熱狂的になろう!

3月 6, 2017

Be Enthusiastic!
March 6, 2017

オーディオ所要時間: 7:56
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人々の関心を引き付けて、あなたの言葉や行動に注目させるものがあるとすれば、それは熱意です!enthusiasm(英語で「熱意」)という言葉は、ギリシャ語で「中に」を意味する「en」と「神」を意味する「theos」に由来します。つまり、熱意とは文字通り「神の中にいる」、あるいは「神が私たちの中にいる」という意味です。ですから、真に熱狂的な人とは、まるで神に取りつかれているかのように行動し、語る人ということです。

神の言葉は、「すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ」、[1] また、「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え」なさい[2] と告げています!

あらゆる時代を通じて、使徒や殉教者や神の偉大な人たち一人一人を突き動かしたのと同じ駆り立てるような情熱や、抑えがたいあわれみが、あらゆる言動において、誰とどこに行く時にも、神の子どもたち一人一人を突き動かしているべきです。使徒パウロはそれを、あの有名な心に響く言葉にまとめました。全ての真のクリスチャンが、真に善い行いをするたびに上げてきた心の叫びであり、そのためなら死ぬことさえいとわないという気持ちを表す、この言葉です。「キリストの愛がわたしたちに強く迫っている!」[3]

生まれつきの才能や能力や、あるいは物質的な面において、たとえ何が欠けていたとしても、神の言葉に従い、心が神の愛で燃え上がるよう、自分の中で、また自分を通して神に生きて頂くなら、その時神はあなたを大いに用い、大勢の人々への祝福とすることがおできになるでしょう。

デービッド・リビングストーンは若い頃、ある重要な決断に迫られました。日記にはこう書かれています。「私は自分が並外れた知性には恵まれていないと悟った。しかし今日、並外れたクリスチャンになろうと決心した。」 彼は主にすべてを捧げようと「心に決め」、真理に情熱を傾ける人間になろうと決意し、実際にそうなったのです! 彼は世が知る内で最も偉大な宣教師の一人になりました。

英国の歴史家アーノルド・トインビーは、こう言っています。「無関心さに打ち勝つものは熱意だけであり、熱意をもたらすものは二つしかない。第一に想像力をかきたてる理想であり、第二にその理想を行動に移すための、具体的かつ明瞭な計画である。」

さまよい死にゆく世界に、永遠の救いといつまでも続く天国的な生活をもたらすこと以上に素晴らしい理想を、人は持つことができるでしょうか? 世界はそのような理想もなしに、滅びつつあります。そして人は、イエスがその信者たちに与えられている、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えよ」[4] という言葉にまさる、どんな「明瞭な計画」を持つことができるでしょうか? 私たちクリスチャンは、全世界で最も熱意あふれる人々であるべきです!

使徒パウロも、神の偉大な熱狂家の一人でした。回宗する前にですら、誤った理想や計画のためではあるけれど、大いなる熱意を表明していたのです。

しかし、パウロは真理に目覚めるとすぐに、正しい側のために熱狂的になりました。その完全な献身と熱意を見て、他の人々も神のために燃え始めました。彼は仕事に取り掛かり、そうやって、ローマ帝国全域にキリスト教が広まったのです。

何ものもパウロの熱意をくじくことはできませんでした。ある時彼はこう証言しています。「ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」[5] パウロはこれらの困難や障害によって、神に仕えるのをやめたでしょうか? いいえ! どんな苦境や困難に見舞われても、かまわず神に仕え続けたのです。

神への情熱に燃えている人を止めることのできるものなど、何もありません。そのような人は何が何でも進み続けるでしょう。自分が正しい目的のために、そして唯一の常に正しい方のために、正しいことをしていると確信しているからです!

それでは、人生を主への燃える思いや情熱で満たしてくれる、そのような熱意や意欲を、どこから得られるのでしょうか? 神の聖なる御霊からです! 聖書はこう告げています。「わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。」 [6] そして繰り返し神の御霊を、火や炎に例えています。[7] ですから、主のために熱狂的になり、主の燃えるような塗油や霊感に満たされたいなら、ただ主にその御霊で満たして下さるよう祈り求めなさい。そうすれば、主はそうして下さるでしょう。

かつて誰かが、ある偉大な神の人に、成功の秘訣とは何かを尋ねると、彼はこう答えました。「私が神のために燃えると、世界は私が燃えているのを見に来るのです!」

私たちクリスチャンは、イエスの愛をあふれさせて、他の人たちにも分かち合いたいと願うほどに、心がその愛で満たされているべきです。イエスを持たない人々に、イエスを持っているあなたの方が良いものを持っているのだと示すためには、あなた自身が生き生きとして、熱意にあふれていなければなりません。

なぜ人々はイエスの言葉に耳を傾けたのでしょう? イエスは心から、霊によって語り、それによって命がもたらされて、人々は心を動かされました。それらの言葉はただ彼らの耳をくすぐるようなものではなく、彼らの心にまで届き、感動させたのです。イエスは言われました。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」[8] サドカイ人やパリサイ人(イエスの時代の宗教指導者たち)が語った言葉は教養のあるものでしたが、味気なく生気もなく、死以外の何ものももたらしませんでした。なぜでしょう? それは彼らが、頭の中の知識を語っていたにすぎなかったからです。

そこに違いがあります! 自分の心が燃えていない限り、誰の心にも火をつけることはできません。

もちろん、私たちは他の人に福音を伝える時ばかりではなく、何をするにも、そこに熱意を込めるべきです。聖書は与えられたどんな仕事においても、「人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい」[9] と述べています。何をするにも、たとえ最もつまらない仕事であっても、喜んで、意欲的に、熱心に取り組むことができるのです。意欲を与えて下さいと主に求めるなら、主はその御霊の聖なる火種を与えて、あらゆる雑用を喜びに変えて下さるでしょう!

熱心に祈り、忠実に御言葉を読むことによって、神のために燃えましょう。神が私たちを通して成し遂げたいと望んでおられる、素晴らしい物事についてのビジョンを与えて、霊感して下さるよう、神の御霊に求めましょう。そして主が、ご自分や他の人のために何をお求めになろうと、私たちはそれに全身全霊で取り組むことによって、自分の役目を果たそうではありませんか。

さあ、神のために世界に火をつけ、あらゆる場所にいる人々の心を照らしましょう! 「私の小さな光、輝かそう!」

1987年、ファミリー・インターナショナル出版の『宝』に掲載された記事より。
2017年3月に改訂・再版。朗読:ジェリー・パラディーノ。


1 伝道 9:10.

2 ローマ 12:11.

3 2コリント 5:14.

4 マルコ 16:15.

5 2コリント 11:24–27.

6 ヘブル 12:29.

7 参照:マタイ 3:11; 使徒 2:3–4; 黙示 4:5.

8 ヨハネ 6:63.

9 コロサイ 3:23.

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