しなくちゃいけない?

6月 20, 2018

Do I Have To?
June 20, 2018

ミラ・ナタリヤ・A・ゴヴォルハ

私はたまに日曜学校で、3才から5才の子どもたちにバイブルクラスを教えます。ごく少人数のグループで、たった4、5人しかいない時もあります。よく顔を見せるある女の子は、とても賢く、はっきりと物を言う、我の強い性格で、最近は、ちょっとしたことでもかなり頑固に振る舞う時期を通っていました。ある時などは、髪がぼさぼさだからという理由で、クラスに出たがらず、そのくせ母親が、自分の髪をブラシで梳かすことを、頑として拒みました。母親が、お気に入りのピンクの花模様のヘアバンドを持ってくるのを、忘れたからです。私が手芸箱の中から、ピンクのリボンを見つけてくると、その子は何とか私に自分の髪を三つ編みにさせてくれました。

髪を編み終えると、その子は母親からは優しく、父親からは断固とした口調で促されたにもかかわらず、どうしても「ありがとう」と言いませんでした。どうやら、そんなにも不機嫌だった本当の理由は、両親や他の人たちから沢山の関心をもらっていた妹への、嫉妬だったようです。礼を言うよう再度促されると、その子は胸の前で腕を組んで、じろりとこちらを見、低い声で腹立たしそうに、「しなくちゃいけない?」 と尋ねました。

私は一瞬、言葉に詰まりましたが、「いえ、いいのよ」と言い、それから礼儀正しい振る舞いが、複雑な人生を「円滑」に、人間関係を幾分容易にしてくれることや、「すべての事について」[1] 感謝することが、神の御心であるのはもちろんのこと、とりわけ感謝によってわだかまりは消え、感謝に満ちた心は、常に喜ばれるのだといったことを説明しましたが、どうしても折れてくれませんでした。他の子どもたちも待っていたので、私たちは仕方なくクラスを始めました。

このことがあった月は、私にとって感情的につらく、苦悩に満ちたものでした。別の大陸に住んでいる息子が、3週間こちらを訪問することになっており、会うのは1年ぶりでした。もっと近いとはいえ、やはり海外に住んでいる彼の兄も、私たちに合流する予定でした。私たちは冒険で一杯のプランを立てました。宿を予約し、予定には計画していた色々な楽しい活動が、ぎっしり詰まっていました。でも、実現には至りませんでした。諸々の理由で、全部中止になったのです。

私はすっかり打ちのめされ、数週間立ち直ることができませんでした。あんなことが起こるのを許されるなんて、主は本当に気にかけていて下さるのだろうかと疑ったほどです。できる限り頻繁に、祈ろうと努めました。とりわけ、目覚めた時に、また眠りにつく直前には。多くの人がそうであるように、私は物事がうまくいかない時の方が、もっと頻繁に祈るのです。

例の日曜学校の生徒に対応した日の夜、私は眠ることができず、息子たちのことを考えました。彼らはもう大人ですが、今でも幼かった頃の、かわいくていたずらな振る舞いを覚えています。〈ああ、なぜ今彼らと一緒に居られないのでしょう?! 何か月も前から会おうと計画していたのに! なぜですか、主よ?!〉 神に対して苛立つ権利などないと、頭ではわかっていましたが、心は苛立っていました。その時、三つ編みとピンクのリボンの一件を思い出しました。〈私は神の目に、腕組みをしてふんぞりかえっている、頑固な少女のように見えるのかな? そして今、思い通りにならないからと、子供のように腹を立て、その不機嫌な反応によって、他の人たちに迷惑をかけているのかしら?〉

私は古びた写真アルバムを引っ張り出して、古い写真を眺めながら、笑ったり泣いたりしました。とても沢山の素晴らしい瞬間。分け合われたとても多くの愛。これは当時5、6才だった息子たちに、寝る前に本を読み聞かせている私。こちらは、彼らと一緒に料理をしているところ。そして、彼らが音楽学校で演奏している写真。あちらは、息子たちやその仲の良い友人たちと一緒に、ボードゲームで遊んでいるところ。

私はパソコンに入っている写真のファイルを開きました。去年の冬、山で3人で撮った写真。スノーボードをする息子たちを、動画で撮影する私。次は息をのむような景色に囲まれて、一緒に馬に乗っているところ。もう一枚は、数年前に子ども病院のピエロショーでボランティアしていた時の団体写真。こちらは、数年前に優秀な成績で卒業して、メダルをもらっている下の息子の写真。それから去年の夏に、長男が雄鶏に餌をやっている様子を、写真に撮っている私。

それから、去年の私の写真です。ヨーロッパ中を旅して、山でハイキングをし、海で泳ぎ、コンサートに行き、美術館を訪れ、ボランティアたちを訓練し、孤児院の壁に絵を描き、大学で勉強し、自分の誕生パーティーでケーキを切り、古い友人たちと会い、新しい友人を作りました。書き記すに値する、数えきれないほどの物語によって、心が感謝であふれます。最高に甘美な思い出や、忘れがたい瞬間が、無数にあったことを思い出します! 感謝すべきことが、本当に沢山あるのです!

私は神に、「ありがとう」と言わなければならないでしょうか? そうですとも! 神に感謝の気持ちを伝え、神が私たちを住まわせるために、どんなに素晴らしい世界を造って下さったかを、思い出したいのです。神に感謝し続けなければなりません。自分や、他の人たちや、息子たちのために、そして将来の孫たちのためにも! 私はその子たちに、他の人たちや、私たちを無条件に愛して下さる神に、「ありがとう」と言うことを教えるつもりです!


1 1 テサロニケ 5:18.

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