まれることをしていると信じていいと思います。

不確かな時期に直面すると、それは信仰のテストにもなり得ますが、それでも前進し続け、主のための奉仕を続けているなら、それを誇りに思っていいのです。神が今日、あるいは将来にあなたを切り抜けさせて下さらないなどと言うことを、信じるべき理由など何もありません。神はあなたをこんなにも長年の間、こんなにも遠くまで連れてきて下さいました。そしてあなたにしてもらいたいと望まれていることが、まだまだあるのです。

仕事や生活面で何かが変わる時、それは次の段階への学習体験となります。この期間は次に起こることの大切な準備時間なのです。私たちは新しいやり方を見つけ、新しい環境や数々の問題に対する主の考えを知らなくてはなりません。主を求めるために必要な時間を取り、主と御言葉に近く留まるなら、あなたの期待に主は応えてくださるでしょう。

人々に大きな影響を与えていると自分で思うか思わないかに関わらず、自分の信仰や神の愛を分け合っているなら、あなたの証しは心を一つ一つ変えていると確信していいでしょう。あなたの心と思いをイエスに留め続けているなら、主があなたの人生に働きかけ、主は失敗されないと知ることから来る、あのまったき心の平安を要求することができます。

初版は2011年4月 2019年11月に改訂・再版
朗読:キャロル・アンドリュース


[1] 使徒 10:38.〈聖書協会共同訳〉

[2] A. J. Russell, God Calling (Spire, 1989).

[3] 1 コリント 11:1.

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