「すべてに感謝します!」

8月 7, 2019

“Thanks for Everything!”
August 7, 2019

スティーブ・ハーツ

パウロはローマ8:28でこう言っています。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 また、箴言にはこんな言葉があります。「人の歩みは主によって定められる。」[1] そしてイエスは、私たちを選び、立てた(任命した)と言われました。[2] これらの聖句や他の同様の聖句は、私たちの人生が創造主であられる神によって、聖なる目的をもって導かれていることを示しています。

これらの節には紛れもない真理がありますが、私は人生が複雑で混乱した時期に差し掛かると、過去の状況がもう少し違っていたなら、どうなっていただろうと考えて、もう一度最初からやり直すことができたらいいのに、と思うことがあります。

つい先日、お気に入りの映画の一つである『MR.デスティニー』のオーディオを聴いていた時も、そんな考えが浮かびました。すべてはジェームズ・ベルーシの演じるラリー・バロウズが、35歳(私と同じ年齢)になった日に起こります。その20年前、ラリーは高校野球の決勝戦の最終打席で三振し、以来ずっとそのことを悔やんでいました。そして、親友以外全員から忘れられているように思われる35歳の誕生日に、会社を解雇されたことでさらに落ち込んだ彼は、いつの間にかその野球の試合のことを思い出し、あの時勝てていたらよかったのにと考えるのです。

家に帰る途中で車が動かなくなったので、近くのバーでレッカー車を呼び、そこで待つことにしました。マイケル・ケインが演じるバーテンダーのマイクは、気さくで思いやりのある人物です。その上、ラリーのことなら何でもわかっているのです。20年前の試合のことで、後悔を引きずっていることも。マイクはラリーのために、「スピルト・ミルク(こぼしたミルク)」[3] と呼ぶカクテルを作り、それは彼を過去へと引き戻して、もしその試合に勝っていたなら、送っていたであろう人生を体験させてくれます。彼は自分の人生が、あらゆる点ですっかり変わってしまっていることに気づきます。中でも一番面食らったのは、妻だったエレンではなく、別の人と結婚していることでした。彼はそれが気に入らず、状況を元に戻そうとしますが、結局はそのせいで、自分の仕事も人生も危険にさらしてしまいます。

幸いなことに、最悪の事態が起こる前に、ラリーは再びマイクとバーに居ました。彼の人生はすっかり通常に戻り、彼は自分の数多くの祝福に、改めて感謝するようになります。帰宅すると、エレンが準備したサプライズの誕生パーティーが開かれていました。彼の上司が思いがけず立ち寄り、今までの会社でもっと良い役職に就かないかと言ってくれます。これらすべてにラリーは喜びますが、さらに大切なことに、彼は悔恨の念から解放され、「あの時ああなっていたら」という考えに囚われるのをやめて、人生を精一杯生きようと決意するのです。

この映画のオーディオを聴いていて、バラ色の人生を送っている人など誰もいないのだと、改めて思いました。私たち全員が問題を抱えており、もう一度やり直すか、なかったことにしたいと思うようなことをした経験があります。私たちの誰もが、苦悩や失望を、そして失敗すらも経験するのです。しかし、そうなったからといって、祝福を数え、自分の持っているものに感謝し、今日という日に前進し続けるのをやめてはいけません。映画のある場面で、マイクがラリーにこう言ったように。「これは君の人生だよ、ラリー。今あるものを楽しむようにするんだ。」

ええ、確かに二度目のチャンスも巡って来ますし、そこでやり直しても全然構わないのですが、ことわざにもあるように、「昨日に縛られていては、今日どこにもたどり着けない」のです。

イエスを知っている私たちは、一人一人の人生についての主のご計画を信頼し、主には私たちの失望や失敗も含めて、万事を共に働かせて益とすることがおできになるのだと信じることを、日ごとに学んでいます。何と言っても、主は私たち一人一人を、生まれる前からご存じなのですから。主はエレミヤ1:5でこう言われています。「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別…した。」

この映画のオーディオを聴いた後、ラリーがすべてを体験し終わった後でマイクに言ったことを、私も普段からイエスに言おうと決心しました。「すべてに感謝します。良いことも悪いことも。私の残りの人生のために、あなたが何を計画されていようと、それはすべて完璧です。」

もちろん、自分の人生や目下の状況について信頼することが、口で言うほど容易ではなかった時期を、人生を通して幾度も、私たち一人一人が経験してきました。そしてこれからも、そんな時期があることでしょう。けれども主の助けがあれば、私たちを強くして下さるキリストによって、何事でもすることができるのです。私たち一人一人が、目的あって主に選ばれているという事実を変えることのできるものなど、何一つありません。


1 箴言 20:24.

2 参照:ヨハネ 15:16.

3 「こぼしたミルクを嘆いても始まらない」(覆水盆に返らず)ということわざより。

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