あなたは泥を見ていますか? それとも星を見ていますか?

10月 10, 2017

Are You a Mud Viewer
or a Star Gazer?
October 10, 2017

引用文集

オーディオ所要時間: 7:55
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私たちは皆、自分にがっかりし、望んでいた自分や状況にないことで落胆することがあります。すべて揃っているように思える人を見て、自分には何かが欠けていると考えます。

人はこのように考えがちですが、意外なことにこれは非常に危険な考え方です。そして、他の人たちや主との関係に影響を与えてしまいます。神は私たちを造られました。だから自分のイヤなところを考えるなら、それは神に「あなたはお粗末な仕事をされました。がっかりです」と言っているのと同じです。

誰でも簡単にマイナス思考の罠にひっかかってしまいます。でも、忘れないでください。たとえどんなに深くマイナス思考の罠にはまっていても、そこから抜け出せる方法があります。

こんな名言があります。「2人の囚人が鉄格子から外を眺めた。1人は泥を見た。1人は星を見た。」 彼らは同じ風景を見ていたのですが、まったく違った部分に集中していました。自分を見つめる時、どこに集中したいのか選ぶことができます。良いところ、または悪いところに。

自己評価を高めるとは自分が完璧、または他の人よりも良いと考えることではありません。それは非常に誤った態度です。私にとって自己評価とは神があなたを愛し、理由があってあなたを造られ、計画があると知ることです。神は「恐るべく、くすしき方」1だとダビデ王が賛美した節が、私は大好きです。[1]

もし自分に嫌いなところがあったとしても、あなたは自分の良いところに集中し、神はすべて承知の上であなたを造られたと信頼することを選べるのです。

エペソ書にはこのような節があります。「私たちは神の作品であって、良い行いをするようにキリスト・イエスにあって造られたのである。」[2] 「神の作品」とは「傑作」のことです。あなたは「月並み」の作品ではなく、世界でただ一つの作品であることを証明しています!

自分自身や自分がいる状況にがっかりする時、私はこの節を思い出します。「あなたがたのうちに良いわざを始められた方が、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるに違いないと確信している。」[3]  そして、私は「きっと主は私をまだ完成させられていないのだ」と考えるのです。

画家が懸命に難しい絵を描いているとします。すると絵の方が、何かが欠けている、または十分美しくないと感じて、「やめる」と言い出しました。画家はきっと「私はまだ終わっていない! ちょっと待ちなさい!」と反論することでしょう。神は最高の画家なので、私たちを失望させることはしません。すべて筋が通り、最後にはうまくいくはずです。

祝福を数え、あなたやあなたの人生の良いところに集中するようにするなら、あなたの世界を見る目が変わるでしょう。そうすれば、驚くことに世界があなたを見る目も変わり始めるはずです。—ティナ・カップ[4]

神はあなたを信じておられる

聖書には、イエスが故郷の町に行った時の話が記されています。それは聖書の中でもとても悲しい話の一つだと思います。その章の最後の節を読めば話が大体わかります。「そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざをあまりなさらなかった。」[5]

町の人たちはイエスのことを知っていました。小さい頃からよく知っていたので、イエスのことをそれほど期待していなかったのでしょう。だから、奇跡や不思議をするようになってから帰ってきたのに、彼らはそのことを信じられなかったのです。彼らは「この人は大工の子ではないか?」と言いました。[6] まるで、「この人を知っているよ。ただの大工だ。奇跡なんてできないよ。神の御子であるはずがない」と言っているかのようです。

町の人たちがイエスとその力を信じなかったように、私たちも自分自身と自分を通して働くイエスの力を信じられないことがあります。私たちは、自分を信じないことで、自分を制限している場合がよくあります。ネガティブなセルフトークによって自らを抑えつけているのです。できないと信じているので、やってみることさえしません。

私は素晴らしい仕事を得た人の話を聞きました。技術はありませんでしたが、彼らはやってみようという気持ちがあったから、やり遂げたのです。そのような1人にエンジニアの仕事を得た人がいます。それには専門的な配管機材を扱わなくてはいけません。彼はそのための訓練を受けたことがありませんでした。そういった分野については真剣に考えたことさえなかったのです。けれども、それについて学び、訓練を受ける機会が訪れた時、彼は信仰によって進みました。そして、今ではとてもうまくいっています。

また、ウェブ開発者としての仕事をもらった人もいます。彼にとってウェブ開発はちょっとかじっただけで、ほとんど知識がありませんでした。けれども、神がその方向に導いておられると気づいてから、彼はその話に乗りました。一歩一歩勉強していき、期待していた以上のことができるようになりました。それもこれも最初の大きな一歩を踏む意欲があったからです。

さて、あなたはどうでしょうか? あなたの人生において特別なことができるイエスの能力を邪魔していませんか? あなたを通して働かれる主の力を信じられないために、自分にできるかどうか定かではない夢の実現を邪魔していませんか? 何度も「できない」と言ってきたために、自分にはできると信じるのをやめてしまいましたか?

中には、自分自身や自分の能力を低く評価することは「謙虚だ」と思っている人がいます。「私はそんなに賢くないから」とか「それは才能がある人の仕事だ」などといったあらゆるひどい言葉を自分に言い聞かせます。私たちはネガティブなセルフトークや自分に対する疑いによって、自滅してしまいます。

神は私たち1人1人に計画を用意しておられます。それには疑いの余地がありません。神が用意しておられる計画はあなたの期待とは違うものかもしれませんが、神に任せるなら、神はあなたを使われます。あなたが喜んで腰を上げ、信仰の一歩を踏み出すまで、その計画がどんなものかわかることはありません。

 1コリント9章24節には、「賞を得るように走りなさい」と書かれています。オリンピック走者は「もしかしたら勝てるかもしれない」と思いながら競技に出場しません。「勝てない」と思いながら出ることはまずないでしょう。絶対に勝つと心に決め、すでにメダルを手にしたかのように走ります。

神が大いに期待しておられるとわかれば、自分自身にももっと期待できるようになります。最初の一歩を思い切って踏んでみましょう。それから走り続けるのです。—マリー・ストーリー[7]

2017年10月アンカーに掲載 朗読:デブラ・リー


1 詩篇 139:14.

2 エペソ 2:10.

3 ピリピ 1:6.

5 マタイ 13:58.

6 マタイ 13:55.

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