引用文集
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わたしは存在するあらゆるものの創造主であり、わたしに似せて造られたあなたも、その内に豊かな創造力を宿している。状況を新鮮な見方で見るよう努めなさい。わたしがあなたの中に新しい何かを造り出す時、わたしと協力し合って働こうと、意欲的に努めるのだ。わたしは宇宙の最高権力者ではあるものの、なおパートナーとして、あなたと一緒に働きたいと望んでいる。この聖なる冒険に乗り出すことを承諾してくれるなら、あなたはわたしがあなたを造った目的を、より完全に果たせるような存在になる。[1]—イエス
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祈りは創造主とその被造物との、大規模な共同事業のようです。祈りにおいて、私たちは宇宙の神と力を合わせて、周りの世界で御心を成し遂げるのです。神は、求めるようにと私たちに求め、その後答を与えることによって、それに応じて下さるのです。…
もしこれがすべて真実であるなら…力強い祈りとは、協力関係なのです!…神は超絶的で、誰の助けをも必要とせず、全能であられます。どんなことにおいても、私たちに一切依存しておられませんが、それでも神は、ご自分とパートナーを組むよう、私たちを招いて下さるのです。神と協力し合って働き、神の憐みという基盤の上に、パートナーとして関係を築いて、地上で御心を成し遂げることは、私たちにとって特権です。
罪深く弱い私たちに、父なる神と、直接的で絶え間ない交わりを持つという特権が与えられているのです。それによって私たちが、神の御心を理解し、神をもっと親密に知り、神が私たちのために喜んでしたいと望んでおられることを、祈り求めるように。
力強い祈りによって神は心動かされ、それに答えて下さいます。たしかに、祈りは会話です。…しかし、祈りには会話以上の意味があります。それには真の力が宿っているのです。それに真の力が宿っているのは、私たちの求めに応じて動くと、神が決めておられるからです。
祈りは、秘密の調合法や、魔法の力というわけではありません。それは、実在する生ける神がおられるということの証明なのであり、その方が私たちの求めに答えてくださるのです。神は姿を現してくださいます。そして神が姿を現される時、超自然的なことが起こります。私たちが神の御心に沿って祈る時、地上において天国的な出来事が起こるのです。それは神が、ただこのような方法で、御心を成し遂げることを選ばれたからです。…
誰かが次のように言うのを聞くと、ぞっとしてしまいます。「与える人もいれば、証しに出る人もいます。そしてそのどちらもできないとしても、少なくとも祈ることはできます。」 少なくとも祈る、ですって? いいえ、祈りは人ができる最大限のことなのです!
祈りは宣教活動です。貧しい人々に食べ物を与え、福音をのべ伝え、心の打ち砕かれた人々の相談に乗る、といった活動と同じなのです。祈りは神の御力の内に、神の御心を成し遂げるために、積極的に神のご計画に加担することです。…
ここで大切な質問を尋ねます。あなたはすべての創造物の中で最も素晴らしい共同事業の一翼を担い、宇宙の創造主と共に働いて、地上に天国的な物事を来たらせたいですか?
それなら、すべきことは簡単です。祈りなさい。求めなさい。祈りのリクエストを手に、天の玉座の間に突進するのです。
素晴らしい共同事業に加わって、祈りを聞き応えると約束された神とパートナーを組みましょう!—ブランドン・コックス [2]
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神は、私たちの人生における活発なパートナーになりたいと願っておられ、またそうなるにふさわしいお方です。そして、私たちが神と協力し合えばし合うほど、その協力関係から受ける恩恵も大きいのです。
この協力関係の重要な要素とは、いつでも主が呼ばれる時にそこにいて、いつでも主のために何かができる態勢を整えておくことです。「主が呼ばれる時にそこにいる」というのは、主が私たちに何かを伝えたい時、それに敏感に反応し、主が言わんとされることをいつでも聞けるようにしておくという意味です。「いつでも主のために」というのは、主が他の人たちの人生において持っておられる目的のための媒介に喜んでなり、まだ主との関係を持っていない人たちに、主が何かを伝える手段としての役割を果たすということです。
いつでも神に用いて頂けるよう、霊の内でも、また実際面でも備えているなら、それは主が自分の人生における全面的なパートナーであり、私たちの行うすべてのことに、主もまた関わって頂きたいという宣言に等しいのです。—ピーター・アムステルダム
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アメリカの南北戦争の際、アブラハム・リンカーンは祈りの朝食会で、牧師の一団と会合しました。リンカーンは教会に通っていませんでしたが、深い信仰の持ち主でした。時として型破りな信仰ではありましたが。会話の中で、一人の牧師がこう言いました。「大統領閣下。神が我々に味方されるよう、祈ろうではありませんか。」 リンカーンの返事は、それよりもはるかに素晴らしい洞察を表すものでした。「いいえ、皆さん。私たちが神の側に居るよう祈りましょう。」
リンカーンは在席した牧師たちに、宗教は自分の望みを神に叶えさせるための手段ではなく、すべてを委ねて神が望まれるような者となり、神が望まれることを行うようにさせるものであることを、思い起こさせたのです。—storiesforpreaching.com より [3]
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私たちは神の同労者です。これは祈りを含む、人生のすべての面に当てはまります。それこそが、私たちがマタイ6章でイエスが言われたことを思い巡らす時に、自ずと浮かぶ疑問への答なのです。主は私たちが、異邦人のように同じ言葉をくどくどと繰り返して祈る必要はないと言われました。父なる神はわたしたちが求める前から、その必要をご存じであられるからと。[4]
そこで浮かぶ疑問とは、ではなぜ祈るのか、というものです。答は簡単で、しかも慰めになります。神は憐れみ深くも、人生の物質的な面と霊的な面両方において、私たちにご自分のパートナーとなる特権を授けることを選ばれました。私たちは祈りを通して、この世で悪の力を打ち負かし、神の愛情深い目的を実現に至らせるという形で、神と共に働きます。神とパートナーを組んでいるとは、何という特権でしょう! それは祈ることへの、何と大きな励みでしょうか!―ハーバート・バンダー・ルート [5]
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神は私たちのすべての必要をご存じだが
それでも御仕事を分かち合うことを望まれる。
祈るよう求めることによって
私たちをパートナーとされるのだ。
—D・デ・ハ―ン
2019年5月にアンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ
音楽:ジョン・リッスン