私たちの感じ方と神の御手のわざ

2月 16, 2017

Perceptions and God’s Handiwork
February 16, 2017

引用文集

オーディオ所要時間: 10:06
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.2MB)

私は自然を無限の放送局と考えるのが好きです。それを通して神は私たちに全時間語りかけます。私たちが波長を合わせれば。ージョージ・ワシントン・カーバー

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締め切りが続くと倦怠感が忍び寄ることがありますが、それを避けるのに役立つことを私は一つ見つけました。時折、数分でも手を休めて、思いと心をくつろがせることです。

時々、私はバルコニーに出たり、大きなガラス戸の近くにある椅子に座って、見渡す限りの美しい景色を眺めることで、コンピューターで疲れた痛む目を少し休ませることもあります。見晴らしのいいところで、豊かな木々や、草の生い茂った野原、また、遠くには山々が連なっているのが見えます。こんもりと茂った木々は深い緑の色合いで、見ているだけで心がなだめられます。

鳥たちも同じように考えているのではないでしょうか。家の周りはどこも、様々な種類や大きさや色の鳥がいっぱいいるのです。私は明るい黄色の鳥が好きです。その鳥は見てきれいなばかりか、しっかりとした、明るい歌声でさえずります。

遠くの美しい景色に集中している限りは、霊感以外の何も感じることなどできません。でも残念なことに、この人生と同じように、近くのものに焦点を合わせるとすべてが完ぺきというわけではないのです。バルコニーからほんの30センチぐらいの所には、重々しい黒とグレーのケーブルがまるで見苦しい取り消し線のように、私の前に置かれた美しい絵画の端から端を横切っています。それらは主からのこの完ぺきな贈り物の美しさを台無しにしようとしているかのように、私の関心を捕らえようとしています。下方の小さな通りの向こうには小さな家があって、屋根の上には大きなTVアンテナがついています。また古くてもう使われていないコンクリート製の照明用のポールが、景色の真ん中を斜めに遮っています。ポールは上の部分が欠けていて、てっぺんからは錆びた鉄筋が四方八方に飛び出ています。これには、自然の色彩と設計の構想を妨げる以外には何の目的もないように見えます。

ある日、私はこうした休憩時間にくつろごうとしていたのですが、代わりに、少々、難点にばかり目をやり始めてしまいました。そうでなければ美しい景色なのですが。すると、主はご自身の被造物を主役にした短い寸劇を使って、主ならではの特別な方法で私をたしなめられました。そこに座って景色を眺め、私の前に置かれた、人間が付け足した、あまり霊感とは言えない光景を少々嘆いていると、私のお気に入りの黄色い鳥が、バルコニーの端からほんの数十センチの所にある電線に停まり、自慢の歌を私に向かって奏で始めたのです。

突然、その電線は見苦しくもなんともなくなりました。それがなければ、この小さな天使のような励まし手は私のために歌を歌わなかっただろうからです。私がくつろぎ始めると、鮮やかな赤い色の鳥が二羽、TVアンテナに停まりました。二羽の鳥はとても快適そうで、穏やかに見え、しばらくそこに留まって、お互いのちょっとしたやりとりを見て楽しむ機会を私に与えてくれました。二羽とも、とても熱心にコミュニケートしているようで、まるでその日の出来事をお互いに話し合っているかと思えるほどでした。二羽の鳥をじっと眺めて楽しむことで、アンテナの見苦しさは、まるでそれがこの陽気な幕間のステージになったかのように溶けてなくなりました。

それから黒い雲がさっと立ちこめて、場面は山場を迎えました。私は主のちょっとしたショーが終わったのかと思ったのですが、それはまさにこれから始まるところだったのです。雨がざあざあと降り始め、私の黄色い励まし手と数羽の赤い鳥と共に、ツバメや雀のコーラスラインが皆、黒い電線に沿って集まり始めました。鳥たちは雨の中、幸せそうにおしゃべりしながら、スプリンクラーで遊んでいる幼い子供の群れのように、楽しそうにぴょんぴょん飛んだり、ちゅんちゅん鳴いたりして、人生の塵やほこりを雨に洗い流してもらっています。

土砂降りの雨は数分でやみました。黒雲の影から再び陽の光が射してきた時、私は今までなかった見方で、この特別な景色を眺めました。そして、強く印象に残ったのは、人生で直面するとても多くのこと、特に短期的なものや目の前にあるてんやわんやの時期は見苦しく見え、もっと遠い将来の希望や夢という景観を台無しにしているように見えることがあるということです。でも、今現在私たちの面前にあって一見見苦しいと思えるそれらのことも、主が私たちの人生にもたらしたい祝福と美と驚異への道筋であることを主に示していただくなら、とても多くのことが変わり得ます。ただ、それらは舞台が築かれているに過ぎず、主はそれを舞台設定として、喜びと希望と、主が私たちの前に置かれるすべてものことには美があることを思い出させてくれる最も貴い宝を与えられることを思い出すことができればいいのです。私たちはただ、手を休めて主にそれを示していただくことをいとわずにいなければならないのです。ーマリア・フォンテーン

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恐れ、孤独、不幸せな人たちに対する最善の治療は外出です。静まって、天と自然と神と二人だけに慣れる場所に行くことです。その時にのみ、全てはあるべき姿なのだと感じるからです。神は、質素な自然の美の中で人が幸せであるところを見たいのです。アンネ・フランク

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聖なる光をたたえた御霊よ
わが心に輝きたまえ
夜の影を追い払い
わが闇を真昼の光に変えたまえ!
—アンドリュー・リード

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主が日没や月の出や虹や雲といった、御自分のあらゆる偉大で美しい芸術作品による光のショーを催される時、私たちは立ちどまってそれを眺め、関心を払うべきです。蝶や花や木や嵐といった非常に多くのものが、主の美しさや力を実証しています。

主は私たちの益のために、あれらすべての美を創造されたのだから、それらに対して多少の認識や感謝や賛辞を示すべきです。さもないと、神は観客のいない役者のようになってしまいます。「私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませて下さる神。」[1]

神の美しい創造物を眺めるのは素晴らしいです。それらを見ると神が今も生きていて物事を取り仕切っておられるのがわかり、主の静穏さや平安や穏やかさや力、そして主の創造物の調和や美しさを感じて、とても素晴らしい気分になるのです。—デービッド・ブラント・バーグ

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もろもろの天は神の栄光をあらわし、
大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
神は日のために幕屋を天に設けられた。
—詩篇 19:1–4

2017年2月アンカーに掲載。朗読:ルーベン・ルチェフスキー。
音楽:マイケル・ドーリー。


1 1 テモテ 6:17.

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