引用文集
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私には長年の決まりがあって、それは主イエス・キリストを親友として扱うことです。主は単なる信条や教理ではありません。私たちが持っているのは、主ご自身なのです。—ドワイト・L・ムーディー
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「わたしはもはやあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからだ。しかしわたしは、あなたがたを友と呼び、父から学んだことを、すべてあなたがたに教えた。」[1]
これは私のお気に入りの聖句の一つであり、また最も大切に感じているイエスの一面でもあります。イエスは私の友なのです!
私はこれまで人々と、数多くの様々な関係を持ってきましたが、イエスは私の友でいて下さいます。
これまでの全人生を通じて、その遍歴のあらゆる行程において、イエスは一度も失望させられませんでした。イエスは私の友です。
ああ、イエスよ、愛しています! あなたは栄光に満ち、あなたの愛と存在と友情は、私の心を愛と崇敬の念で満たしてくれます。イエスよ、あなたの友となる方法を教えて下さい。
地上の人生においては、真の友人は数人しか持つことができません。私の生活範囲とその周りには、友人になる可能性のある人たちが大勢いますが、単に大勢と友人になれるような時間がないのです。真の友人となるには、一緒に時間を過ごす必要があります。また、率直さや正直さも必要であり、それと共に、どんな代価がかかろうとも、互いの人生の冒険や計画や進展について知り、分け合いたいと願っていなければなりません。…
イエスとの違いは、主は友となる相手を数人に限定する必要などなく、ご自分の友となり、共に交わり、従いたいと願うすべての人の友となって下さることです。これは素晴らしいことです! 何の制限もなしに、何百万、何十億という人々が、イエスという友人を持つことができるのです。イエスは決して変わることがありません。あなたは主に頼ることができます。
胸躍らせるようなイエスの一面とは、ご自分を「罪びとの友」と呼んでおられることです。ここで聖なるイエスが、ご自分のことを罪びとの友であると言っておられるのですから、あなたや私にも望みがあります!…
イエスはあなたの友となって下さるでしょう! 今から永遠に至るまで!—アーサー・ブレシット [2]
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友情を「相手の心を知り、自分の心を相手に打ち明けること」と定義した人がいます。私たちは、信頼している相手に心を打ち明けますが、その信頼する人とは、私たちのことを気にかけてくれる人です。私たちは友人に秘密を打ち明けます。それは、彼らが私たちを傷つけるためではなく、私たちの益のために、それらの情報を用いてくれると信じているからです。そして相手も、同じ理由で私たちに秘密を打ち明けてくれるのです。
私たちはよくイエスを友と呼びます。主が私たちにとっての最善を望んでおられると知っているからです。私たちは主を信頼しているので、主に秘密を打ち明けます。けれども、イエスもご自分の人々に秘密を打ち明けられるのだということを、考えたことがありますか?
イエスはご自分の弟子たちを、僕ではなく友と呼び始められました。主は彼らを信頼して、父なる神から聞いたことをすべて伝えられたからです。[3] イエスは弟子たちが、父なる神の御国の益となるような形で、それらの情報を用いると信頼しておられたのです。
私たちはイエスが私たちの友であられると知っていますが、自分たちが主の友であると言うことができるでしょうか? 私たちは主に耳を傾けていますか? それとも主に自分たちの言うことを聞いてもらいたいだけでしょうか? 主の心の内を知りたいと望んでいますか? それとも、自分の心にあることをイエスに話したいだけなのでしょうか? イエスの友となるには、主が私たちに教えたいと望まれることに耳を傾け、それからその情報を、他の人々をもイエスの友とするために、用いなければなりません。[4]—「Our Daily Bread」より。
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親友の存在を大切に感じている人は大勢います。どんな人にも、親戚や近所の人や仕事仲間がおり、それ以外にも、時々一緒に働いたりつき合ったりする、親しい人々がいます。ふとした折りに、何気なく言葉を交わす人々が。けれども親友となると、その絆ははるかに緊密なものになります。親友が自分の結婚相手であるという人も大勢います。
親友とは、あなたが信頼できる人です。彼らは大抵の場合、ある程度の期間あなたの人生の一部となってきた人で、あなたの考え方や、反応や感じ方を理解しています。そして多くの場合、あなたの過去や、人生において何を経験してきたかを知っており、あなたの勝利や問題や悲しみや、胸の奥に秘めた懸念に気づいています。彼らはあなたが信頼して話せる人で、祈りが必要な時にそこにいて助け、話を聞いてくれます。あなたは彼らが利他的にあなたを援助し、励まし続けてくれるとわかっています。
親友と心を通わせると、他の人にも相手のことを知ってほしいと願うようになります。何であれ自分のしていることに、彼らも関わってほしいと望み、また自分も、相手がしていることに関わっていると感じていたいのです。要するに、あなたの人生とあなたの親友の人生は絡み合っており、あなたがたは他の大勢の人々との関係にはないような、深く個人的な形で互いを理解し、受け入れているのです。
あるクリスチャン・ウェブサイトを開設しているジャック・ザバダ[5] は、イエスがどのような個人的な友でいて下さるのかについて語っています。
イエスは人が誰しも感じる孤独感を、身をもって経験されました。そして、私たちが救い主同様、友をも必要としていることを理解されたのです。
主にまさる友を持つことなどできるでしょうか? イエスは常に忠実です。あなたのすべての欠点をゆるして下さいます。主はあなたが最も必要としている時に、あなたを支え、励まし、あなたが話したい時には、いつも耳を傾けて下さいます。主は疲れを知らない聞き手であられます。イエスはあなたが成長して、その潜在能力を余すところなく発揮する様を見たいと望む友人のように、あなたを愛しておられます。主は嫉妬などされません。ただあなたにとっての最善だけを望まれるのです。
私たちクリスチャンが、非の打ち所のない最愛の友人であられるイエスの誕生日を祝うことには、どんな良い理由があるのでしょうか。その様な友は他の人にも紹介し、模範として仰ぎ、また日々その方との関係を深めるために、できる限りのことをするだけの価値があります。私はイエスに、自分の生活のあらゆる部分に関わって頂きたいのです。主がしたいと望まれることは、何でも喜んでするつもりです。もし主が一緒にそれをして下さるのならば。私たちが何をしているかではなく、私たちの友情を深めることの方が大切だからです。もし主が、万事において私の友人となって下さるなら、私の方もそのお返しに、ぜひとも主の友人でありたいのです。
主は次のように保証されています。私が失敗し、信仰を失った時もなお、忠実でいて下さると。[6] その様な友情のためなら、どんな代価も払うだけの価値があります。けれども、主はそれを私たちに、贈り物として与えられるのです。その贈り物を他の人にも分け合うことは、私たちにできる最小限のことです。
クリスマスを、救い主の誕生を祝うだけではなく、私たちの最高の友を称える時としましょう! 主が一番欲しがっておられるものをプレゼントしましょう。つまり、主が他の人々にとっても、同様に素晴らしい救い主や、申し分のない友人となられるための機会を。—マリア・フォンテーン
2018年12月にアンカーに掲載 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
音楽:「Rhythm of Christmas」アルバムより、承諾を得て使用
1 ヨハネ 15:15.
2 http://www.blessitt.com/jesus-my-friend. 著者ブレシットは、十字架を担いで世界中のあらゆる国々を周り、世界で最も長距離を歩いた人物としてギネス世界記録に載りました。50年間に渡り、324の国々と諸島と地域において42,279マイル(68,041キロメートル)です。
3 ヨハネ 15:15.
6 2 テモテ 2:13.