苦しみの中の希望

3月 27, 2017

Hope in Suffering
March 27, 2017

『How to Be Happy Anyhow』のオーディオより

オーディオ所要時間: 7:31
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苦しみは私たちに恨みを抱かせるためではなく、私たちをより良い人間にするためにあります。神が人を深い水の中に沈められるのは、溺れさせるためではなく、清めるためです。

誰もが様々な形で、試みや誘惑や試練や患難を経験しますが、それにどう対処するかによって違いが生じます。素晴らしい天の父なる神、全宇宙を満たす愛の霊であられる方が、最終的に何かしら私たちの益とすることができないどんな悪いことも、私たちの人生に起こることを許されないと気づくなら、試練や苦しみに遭っても、苦々しい思いや恨みを抱くことはないでしょう。

このように、何が起ころうとも、それらは何らかの形で自分の益となると確信することは、重荷を祝福に、試練を勝利に、十字架を冠に変えてくれる素晴らしい秘訣です。これは神が私たちのために用意しておられる素晴らしいご計画であり、イエスを信じる神の子どもである私たちに与えられた贈り物です。救われているなら、問題や苦しみの中でも信頼し続けることができます。試みや試練には良い理由があるとわかってるからです。

神の子どもであるなら、何が起ころうと、必ずどこかに希望の光が差します。嵐には常に虹が、夜には星が伴います。どんな雲も、裏側は銀色に輝いています。どんな状況においても、神は常にすぐそばで、愛情深く世話して下さいます。そして信仰があるなら、たとえ見えなくても、神がそこにおられると確信できます。神の子どもが苦しみを通る時、その背後には常に素晴らしい目的が、姿を変えた祝福があるとわかっているからです。

しかし、いくらそのような利点や教訓や祝福が伴ったとしても、問題が起こるとやはりどうしても気落ちし、引き下げられ、しばしば絶望しそうになるものです。緊迫した状況や逆境下においても、快活さや良いバランスを保っていられる最善の方法の一つは、それらの問題を正しい態度で受け止めることです。

アメリカ西部のある二都市間を走る列車の中で、静かに座っていた少年の話を例に挙げましょう。それは旅行するにはひどく不快な、暑くほこりっぽい日で、列車が走っていた区間は、おそらくその土地全体で最も退屈な一日路でした。しかしその少年は、素早く通り過ぎていく畑や柵を眺めながら、辛抱強く座っていました。やがて、ある優しそうな老婦人が身をかがめて、気の毒そうにこう話しかけました。「坊や、長いこと乗っていて退屈じゃないの? ほこりっぽいし、暑いでしょう?」 少年は明るい表情で見上げると、微笑んでこう答えました。「はい、少し。でもあまり気になりません。向こうに着いたら、父さんに会えるから!」

人生が、時折そうであるように、退屈で単調で厄介なものに思われる時にも、希望と信頼をもって将来を心待ちにし、あの少年のように、そのことが「あまり気にならない」と思えるのは、何と素晴らしいのでしょう! 天の父なる神もまた、旅の終点で私たちを待っていて下さるからです。人生の旅の終わりに、主が私たちを出迎えて下さるのです。神に感謝しましょう!

そして私たちが苦しんだあらゆることを、イエスもまた苦しまれたことを、忘れないようにしましょう。聖書には、主が私たちと同じようにあらゆる面で誘惑に遭われたと書かれています。病気になったり、疲れたり、空腹だったり、のどが渇いたこともあれば、意気消沈されたこともありました。考えてもみて下さい。

イエスは苦しむとはどういうことなのかを、身をもって知っておられました。それどころか、私たちの誰にも想像もつかないような苦しみを味わわれたのです! 主は全世界のすべての罪のゆえに苦しまれました。私たちを深く愛し、私たちのために死ぬことをも厭われなかったからです! そして神の御言葉は、いつの日か近いうちに、神を愛する人々のすべての苦しみが終わり、主が「私たちの目から涙をすっかりぬぐい去って下さり、この世のすべての悪が過ぎ去るので、もはや死も、悲しみも、嘆きも、苦悩もなくなる」と約束しています! すべての不正を正し、愛と平和に満ちた永遠の御国を打ち立てるために、イエスご自身が戻って来られる時に!

その日まで、私たちは幾らかの苦しみを耐え忍ばねばなりません。しかし、心にイエスを持っており、聖書に書かれているように最善を尽くして主を愛し、その教えに従うなら、どんな一時的な悲しみや苦しみや試みや試練にもまさる喜びと幸せが、人生に満ちあふれることに気づくでしょう。そして神は、今までもそうして下さったように、そのすべてを共に働かせ、あなたの益となるようにして下さるでしょう。

そして実際につらい時期が訪れたなら、主はその御言葉でこう約束しておられます。「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。」 そして苦悩や悲しみの洪水がどんなに深かろうと、試練や災いの炎がどんなに熱かろうと、イエスは「兄弟よりも近しい友」となって下さり、主の御手に自分の手を預けて信頼し、主の御言葉に頼るなら、愛情深くあなたを導いて、安全にそれらすべてから切り抜けさせて下さいます!

神の愛は必ずしも私たちを、苦しみや試練に遭わないよう守ってくれるとは限りませんが、常にそのような苦しみや試練を通っている私たちを守り、切り抜けさせてくれます。雲があるからといって太陽がないわけではないのと同じように、人生に試練や嵐があるからといって、神がおられないわけではないことを、決して忘れないようにしましょう!

初版はTFIから1989年。2017年3月に改訂・再販。
朗読:ルーベン・ルチェフスキー。

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