聖書を内に取り入れる

8月 5, 2019

Bible Intake
August 5, 2019

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 9:59
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神との関係を開花させたいと願い、霊的成長に関心があるクリスチャンは、神の言葉を読み、吸収することに費やす時間が極めて重要であることを認識しています。私たちは聖書に書かれたことから、神や、人類に対する神の愛、イエスとそのメッセージ、神と調和し同胞である人類と調和して生きる方法について学びます。

神は創造主であり、被造物との関係を望んでおられます。それを実現させるために、神は聖書を通してご自身を現されました。聖書の中で、神は私たちへの愛や、私たちのような不完全で限界のある者たちが神との関係を持てるようにするために取られた行動について告げておられます。私たちが神の言葉の内に宿り、神の言葉を私たちの内に宿らせるなら、そうすればそうするほど、私たちは、特に他の人たちとの相互関係において神と神の愛を反映する方法によって、自分たちの人生を神と調和したものとし、御心に沿ったものとするための方法をもっと理解できるようになります。

聖書を読む時間を毎日取ることは、毎日神とつながるための機会を与えてくれます。それは私たちに、読むものを通して神に語っていただき、神の指導や導き、人生の問題や困難を切り抜けるための助けを受けられるようにします。神の啓示を欠かさず読むことは、私たちが自分たちの人生をどう形作ることになっているか、その道徳律を思い出させてくれ、決断に迫られた時には導きを与えてくれます。

私たちは聖書を通して主の教えを聞き、主の愛の手本を見て、主の犠牲によって私たちのために開かれた神との関係に導かれます。神の言葉につながると、私たちは父なる神が私たち一人ひとりに置かれた価値と、神がすべての人間に対して抱いておられる愛と憐れみに、ますます気づくようになります。聖書に書かれた真理を吸収し始め、毎日の生活に適用して行くにつれ、私たちは内なる生活と外なる生活の両方の錨を、キリストのようになること、信心深さ、神の真理という土台に下ろすようになります。

一日一日、私たちは広範囲に渡る多種多様な伝達システムからのインプットの連発を浴びせられており、それらは何かにつけ私たちに影響を与えています。神が私たちに言われた言葉を読む時間を毎日取ることは、私たちが面している情報とインプットの渦を無事通り抜けるための道を与えてくれます。また、真理と偽りを見分ける霊的能力を高めてくれます。すると、真の幸せや内なる平安、神と神の意志に沿った生き方をする上で重要な物事を心の軸としておくことがもっと容易になります。人生が私たちに与える試練を耐え抜き、克服する助けとなるのです。

イエスは言われました。「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。」[1] 神の言葉を守ることで、私たちは御霊といつもつながれるようになります。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」[2] 神の言葉を読むこともまた、主とのそういったつながりを持つことや、約束された平安を持つことの一部なのです。

毎日御言葉を読む時間をなんとか捻出するというのは簡単なことではありません。それには自己鍛錬を要しますが、聖書の言葉を読む時間を欠かさず取ることは、あなたの霊を強め、あなたを神の真理と愛に根ざした、より強いクリスチャンにします。神とのつながり、神の言葉を堪能することは、他の人との日々の相互関係や、決断、毎日の誘惑にあっても強くあるための能力において御霊に導かれるのを助けてくれます。

毎日どれだけ読まなければならないか、あるいは聖書のどの部分を読むべきかについては、特に決まったやり方はありません。肝心なのはそのための時間を取っておくことと、しっかり読み続けることです。

一日に何章読むと決めるのも助けになります。現実的なゴールがあると、忙しい日でも頑張って読もうという意欲がわくかもしれません。「Spiritual Disciplines for the Christian Life」(クリスチャン人生のための霊的鍛錬)という本は、一日15分読めば、1年で聖書を最初から最後まで読み通せる、また、一日に3章ずつ読み、日曜日には5章読むことにしても結果は同じものとなると述べています。

神の言葉について聞く

神の言葉を直接読む以外にも、神の言葉について語られている話を聞くのも役立ちます。つまり、説教や談話や対談を読んだり、聞いたり、見たりすることであり、それには御言葉や敬神的な原則が含まれた投稿も含まれます。あなたの心に訴え、主とのつながりと関係を強めるような方法で神の言葉を分け合ってくれる人の話を聞くのは役立つでしょう。

自分で御言葉を読み、読んだ内容について考えたり瞑想したりする時間を取るよりも、神の言葉の原則や教えについて誰か他の人が話しているのを聞く方がずっと簡単なことがよくあります。ただ、御言葉についての説教や記事を聞くのも霊的に養われるし、有益ではあるものの、聖書を読んで、主御自身が御言葉を通して直接あなたに語られたいことから益を受ける時間に、それが取って代わるべきではありません。

御言葉について瞑想する

聖書を読んだり他の人が聖書について詳しく説明するのを聞いたりする時には、あなたが読んでいるものや聞いているものを通して神があなたに何を語っておられるのかを自問することが大切です。それについて考えましょう。なぜそれが強い印象を与えたのか、それを通して主は何を告げようとしておられるのかを自問しましょう。それは、御言葉を通して、主からあなたに語りかけていただく時間です。

自分が読むことや聞くことに集中し、それについてもっと深く考えることもまた、神の言葉について瞑想することです。私たちはとても忙しい生活を送っており、しばしば、あれが終わればこれ、と物事を急いでやらなければならないと感じます。ですから、自分が読んだものや、それをどう適用するかについてじっくり考える時間を取るのは難しいことですが、もし御言葉からの影響を受けたいと望むなら、それは大切なことです。

詩篇で、ダビデ王は神と神の言葉について深く思うことについて語っています。「わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。」[3]

神の言葉を読み、それを深く思うことで、神との個人的な関係がもてるようになります。読んだ内容について深く思う時、私たちは神の言葉が心に語りかけるためのチャンスをつくり出すことになります。なぜなら、その時、私たちは、主に耳を傾けることをいとわず、またそうする準備ができているからです。神の言葉を深く思うことで、私たちは、学びや成長や変化、主に近付くこと、御心を行うことを渇望しつつ、主の御前に行きます。主は私たちそれぞれに直接語りたいと願っておられます。

もし信心深い人生を送りたいなら、もし救い主に倣いたいと願うなら、もし、私たちを通して輝く光が神と神の愛の光であってほしいなら、私たちは神と神の御言葉のために時間を取らなければなりません。神の言葉、つまり聖書は、人間に対して神がご自身を現しているものだからです。それを読み、深く思い、内なる自分と外に表れる行動に適用することは、イエスのようになるために極めて重要です。

常日頃から御言葉の水を心に深く吸収することによって、私たちは次第に新たにされ、変えられて、もっとイエスのようになるのです。私たちが読み、深く思うものを適用することで、私たちは、神の御心に沿った人生を生きるための恵みを得られます。なぜなら、神の言葉はわたしたちの足のともしび、道の光なのです。[4]

御言葉を通して神と深く交わる時間を取りましょう。きっと人生が変わるでしょう。

イエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである。」 [5]

イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。」 [6]

あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。[7]

わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。[8]

初版は2014年1月 2019年8月に改訂・再版
朗読:ガブリエル・ガルシア・ヴァルディヴィエソ


1 マタイ 7:24–25.

2 ヨハネ 6:63.

3 詩篇 119:15–16.

4 詩篇 119:105.

5 ルカ 11:28.

6 ヨハネ 14:2.

7 詩篇 138:2.

8 詩篇 119:15–16.

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