どちらのギターを弾きますか?

8月 29, 2018

Which Guitar Would You Play?
August 29, 2018

ジョージ・ソシク

下の二つのギターの写真をよく見て下さい。あなたがギタリストなら、どちらを手に取って弾きますか? おそらく、フレット(弦が押し付けられる、フレットボード上の薄い金属片)が真っ直ぐな、上のギターを選ぶのではないでしょうか? さて、一番いい音が出るのは、下のギターだと言うギタリストもいると聞いたら、驚かれるかもしれません。おかしな話ですよね?

熟練したギター奏者であれば、たとえ最高級のギターであっても、フレットボード上のあらゆる場所で、すべての音やコードが完璧な音程になるよう調律するのは、実際には不可能であることを知っています。ギターは数百年間ずっと、本質的にそのような作りになっているからです。

典型的なギターの場合、フレットボードに沿って間隔を空けて配置されている、従来の真っ直ぐなフレットは、フレットボード上のすべての場所で完璧な音程を出せるような、正確な位置にはありません。つまり、完璧なコードEの音を出せるよう、ギターを完璧に調律しても、コードGを弾く時や、あるいはボードのもっと先の方でEと同じ押さえ方をして弾く時には、音が外れて聞こえることがあるということです。他のコードや音についても同様です。これはギタリストが対処せねばならない厄介な問題の一つであり、彼らがよく曲の合間にギターを調律し直すのは、これが理由でもあります。

ギタリストの中には、幾つかの弦をわずかにずらして調律し、絶妙な中間音が出るようにする人がいます。そうすれば、フレットボードのどこでどんな音やコードが弾かれようと、全体的には十分良い音に聞こえる程度に、完璧な音程に近づくからです。特定のコード進行パターンで弾くために、それに最も適した音程に調律するギタリストもいますが、そのままで異なるコードパターンの曲を弾くと、音が外れているように聞こえてしまいます。

あるルシアー(ギター製作家)は、このギター固有の弱点との絶え間ない格闘の末に、すっかり嫌気がさし、そのような問題がまったくないギターを作ろうと決心しました。彼が考案したのは、フレットの歪んだ「トゥルーテンペラメント(真に整律がされた)・ギター」です。彼はフレット上のどこで、どんな音やコードを弾いても、完璧な音程が出せるよう、それぞれの音についてフレットを押さえる位置を正確に測ることによって、フレットの調整を行いました。その結果、フレットが幾分歪み、ねじれて見えますが、使っている人は、美しい音を出す素晴らしいギターであると断言するのです。

これは、私たちにとってどんな重要な意味があるのでしょうか? そのように明らかに変な形のフレットが付いたギターを作るなんて、一見、ギター製作家がどうかしたかのように思われますが、そのギターはいわゆる「まともに見える」ギターよりも、はるかに調和のある音を奏でるのです。私たちもそうではないでしょうか? 聖書は、生まれながらの人の目に正しく適切に映るものは、神が用いられるのには適していないことがあると述べています。事実、その正反対かもしれないと。以下の節について考えてみて下さい。

しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」—サムエル上 16:7〈新共同訳〉

万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。—ゼカリヤ 4:6

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。—1コリント 1:25–29

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。—2コリント4:7

私たちは、様々な弱さや欠点のせいで、自分がトゥルーテンペラメント・ギターのフレットのように、不完全で歪んでいるように感じますが、音楽の名手であられる主の御手にかかれば、主のために美しい旋律を奏でることができます。私たちの音が実際に、わずかに調子を外れて不協和音となり、その結果さまよえる人々にとって、あまり魅力的でなくなってしまう可能性があるのは、完璧に真っ直ぐではあるけれども、実際は不完全なフレットを持つ普通のギターのように、独善的にも自分がこの上なく善良で「真っ直ぐ」であると考えている時なのです。

神は目的あって、私たちがこのように不完全であることを許しておられます。私たちがより有用な器となり、ご自分に栄光が帰されるように、そうされるのです。

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