信頼とは何か?

5月 23, 2017

What Is Trust?
May 23, 2017

引用文集

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宗教的な集まりでは信仰と信頼という言葉がよく飛び交います。この2つの言葉は塩のように、どんな会話にも「クリスチャン」の風味を加えてくれます。でも、それはどういう意味なのでしょうか? 信仰と信頼は同じでしょうか? 同じでないなら、どう違うのでしょうか? 信仰は状態であり、私たちが持っているものです。主がご自身とその愛を私たちにあらわされるとき、頭(知識)と心(信心)とで主を「知っていること」こそ、主とその愛の実体であり、証拠です。「さて、信仰とは、望んでいる事がらの実体であり、目に見えないものの証拠である。」[1]

信仰は言います。「私は主を知っている。私は信じる!」と。でも、信仰は信頼ではありません。

信頼は行為です。私たちがすることであり、信仰を行動に移すことです。思考と行動における、私たちの信仰の表れです。信仰は「主にはできる」と言いますが、信頼は「主はおられるし‥‥私はそのように考え、行動する」と言います。神に信仰を持つことはずっと簡単です。不信者でもそのような信仰を持っている人たちはいます。でも、主への信頼を実践するのはずっと難しいことなのです。—ベン [2]

信頼について聖書にはどう書かれているでしょう?

聖書で「信頼」と訳されている言葉は、「大胆で確信に満ちた確かな安心感あるいはその安心感に基づいた行動」という意味です。信頼というのは、神の賜物である信仰と全く同じではありません。[3] そうではなく、信頼というのは、自分に与えられた信仰ゆえになす行為です。信頼とは、たとえ逆の兆候があるように見えても、どんな状況であれ神の約束を信じることです。ヘブル11章は信仰について語った章です。信仰とは、神がその御子、主イエス・キリストにあってご自身をあらわしておられるということを受け入れ信じることです。そして、神への信仰の実際面での結果が信頼です。私たちは、日々神の約束を完全に受け入れることを実践して、その信頼を証明します。さらに、この信頼によって、平安が約束されています。「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」[4]

信頼に関する典型的な言葉は、箴言3:5です。「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。」 この節は、信頼についての聖書の教えを集約しています。まず、私たちが信頼を置くべきは、自分自身や自分の計画ではなく、ましてやこの世の知恵や仕組みでもなく、主なのです。また、私たちが主に信頼するのは、主が、主だけが、真に信頼に値する方だからです。主の言葉は確かで信頼でき、[5] 主の性質は真実でまことであり、[6] 私たちのための主の計画は完璧で、しっかりとした目的があります。[7] さらには、神の性質ゆえに、私たちは全身全霊をもって主に信頼し、完全なる確信をもって人生のあらゆる側面を主に委ねるのです。最後のポイントですが、私たちは自分を信頼すべきではありません。私たちの理解は一時的で限られたものであり、私たちの罪深い性質により汚されているからです。自分に信頼するというのは、何千メートルという深い峡谷に渡された腐った木の橋を自信たっぷりに歩いて渡るようなもので、必ず災難にあうのです。

神への信頼は、ダビデの詩篇の多くに見られる特徴です。神や神の言葉に信頼すること、また富やこの世のものには信頼を置かないことなど、信頼について語っているところが、詩篇だけで39箇所あるのです。この信頼を基盤として、ダビデは、自らが遭遇するあらゆる悪からの救出を経験しています。ダビデの詩篇の多くは、サウルやその軍、あるいは他の敵に追われていた時の状況を描写していますが、常に主が介入して助けてくださいました。聖書にある信頼について注目すべきなのは、それが必ずさらなる神への信頼を生み出すということです。神の人は、神に信頼するのを完全にやめるようなことはあり得ません。信仰に打撃を受けて倒れ、罪のどん底に打ち伏すこともあるかもしれませんが、「たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。」[8] 神の人は、この人生で試練が降りかかろうとも、自分の信頼は神の約束への信仰を土台にしているので、その信頼が揺らぐことはないとわかっています。それは、主との永遠の喜びという約束、また、「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ」[9] という約束です。—gotquestions.org より [10]

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信頼の源はどこでしょうか? ヒント:順調な時や楽なプロジェクトではありません。

私たちが人を信頼するのは、その人が、都合が悪くても来てくれたから、あるいは、嘘をついた方が楽な時に本当のことを話してくれたから、約束を破ることもできたのにちゃんと守ってくれたからです。

大変な時や、プレッシャーのかかるプロジェクトに直面した時というのは必ず、自分にとって大切な人の信頼を勝ち取る機会になります。—セス・ゴディン

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クリスチャンになって主に信頼するなら自動的に、どんな悪いことからも守ってもらえるものと考える人がいますが、信頼とはそういうものではありません。信頼は、起きうる問題やストレスや困難をなくすわけではありません。しかし、私たちの確信のもととなる確固たる基盤を与えてくれます。その基盤とは神です。そして、心配のはけ口も与えてくれます。それもまた、神です。

私にとって、神の約束を読み返すことは、自分への神の無条件の愛について思い起こす助けになります。神は私を愛しておられます。あなたのことを愛し、気づかっており、私たちを助けたいと思っておられます。私たちを世話すると約束してくださっています。自分や自分の愛する人たちを神の手に委ねるなら、私たちは最高の場所にいるのだとわかります。

アウグスティヌスはこう言いました。「あなたはご自分のために私たちを造られました、主よ、それゆえ、人の心はあなたにあって安らぎを見いだすまでは、満ち足りることがありません。」 平安や希望、信仰、信頼が切実に必要な時には、私たちの霊を神の霊につなげることこそが一番大切なことだと信じています。—ピーター・アムステルダム

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信頼とは何か? 私はわかっている
信頼とは、手放す信仰を持つこと
見えるものではなく、信仰によって歩むこと
夜の暗闇における、夜明けの希望
信頼は、信仰が弱まった時に現れ
疑いが頭をもたげた時にしがみつく
くよくよ思い悩んでいるときに
神はご自分のしておられることをご存知だと信じる
それは傲慢ではない
誰が舵を取っておられるかを知っているのだから
信頼は、その方が物事を掌握しておられると信じる
試みや試練があなたの魂を引き裂こうとも

信頼は、自分の理解に頼ることはなく
強引になることも過度に要求することもなく
人のすることを恐れることもしない
平和と絆と調和、そして愛をもたらしてくれる
信頼は、魂が締め付けられる時に
トンネルの向こうに光があるという希望
神が自分を置かれた場所を受け入れること
そして、笑みを浮かべて、何でも求められることをすること
さらに、自分の造られた様を受け入れ
自分の果たしてきた役割に疑問を挟まないこと
もうこれ以上無理というところまできた時の信仰
それでもやはりそこには神がおられると確信すること
フィリップ・マーティン

2017年5月アンカーに掲載。朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ。
音楽:ジョン・リッスン。


[1] ヘブル 11:1.〈英語欽定訳より〉

[3] エペソ 2:8–9.

[4] イザヤ 26:3

[5] 詩篇 93:5; 111:7; テトス 1:9.

[6] 申命記 7:9; 詩篇 25:10; 146:6.

[7] イザヤ 46:10; エレミヤ 29:11.

[8] 詩篇 37:24.

[9] 1 ペテロ 1:4.

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