引用文集
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第1コリント13章は、聖書で最も有名な章の一つとして際立っています。そのテーマは愛であり、聖書のこの部分を、パウロの著作物の中でも最高傑作であると考える人も大勢います。第4節には「愛は情け深い(親切)」と書かれています。
1節から3節には、大いなる宗教的努力の数々が語られる中、愛という言葉が3回出てきます。それらの行為も、愛なしには無に等しいというのです。それからパウロは、愛の特質を表す絵を描き始め、最初の一筆で明らかにしたのは、愛は情け深いということです。
情け深さ(親切)は御霊の実の一つとして挙げられています。[1] そのリストには愛も含まれており、それが愛と情け深さの密接な関係を物語っています。情け深く愛情深い人生を送ることは、神に喜ばれる生き方の一側面なのです。
情け深さには、慈愛と優しさという特徴が伴います。情け深く親切な人は他の人を助ける傾向があり、しかも共感と思いやりをもってそうします。神からくる愛は、人をさらに親切な人にします。愛情深いと同時に、不親切な人になることなど誰にもできません。
神は愛であり、[2] それは神が情け深い方であられるということです。神の情け深さによって、悔い改め[3] と救い[4] がもたらされるのです。神の情け深さの究極的な表現が、「キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛[情け深さ]による神の恵みの絶大な富」[5] という言葉に見られます。
愛は情け深いのです。神の栄光のために、より情け深い者となり、他の人をゆるすことができるよう、主が私たちを、その愛で満たして下さいますように。—gotquestions.org より[6]
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あなたは自分の語った言葉を後悔することがある
また、どこかに行ったこと、あるいは行かずに留まったことを
自分が勝ったこと、あるいは負けたことを
お金や時間を使いすぎたことを
しかし人生を送る内に、やがて気づくだろう
親切な行為を後悔することは、決してないということに
—ハーバート・V・プロクナウ
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小さなことは重要だ。ちょっとした親切な行為は、愛と優しさに満ちた雰囲気をもたらす。小さなことは、非常に大きな意味を持つものになり得る。それによって、愛する人々があなたのことを心に留めて思いやり、あなたの人生をもう少し明るく、良いものとするために、格別の努力を払ってくれたことがわかるからだ。それも、あなたを愛し大切に思っているという以外は、さして特別な理由もなしに。
ふと思い立って行う親切な行為の持つ価値を見くびってはならない。親切な行為の連鎖反応を起こして、あなたの人生に愛が花開くのを見なさい。きっと後悔することはないだろう。—イエス、預言で語る
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親切でありなさい。あなたが出会う人全員が、つらい戦いを戦っていることを思い出すのです。—ジョン・ワトソン
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親切は、行動に移された愛であり、シンプルで日常的な形に変換された愛です。それは他の人を気遣うことです。「人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」[7] という黄金律に則って生きることです。他の人のしくじりやささいな欠点に目をつぶることです。また、神が自分に対してそうであられるように、他の人に対して心優しく、寛容でいることです。[8]
思いやりは善意を生み出します。思いやりのある言葉や行為によって、他の人は自分が幸せで元気でいることがあなたにとって重要なのだとわかり、自分もあなたに対して同じように接したいと思うようになります。思いやりは、与えてしまうのが最も難しいものの一つです。与えても、ほとんど常に与え返されてしまいますから。人を思いやることには、何の費用もかかりませんが、それによって非常に多くのことが達成できます。思いやりのある微笑みや言葉が、大変な一日を送っている誰かの世界に、大きな違いを生じさせるかもしれません。小さな愛が、本当に大きな影響を与えるのです!
思いやりは、誰もが理解できる言語です。私たちクリスチャンは、他の人に対する、神の愛の大使です。私たちが思いやりを示すなら、神の愛や気遣いが相手に伝わり、彼らを神に引き寄せ、勝ち取る助けになるのです。—ラファエル・ホールディング
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親切な言葉は、世界の音楽です。それには、自然の要因を超越したかのような力があります。まるで、道に迷って地上に紛れ込んだ、天使の子たちのようなのです。—フレデリック・ファーバー(1814–1863)
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2012年の2月に、コリー・ワイズマンはゲティスバーグ大学の男子バスケットボールチームを率いて、シーズン最後の試合を戦いました。彼はその4年前に脳卒中を起こし、体の片側が麻痺してしまいました。4年間のリハビリののち、びっこをひいて歩けるようにはなったものの、まだ充分に戦えるほどではありませんでした。けれども、脳卒中を起こす前には代表チームの選手だったため、ゲティスバーグのコーチは、4回生の彼を数分間コートに出してやりたいと考えました。そうしてコリーはキャプテンに指名され、卒業を控えた彼にとってはゲティスバーグでの最初で最後となる試合で、5人いるスターティングメンバーの1人となったのです。
ただそこにいるだけでも大変なことを知っている観衆や両チームの選手たちは、割れるような拍手で彼を迎えました。ゲティスバーグのコーチは、彼を数分間コートに出し、その後ベンチに下げました。
残り時間あと1分という時、ゲティスバーグは大差でリードしており、コーチは再びコリーをコートに戻しました。ワシントン大学のコーチはタイムを取り、コリーに対して反則をするよう、選手に指示を出しました。バスケットボールを知らない人のために説明しますが、これは非常に思いやりのある行為なのです。それによってコリーは、2回シュートするチャンスがもらえたからです。
コリーはフリースローラインに立って、手で支えたボールを押し上げてシュートしました。それは大きく外れましたが、彼には2回目かつ最後のシュートが残っています。再びボールを手で支え、押し上げてシュートしました。すると今度は、ボールがまっすぐにゴールに入り、観客は嵐のような拍手喝采を送ったのです。
ゲティスバーグ運動部長補佐であるデービッド・ライトは、後にワシントン大学にこう書き送りました。「私は大学対抗運動競技に30年間携わってきましたが、貴校のコーチであるロブ・ヌジェント氏および…スタッフや学生選手の皆さんが示されたような深い思いやりは、これまで一度も見たことがありません。」 ―storiesforpreaching.com より[9]
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良い行いは決して失われることがない。礼儀正しさを蒔く人は、友情を刈り取る。親切を蒔く人は、愛を収穫する。—カイサリアのバシレイオス(329頃–379)
2018年11月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク 音楽:マイケル・ドーリー
1 ガラテヤ 5:22–23.〈「情け深さ」は、和訳聖書では「慈愛」「親切」など。以下の脚注で「」内に記されたものも同様に、英訳聖書の「kindness」に対応する和訳聖書の言葉です。また、本記事中で「kindness」は「情け深さ、親切、思いやり」などと訳されています。〉
2 1 ヨハネ 4:8.
3 ローマ 2:4.〈「慈愛」「憐れみ」など〉
4 ローマ 11:22.〈「慈愛」「いつくしみ」など〉
5 エペソ 2:7.〈「慈愛」「いつくしみ」など〉
7 マタイ 7:12.
8 参照:エペソ 4:32.
9 http://storiesforpreaching.com/cory-weismans-basket, reported by Frank Record, “When there’s more to winning than winning” NPR Radio, Feb 22, 2012.