「幼な子イエスがいなければ、7162にお電話を」

12月 19, 2018

“If You Are Missing Baby Jesus,
Call 7162”
December 19, 2018

ジーン・ギーツェン

私が子どもの頃、父はノースダコタ州の石油会社で働いていました。転勤で州内の色々な地域に引っ越さねばならず、ある時そんな引っ越しの最中に、家族のキリスト降誕(ネイティビティ)セットがなくなってしまいました。1943年、クリスマスの少し前に、母は別のものを買うことに決め、地元の低価格雑貨店で、降誕セットをたったの3ドル99セントで手に入れて喜んでいました。弟のトムと私で、母がそのセットを箱から出すのを助けていた時、赤ちゃんのイエス様の人形が、2つあることに気づきました。

「箱詰めする時に、誰かが間違えたのね。」 人形の数を数えながら、母がそう言いました。「ヨセフが1つ、マリヤが1つ、3人の賢者と3人の羊飼い、2匹の小羊に、ロバと牛が1頭ずつと、1人の天使、それに赤ちゃんが2つ。あらまあ! きっとあの店のどれかのセットに、赤ちゃんのイエス様が入っていないのよ。」

「わあ、すごいね、お母さん。」 弟と私が叫びました。「双子になったよ!」

「あなたたち、もう一度お店に走って行って、店長さんにイエス様が1つ余分に入っていたと伝えてちょうだい。まだ売れていない箱に、『幼な子イエスがいなければ、7162にお電話を』と貼り紙をしてほしいと頼んできて。」 母は言いました。「キャンディー代に1ペニーずつあげるわ。それから、マフラーを忘れないでね。外は凍えるほど寒いから。」

店長は母のメッセージを書き留め、次にその店へ行った時には、「幼な子イエスがいなければ、7162にお電話を」と書かれた厚紙が貼ってありました。

その週の間ずっと、私たちは電話がかかってくるのを待っていました。きっとこの大切な人形を、誰かがもらい損ねているのだと考えていたのです。母は電話が鳴るたびに、「きっとイエス様の件よ」と言いましたが、そうであったためしがありませんでした。父はその人形が、ワシントン州のワラワラにあった時から、すでに欠品していた可能性もあると考えていました。そのような間違いはしょっちゅう起こるからと。そして、もう諦めて、ただその余分のイエス様を箱に戻しておけばいいじゃないかと言ったのです。

「箱に戻すですって!」 私は泣きそうになって言いました。「赤ちゃんのイエス様にそんなひどいことをするなんて。それにクリスマスなのに。」

「きっと誰かが電話してくるわ。」 母が言いました。「電話がかかってくるまで、飼い葉桶の中に一緒に寝かせておきましょう。」

クリスマスイブの午後5時になっても、誰も電話してこなかったので、母は父に、「ちょっと店にひとっ走り」して、まだ残っているセットがあるか見てきてほしいと言い張りました。「奥のカウンターの上よ、ウィンドー越しに見えるから。」 母は言いました。「もし全部なくなっていたら、今晩必ず誰かが電話してくるわ。」

「店にひとっ走りだって?」 父が大声を上げました。「外は氷点下26度だっていうのに!」

「ああ父さん、私たちも一緒に行くわ。」 私は言いました。「トミーも私も、しっかり暖かくしていくから。それに、途中でデコレーションも見られるし。」

父は長い溜息をつくと、玄関のクローゼットに向かいました。「信じられないね。」 父はつぶやきました。「電話が鳴るたびに、イエス様の件かもしれないから、電話に出てって騒がれるかと思えば、今度は今年一番の寒い夜に外に出て、イエス様がいるかどうか見るために、ウィンドーを覗こうっていうんだから。」

父はその街区を抜ける間、ずっとぶつぶつ言っていました。弟と私は、窓枠の周りに小さな明かりがちかちかと点滅しているウィンドーまで競争しました。「みんななくなってるわ、お父さん!」 私は叫びました。「きっと全部のセットが売れたのよ。」

「わあい、やった! 弟も私に追いつきながら叫びました。「今晩謎が解けるぞ!」

数歩後ろを歩いていた父は、くるりときびすを返すと、また家に向かって歩き始めました。

再び家に戻ると、余分の人形がセットから消えてなくなっており、母もいないようであることに気づきました。「誰かが電話してきて、人形を持って行ったんだろう。」 父がブーツを脱ぎながら、そう推測しました。「お前たちはさっさと、ポップコーンのモールを作って、ツリーに飾りなさい。私はお母さんのプレゼントを包むから。」

一本のモールがもう少しで出来上りという時、電話が鳴りました。父は大声で、私に出るよう言いました。「幼な子イエスの持ち主なら、もう見つかったと言ってやりなさい。」 父は階上からそう叫びました。けれども、それは問い合わせの電話ではなく、母からでした。そして私たちに、3枚の毛布とクッキーをひと箱、それからミルクをもって、すぐにチェスナッツ通りの205番地に来るようにと言ったのです。

「今度は何だっていうんだ?」 父はうめき声をあげて、私たちはまた防寒着に身を包みました。「チェスナッツ通り205番地といえば、8ブロックも先じゃないか。ミルクをしっかり毛布で包まないと、着くまでに凍っちまうぞ。一体全体どうして、普通にクリスマスらしく過ごせないんだ? 今外は氷点下28度はあるし、風も強くなってきた。よりによってこんな夜に、まったく気が狂っている。」

トミーと私は、チェスナッツ通りまでの道すがら、ずっとクリスマスソングを歌っていました。毛布の束とミルクを抱えた父は、両腕一杯にプレゼントを抱えた聖ニコラスそのものに見えました。弟は時折振り返って、こう叫びました。「お父さん、泊まる場所を探しているふりをしようよ。ヨセフとマリヤみたいに。」

「ベツレヘムに居るふりをしよう。そこだったら今、日陰でも18度はあるだろうから。」 父は答えました。

到着すると、チェスナッツ通り205番地の家は、その街区で最も暗い家であることがわかりました。一つの小さな明かりが居間に灯っており、私たちがポーチの階段に足をかけた瞬間に、母がドアを開けて叫びました。「彼らよ、彼らが来たわ。ああレイ、来てくれて本当によかった! 子どもたちはその毛布を居間に持って行って、長椅子の上の小さい子たちをくるんであげて。ミルクとクッキーは私がするから。」

「どういうことなのか教えてくれないか、エセル?」 父が尋ねました。「氷点下の天気で、風が顔に吹きつける中、こんなところまで歩いてこさせるなんて…」

「そんなこと、今はどうでもいいわ。」 母が口を挟みました。「この家には暖を取るものが何もないし、この若いお母さんはすっかり混乱していて、途方に暮れているのよ。ご主人は出て行ってしまって、この可哀想な子どもたちは、寒々としたクリスマスを送ることになりそうなの。だから、文句を言わないで。あなたがすぐにあの灯油暖房炉を修理してくれるからって話していたのよ。」

母はいそいそとキッチンに入ってミルクを温め、弟と私は長椅子で身を寄せ合っている5人の子どもたちを毛布でくるんであげました。子どもたちの母親は父に、夫が寝具も衣服も、ほとんど全部の家具も持って出て行ってしまったけれど、暖房炉が壊れるまでは、何とかやっていたのだと説明しました。

「私は洗濯やアイロンがけの仕事を引き受けて、雑貨店の掃除もしています。」 彼女は言いました。「カウンターの上に積まれた箱に貼られたあなたがたの電話番号を、そこで毎日見ていたんです。暖房炉が壊れた時、その番号のことが頭から離れませんでした。7162、7162、と。」

「その箱の上には、幼な子イエスがいなければ、電話するようにと書いてありました。それで皆さんが、喜んで人助けをする良いクリスチャンだとわかったのです。そして、私のことも助けてくれるかもしれないと。それで、今晩雑貨店に立ち寄って、奥様に電話をかけました。ご主人、私にはイエス様がいないわけではありません。主を心から愛していますから。でも暖めてくれるものが何もなかったんです。」

「私と子どもたちには寝具も、暖かい服もありません。この子たちのために、クリスマスに幾つかおもちゃを買いましたが、あの暖房炉を修理するお金なんて、とてもなかったのです。」

「そうか、わかった。」 父は優しく言いました。「うちらに任せておきなさい。さて、そうだな。あっちの食堂に小型の灯油暖房炉がある。簡単に直せるはずだ。おそらく熱送管が詰まっているんだろう。ちょっと調べて、どこが悪いか見てみよう。」

母がクッキーの入ったお皿と、温かいミルクが乗ったお盆を持って、居間に入ってきました。母がコーヒーテーブルにカップを置いている時、私は幼な子イエスの人形が、テーブルの真ん中に横たえられているのに気づきました。その家の中でクリスマスらしいものといえば、唯一それだけでした。子どもたちは、母が目の前に置いたクッキーのお皿を、目をまん丸くして見つめました。年下の子どもの一人が、目を覚まして毛布の下から這い出てきましたが、大勢の見知らぬ人たちが家に居るのを見ると、泣き出してしまいました。母はさっとその子を抱き上げて、歌であやし始めました。

「そう、この方こそ、王キリスト。羊飼いが見守り、天使たちが称えるのは。」 その子がぐずつく中、母は低い声で歌いました。「さあ、急いで、ほめ称えに行こう。この幼な子、マリヤの子を。」[1] 子どもの泣き声をものともせずに、母は歌いました。その赤ん坊がまた落ち着くまで、歌いかけながら、部屋中を踊り回ったのです。

「聞こえる、チェスタ―?」 若い母親が別の子どもに言いました。「あの女の人は主イエスについて歌っているのよ。主は絶対に、私たちを置いて出て行ったりされないわ。ああ、主がこの人たちを、暖房炉を直すために、私たちの所に送って下さったのよ。それに、今は毛布もあるし。ああ、今夜は暖かく過ごせるわ。」

灯油暖房炉の作業を終えた父が、マフラーで手を拭いながら言いました。「直ったよ。だがもっと灯油が必要だ。家に戻ったら何人かに電話して、灯油を持って来てあげよう。まったくよかったよ、私たちを呼んでくれて。」 父はにっこりと笑いました。

炉が再び勢いよく燃えていることを父が確かめると、私たち家族はしっかり服を着込んで、家に戻りました。父は寒さについてひと言も触れることなく、玄関の扉を開けて中に入ったかと思うと、もう電話をかけていました。

「エドか? やあ、元気かいエド?」 父の声が聞こえました。「ああ、メリークリスマス。なあエド、実は何というか、異常事態でな。お前、軽トラックを持ってたろう。そこで相談なんだが、男たちを集め、クリスマスツリーを手に入れて、他にも幾つか必要な物を…」

その先の会話は、はっきり聞こえませんでした。弟も私も、自分たちの部屋に駆け込んで、たんすから服を、棚からおもちゃを引っ張り出し始めたからです。母は私たちの持ち物を全部調べて、「使えそう」なサイズの物や、遊び道具を選び出し、それらを山積みにすると、自分のセーターやスラックスもそこに追加しました。私たちは普段寝る時間よりもずっと遅くまで起きて、プレゼントを包みました。父が電話をかけた男の人たちが、炉のための灯油、そして寝具や、2脚の椅子や、3つのランプを見つけてきてくれ、その夜が終わる前に、チェスナッツ通りの205番地まで、車で二往復してくれました。私たちの贈り物は二回目のトラックに積まれ、その頃までには氷点下34度以下になっていたにもかかわらず、父はトラックの荷台に私たちを乗せて、一緒に連れて行ってくれました。

キリスト降誕場面の欠品の人形については、結局誰一人電話してきませんでしたが、大人になってから気づきました。それは箱詰めした時の手違いでも何でもなかったのだと。


1 賛美歌『What Child Is This?』(日本語訳は賛美歌第二編216番『御使いうたいて』など)

Copyright © 2024 The Family International