しがみつきなさい

6月 23, 2016

Hold On
June 23, 2016

バージニア・ブラント・バーグ

オーディオ所要時間: 5:59
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「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」[1] 素晴らしい聖句です! それは私のお気に入りの一つです。神の御旨を行った後には、約束のものを受けるのだと信じて、忍耐しなければなりません。あなたはきっとそれを受け取ることでしょう。

「『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。』 しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。」[2]

とりわけこの、「確信を放棄」してはならないという言葉に注目して下さい。それには必ず、大きな報いが伴います。神は失敗されることがないからです。確信をあっさり捨て去ったりせずに、それを抱き続けるなら、神が失敗されることなどあり得ません。考えてもご覧なさい。神が祈りに答えようとされていたのに、その直前であきらめて、確信を捨ててしまう人たちのことを!

記録された神の言葉を調べるなら、主がこの「確信」という言葉を用いておられる箇所が、幾つも見つかることでしょう。それが神の言葉の中で、どれだけ頻繁に用いられているかには、驚いてしまいました。

誰かが最近、次のような手紙をくれました。「私が祈っても物事は変わりません。何度かやってみましたが、そのうちにあきらめてしまいました。」 私は後になって、その人が神にあまり時間を与えていなかったことを知りました。後日彼女が話してくれたところによると、しばらくの間さえもしがみついていられなかったようです。すぐに答をもらえなかったので、あっさり確信を捨ててしまったのです。

私は、何年もずっとしがみついてきた人々のことを、考えずにはいられませんでした! 何年も囚人生活を送ってきたある男性についての、この上なく素晴らしい証しを聞きました。神の恵みについての素晴らしい話です。その人は30年間薬物中毒で、17年間獄中で暮らし、3年半は独房に入れられていました。それが今では福音をのべ伝え、主の御霊に満ちあふれているのです。彼はとても頑張っており、悪習慣を完全に断ち切って、罪深い人生から解放され、神によって用いられています。

彼の奥さんは次のように証言しました。「そうですね・・私は何年もずっとしがみついてきたんですよ。」 30年間もしがみつき続けるなんて、考えてもみて下さい! そして、こう言いました。「神が夫の人生にこのように働きかけて下さるまでに何年かかるのか、見当もつきませんでしたが、ただ信じて待つことに甘んじ、神が祈りに答えて下さると確信していました。何年も魂の試練を味わい、なぜ神はもっと早く答えて下さらないのかと疑問に思うこともありましたが、答を受け取るまではしがみつこうと心に決めたんです。」 当の男性はそのことについての本を書き、私はその本の中で、その慎ましい女性がいかにしてしがみついたかを語るこれらの言葉を読みました。

あなたは誰かのためにしがみついていますか? 愛する人たちの中で、心を主に委ねていない人がいますか? その奥さんは言いました。「私は彼が獄中にいた何年もの間ずっと、彼のために祈り、彼を支え、彼を敬うよう子どもたちに教え、神が私たちに報いて下さると信じていました。」 さて、それには時間がかかります。神がことをなされるには、多くの場合時間がかかるのです。

私は以前、神が一本の樫の木を育てるには、あるいは一輪のバラの花を育てることにすら、時間がかかるとお話ししましたが、祈りに関しても、確かに同じことが言えるのです。祈りが即座に答えられない時、それには多くの理由があります。理解しがたいのは確かですが、きっといつの日かわかるようになるでしょう!

これだけははっきりとわかります。この慎ましい女性のように、「確信を放棄する」ことなくひたすら耐え忍んでいたならば、きっと多くの祈りが答えられていたであろうことが。祈り続けて勝利を獲得する以前に、がっかりしてあきらめてさえいなければ、今頃はその答を受け取って、喜びの内に生きていたことでしょう。

神が拒まれたというわけではなく、答が来る前に私たちの方があきらめてしまうのです。A・B・シンプソンは言いました。「真の信仰には確固たる決意があり、待つことという試練をも耐え忍ぶ。」 また、次のように言ったいにしえのヤコブのような人々もいます。「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません。」[3] 彼らはひざまずいて祈りの内に格闘し、「自分は答を受け取ることができるよう、神の条件を満たしているだろうか」と内省するのです。

そのような人々は、信仰が強められるまで、主の記録された御言葉をつぶさに調べます。動かぬ決意をもってしがみつき、前進し、どんな障害に面しても決してあきらめません。落胆や疲れをものともせずに、ただ戦い続けるのであり、神が答えて下さると確信しています。

愛する皆さん、確信を放棄することなくしがみつくというこの姿勢こそが、ある人は答を受け取り、ある人は受け取らないという違いをもたらすものなのです。それは心の姿勢であり、状況がどう見えようと、あるいは落胆させるような声に取り囲まれようと、主を信じ信頼し、一心に戦い続けるなら、神が必ず祈りに答えて下さると確信することです。

彼らの戦いが私たちの戦いほど熾烈ではなかったというわけではありません。ただ彼らは、戦うのをやめなかったのです。決してあきらめようとしませんでした。ワーテルローの戦いでナポレオンに勝ったウェリントン公爵は、英国の兵士がフランスの兵士よりも勇敢だったというわけではなく、ただ彼らの方があきらめずに戦い続けたというだけのことだ、と言いました。ただしがみつき続けることが勝利の決め手となったのです。

あきらめずに信じ続け、祈り続けるその短い時間に、どんな素晴らしいことも起こり得ます。神は祈りに答えて下さいます。神は聞いておられます。そしてあなたがしがみつくそのわずかな時間に、祈りに答えて下さるかもしれません。

「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。」[4]

ラジオ番組『Meditation Moments』を書き起こしたものを一部変更。2016年6月アンカーに掲載。
朗読:キャロル・アンドリュース。


1 ヘブル 10:35–36.

2 ヘブル 10:38–39.

3 創世記 32:26.

4 ヘブル 10:35.

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