あなたの周りを照らそう

3月 8, 2017

Light Up Your Corner
March 8, 2017

エベリン・シクロフスキー

今では耳慣れた、あの赤ちゃんが悲しげに泣く声に目が覚めました。カーテンの向こう側で、赤ん坊をあやす母親の疲れた声がします。その時、私は15歳でした。前日に扁桃摘出術を受けて小児科病棟にいたのですが、予想外の問題が生じて、喉と耳の痛みが酷く、深く眠れません。アイスパックを顔と喉に押し当てながら、看護に疲れた様子の母親が、泣いている赤ん坊を抱いて揺らしながら狭い廊下を行き来するのを眺めていました。

その男の子は、口の上に包帯が巻いてあるので、泣き声が幾らかこもった感じでした。前日、母親が看護師に、その子は生まれた時から上唇がなかったと話しているのが聞こえました。生後4ヶ月で、すでに3度目の手術です。1歳の誕生日までに少なくともあと3回の手術が必要で、手術のたびに少しずつ上唇を付け足していくそうです。

前の晩の面会時間に、その子の父親が見舞いに来ていた時のことが思い出されました。建設現場で働いている人のようで、仕事が終わってそのまま病院にやって来たのが明らかでした。その父親は、優しく息子を抱きかかえ、その子の口に少しのミルクを含ませ、優しく頭を揺すって、飲み込むのを助けていました。上唇がないので、他の赤ん坊のように哺乳瓶から飲むことができないのです。

看護師が巡回でやって来たので、ふと我に帰って新しいアイスパックを受け取り、看護師が赤ちゃんの包帯を交換するのを眺めていました。赤ちゃんの泣き声がおさまり、なんとか眠りにつくのを見届けると、看護師は部屋を出て行こうとしたのですが、ふと立ち止まり、母親の腕に触れながら「大変ね」とささやきました。「はい」と応える母親の声は辛そうで、向こうを向いたまま涙声でこう言いました。「よく、なんでこの子をこんな風に産まれさせてしまったのだろうって思うんです。」

廊下を行く看護師の足音が小さくなって行く中、私の耳には母親の言葉がこだましていました。神はきっとこの母親に、神が彼女を愛し、気づかっており、決して咎めたりしないことや、すぐそばにいて彼女の気持ちを理解していることを知らせたがっておられることでしょう。そのことを母親に告げたくてたまらなかったのですが、一体どうすれば? まともに話せないのに? 手術の後、私の声はかすれ声で、ささやくことしかできず、話すのはとても大変でした。でも、あれこれ考えていると、子どもの頃に覚えたコーラスがふと蘇ってきました。

イエスは私たちが明るく純粋な光を放つようにと言われる
夜に燃えるロウソクの火のように
この暗い世の中で私たちは輝かなければ
あなたはあなたの小さな片隅で、私は私の片隅で[1]

薄暗い部屋を見回して、今はここが私の「片隅」なんだと思いましたが、何をどう言ったらいいのかはわかりませんでした。でもとにかく、アイスパックを置き、ベッドから出て話し始めました。声がよく出ないので、簡単な言葉で話し、少しぎこちなかったのもあり、いつもの恥ずかしがり屋が出て顔が赤らんでしまいました。でも、会話をする内に、母親の目にあった痛みや絶望が徐々に薄らぎ、平安と信仰に取って代わりました。一緒に祈りながら、神が自分のような小さなロウソクを使って、傷ついた心を主の光で照らしてくださったのを悟りました。

あれから何年も経ちましたが、あの時のことをよく振り返ります。私たち一人一人に、自分の小さな「片隅」があります。それは、家族、職場、学校、近所などです。私たちは、自分がちっぽけな存在で、何をしても意味がないと感じがちですが、神が中におられるなら、小さくても大きいのです。そして、神は確かに私たち一人一人の内におられます。[2] 私たちは神のロウソクであり、一人一人がこの暗い世界の片隅に置かれ、主のために独特の光を周りに放つ役割を担っています。どこにいようと、どんな形でも、私が自分の周りを照らすことに忠実であれますように。あなたもあなたの周りを照らしませんか?


1 『Jesus Bids Us Shine』(スーザン・B・ウォーナー、1868年)

2 「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。」(ヨハネ 14:20)

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