天国とのコミュニケーション

3月 12, 2018

Heavenly Communication
March 12, 2018

「主よ、祈ることを教えてください。」

デービッド・ブラント・バーグ

オーディオ所要時間: 11:03
オーディオ・ダウンロード(英語) (10.1MB)

祈りのうちに声を上げて主に呼びかけることは、真に生まれ変わった神の子全員が自然とすることであるべきです。神は、神の子どもたち、つまり、神を真に知っている人たちが、単に他の人の祈りや信仰に頼るのではなく、個人的に神に触れ、直接的なつながりを持つことを求めておられます。それゆえ、天国的な連絡手段、つまり私たちと天国を結ぶ神の電話である祈りを通して、各々が個人的で親しい接触をすることを学ばなければならないのです。

「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じ」[1]ではありますが、自分一人で全ての問題を解決することはできず、神の助けが必要であると、私たちが告白することを、神は望まれます。私たちが謙遜になって、喜んで祈りを捧げ、神の力を認識し、神の助けを求めることで神への信仰を示すよう、望んでおられるのです。言うまでもなく、神は祈りに答えたいと思っておられますが、それは、私たちに神が必要であることを思い起こさせるためだけではなく、私たちが神の助けを感謝し、そのために神を愛するようになってほしいからでもあります。ちょうど父親のように。

主は、私たちの問題や質問、困った事態に対する答えを与えるのが大好きなのです。そして、私たちが主の導きを求めることを望んでおられます。主はこう言っておられます。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」[2]

続けて、こんなことまで言っておられます。「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」[3]

だから、自分一人で問題を全て解き明かし、決断を下そうとすべきだなどと、考えないでください。ひざまずいて祈り、神の答えを受け取るのです。神はこう言っておられます。「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」[4]

「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」[5] けれど、神と共にいれば、「わたしを強くして下さるかた[キリスト]によって、何事でもすることができる。」[6] だから、答えを切実に必要としている時には、イエスにそれを告げてください。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」[7] イエスは、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われました。しかし一つ条件があります。それは、「わたしのもとにきなさい」ということです。 [8] 祈りにおいて、また信仰を持って、主のもとへ行き、答えを求めるなら、それが与えられます。

祈りとは、そういうものなのです。それは単なる宗教儀式ではなく、生きた関係です。あの讃美歌でもこう歌われているように。

イエスという何と素晴らしい友がいることだろう
私たちの全ての罪と悲しみを負ってくださるとは
何という恵みをいただいていることだろう
祈りのうちに全てを神に携えていけるとは
ああ、何と素晴らしい平安を私たちは失ってしまうことか
ああ、何と不要な痛みを私たちは抱えることか
単に私たちが
祈りのうちに全てを神に携えていかないために
—ジョゼフ・M・スクリーヴェン(1820–1886)[日本では、讃美歌312番「いつくしみ深き」として知られています]

主の肩はどんな荷も負えるほど、十分に広く、ご自身の荷を含めたすべての荷を、一手に引き受けることができます。

天国から聞く

多くの人にとって、祈りは一方的な会話であり、自分だけがしゃべっています。あの預言者サムエルは、5歳の子どもにして「しもべは聞きます。お話しください」[9]と言ったのに、ほとんどの人は「主よ、お聞きください。しもべは話します」と言っているのです。

祈りとは、ただひざまずいて自分の言いたいことを言うことではありません。神がおっしゃりたいことを語っていただくことです。だからこそ、私たちはそれぞれ、主を直接に知って、聖霊に満たされ、個人的に御霊に導かれなければいけません。そうすれば、私たちは個人的に主を求めて、個々の状況で必要とされる答えを見出すことができるのです。

私たち一人一人が学ぶ必要のあること、それは神に従い、毎日新しく神から聞くことです。一度霊感を受け、それだけで残りの人生をやっていくことはできません。私たちは皆、神から聞く必要があります。耳に聞こえる声とは限りません。耳では聞き取れない時もあります。心の内で感じる「静かな細い声」[10] でいいのです。それは時には言葉でさえなく、心に受ける印象かもしれません。神は、必ずしも言葉でコミュニケーションする必要がなく、何らかの気持ちやイメージやアイデアをくださることもあります。

神の御霊は放送局のようなもので、常時、放送しており、あなたはただ周波数の合わせ方を学べばいいのです。もしあなたの経路が開かれていて、周波数を合わせることができるなら、主はあなたを満たしてくださいます。思いも心も、耳も目も。あなたが信じるなら、イエスはいつどこででも話してくださいます。その時にあなたが霊の目や耳で見聞きするものが主からのものであり、それはあなたにとって大きな慰めになるでしょう。

静かな時間

いつもイライラし、思い煩いながら、大慌てで走り回っているなら、全神経を、目と耳と思いと心とを、主に集中させて、問題に対する主の解決策や、質問に対する答えをいただいたり、その状況における最善の決断を下したりはできません。

主は言われます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。穏やかにして信頼しているならば、力を得る。」[11] 主から聞こうとするならば、いつかどこかで、どうにかして、一人になって静まらなければなりません。

モーセからイエスに至るまで、偉大な神の人は全て、瞑想し、祈り、神と交わる時間を取るために、しばらく「自分の山」へ退かなければいけませんでした。イエスは、弟子たちより早く夜明け前に起き、丘を越え山に登って、神と二人きりになり、父から指示を受けなければなりませんでした。[12]

御国の用事で忙しすぎて、王の王との時間をなおざりにするなら、あなたの霊的生活や主との交わりに悲惨な結果をもたらしえます。主の力と導きがなくては、主の仕事をすることができません。そして主の力を得るには、主との時間を過ごさなければなりません。

神の言われることに耳を傾けるなら、一日が始まらない内から、神はたくさんの問題を解決してくださるのです。しかし、まず主に語り、最高司令官である主からの指示を受けるために時間を割こうとせず、すぐにあらゆる厄介ごとに取り掛かるなら、あなたは司令部に耳を傾けることもせず、上からの指揮もなしに、独力で戦争を戦おうとする兵士のようになってしまうことでしょう。

私たちは皆、神との静かな時間がもっと必要であり、休息し、再び満たされ、神の言葉という生きた水を飲み、祈りによって神と交わらなければなりません。それはあなたを完全に回復させて元気づけ、新たなビジョンやインスピレーション、強さ、休息、平安、喜びを与えてくれます。なぜなら、こう書いてあるのです。「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」[13]

「すべての道で主を認めよ。」(箴言3:6)

イエスは私たちが常に祈るべきであると言われました。「失望せずに常に祈るべき」[14]であり、「目をさまして祈っていなさい」[15]と言われたのです。パウロもまた、「絶えず祈りなさい」[16]と言っています。祈りとは、私たちが絶えず主に近くあり、主の御前にあって常に主に頼って生きるようにさせるための、主の方法の一つです。

祈りとは息をするようなものであって、常に聖霊を吸い込み、絶えず主と交わることなのです。

主は言われます。「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」[17] これは、しがみつくのに最も素晴らしい聖句の一つであり、特に決断を下す際にはそうです。私たちは全ての答えを知っている必要はなく、自分のアイデアや知恵に寄り頼む必要もありません。ただ主とその導きに寄り頼めばいいのです。

何をするにしても、それについて祈りましょう。主は常に、あなたのすぐ側にいてくださいます。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言っておられるのです。[18] 神は常に、そこにおられます。神がおられないことなど、ありません。時々そこからいなくなるのは、私たちの方です。祈るのを忘れ、神を置き去りにしてどこか別の場所に走り去ってしまうのです。

私たちが主を認めるなら、主が私たちの道を導くと約束されました。主は、私たちが「そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く」[19]と言っておられます。だから、何もするにも、まずは主に尋ねて、それは神があなたにして欲しがっておられることかどうかを確かめてください。

全てのことについて神を求めましょう。全ての問題、全ての決断について。そうすれば、神は決してあなたを失望させることも、期待を裏切ることもされません。

1984年初版のデービッド・ブラント・バーグの著書より
2018年3月に改訂・再版 朗読:サイモン・ピーターソン


1 マタイ 6:8.

2 マタイ 7:7–8.

3 マタイ 7:9–11.

4 エレミヤ 33:3.

5 ヨハネ 15:5.

6 ピリピ 4:13.

7 詩篇 55:22; 1 ペテロ 5:7.

8 マタイ 11:28–30.

9 サムエル上 3:10.

10 列王上 19:12.

11 詩篇 46:10; イザヤ 30:15.

12 マルコ 1:35; ルカ 6:12.

13 イザヤ 40:31.

14 ルカ 18:1.

15 マタイ 26:41.

16 1 テサロニケ 5:17.

17 箴言 3:5–6.

18 ヘブル 13:5.

19 イザヤ 30:21.

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