永遠に真実

11月 17, 2015

Eternally True
November 17, 2015

引用文集

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〔聖書は〕神の言葉であり、永遠に真実です。教えや戒め、正しさを得るため、また、毎朝、新たに神の声を受け取るためにも必要です。原本の言葉をパピルスに書き写した人たちは、まさか、神がこの時を超えた真理をこんなに長く保存なさるとは夢にも思っていなかったことでしょう。私たちの目の前にある記述は、石膏の壺に入れた香油を持ってきた女性にイエスが語られた言葉です。イエスは、彼女の主を崇める行いは、福音が宣べ伝えられる先々で語り継がれるであろうと言われました。2千年後の今、私たちはミシガン大学の一室にて、私たちの永遠の「同時代人」であるキリストを目にし、彼に触れ、キリストのうちに喜ぶのです。

神の言葉を「お決まりの古めかしいもの」として考えるとき、その時を超えた性質を軽く見るという間違いを犯します。神の言葉は時を超えて新しいものです。乾ききった葉に降りたばかりの露、乾いた魂への水のようなものであり、そのような乾きというのはただ過去のものではありません。‥‥

このダビデの言葉が一番うまく言い表しています。「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」[1] その御言葉を大切にし、それを通して全ての命の源に目を向けるようになるまでは、私たちは想像をズタズタに裂き、そのまま放っておく子犬のようなものです。神の言葉は魂の記憶銀行に預けた「預金」であり、その銀行が資本を提供してくれます。人生で出費がかさんだ時に私たちはそこから引き出します。この資本に頼って生きることによって、永久に驚異を味わうことになります。天と地は過ぎ去りますが、神の言葉は永遠なのです。

私たちは変わりますが、神の言葉は変わることがありません。人生のどの段階でも、どんな環境でも変わらず真実なのです。それは、私たちが常に新しいものに触れるのを助け、リアルな期待をもたせてくれます。何の障害もない旅は約束されていませんが、どんな試練にあっても神がいてくださるということが約束されています。頭と足のリズムが合った状態でいるのを助け、旅路を終えるまでの力を与えてくれます。—ラビ・ザカライアス [2]

神の息がかかったもの

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもの」だと新約聖書に書かれています。[3] だから私たちは歴史や考古学や、その他の関連する専門分野が裏付けとなる外的証拠を提供してくれることを期待しますが、最終的には、神の言葉はその中身、内なる首尾一貫性と真理の響きによって神の言葉として認められ、自ずと本物であることが証明されます。感傷主義や過度の想像力にひたらなくても、神の言葉に関わる時に、霊と心のうちに神の存在そのものを感じ取ることができ、それゆえに神が私たちに語っておられるとわかるのです。‥‥

これは、ダニエルの人生と証しの公然の秘密のひとつです。ダニエルは、聖書は神の生きた言葉であると信じました。この確信こそが今なお、「バビロン」の中で生きていきつつ、「バビロン」を自分のうちに宿らせることをしないための秘訣なのです。—ジョン・レノックス [4]

神からのラブレター

聖書は単なる宗教書ではありません。それは、世界一驚くべき素晴らしい書であり、あらゆることに対する答えが詰まっています。私たちがどこからきて、どうやってここに生まれ、どうしてここにいるのか、また、生き延びる方法、この世界で幸せになる方法、愛する方法、永遠に幸せになる方法が載っているのです。

聖書が他とは異なる独特な本であることを示す、次の7つの事実を考えてみてください。

1)聖書は、他に類を見ない継続性を持っています。1500年以上という長きに渡り、王、農民、哲学者、漁師、羊飼い、兵士、詩人、政治家、学者などといった、40人を越すあらゆる階層の人たちによって書かれたのですが、それでも、最初から最後まで、全ての書き手が、何百もの論争の的になるようなテーマについて、調和と継続性をもって、人類への神の愛と目的という一つの物語を語っているのです。

2)聖書ほど多くの人に読まれてきた本はありません。これまでに書かれたどの本よりも売れ、今なお毎年、世界中のどの本よりも売れています。

3)聖書は、現存する他のどの本よりも多くの言語に翻訳され出版されてきました。1966年にさかのぼってみても、聖書全体が240の言語や方言に訳され、聖書の一部の書ということなら、さらに739の言語に訳されています。

4)聖書を他の古代の書物と比べてみると、古典文学のどの10作を合わせても、聖書ほど多く現存する写本を有してはいません。原本は、朽ちてしまうものに書かれ、印刷機が発明されるまでの何千年もの間、手書きで写本が繰り返されなければなりませんでしたが、そのスタイル、正しさ、正確さは、歴史上、他に類を見ないほど維持されてきました。原語における古代の写本が何千も発掘されてきたことは、聖書が時代を超えて原本のままに伝えられて来たことの証であり、それに疑いの余地はありません。

5)聖書ほど激しい攻撃に耐えてきた本はありません。ローマ皇帝の時代以来、聖書を焼き、滅ぼし、違法にしようとする試みが多々ありました。そのように、聖書に対する撲滅運動や非難が数えきれないほどあったにも関わらず、今なお聖書が存在し、その教えや真理が保存されてきたこと自体、奇跡的なことです。

6)現代の考古学者は度重なる発見により、聖書の正確さを裏付け、聖書が歴史の正確な情報源であることを証明しました。旧約聖書の記述に従って調査した考古学者が国そのものを再発見したことも幾度かあります。

7)聖書は、これまで書かれた本の中でも、様々な国々や民、町について、さらには救世主となる方の到来に関する正確な預言がたくさん載っている唯一の書です。聖書は詳細に渡る具体的な預言が満載で、それらは奇跡的に成就しています。もちろん、まだこれから成就される預言は別ですが。

私たち一人一人は長い旅に出ており、道を知る方が、私たちが道に迷うことがないようにと、ご自分の民の何人かに詳しい地図を書くようにと指示されました。この地上でうまくやっていくための正しい道を学び、ゆくゆくは最終目的地に安全に到着することができるようにされたのです。神の地図である聖書を読んでいる時間などないと言うのは、長距離を行くドライバーが「すごく急いでいるから、地図を見ている暇なんかない」と言うようなものです。でも聖書を手に取って読み、信じて、それに従うなら、正しい道を行き、行くべき場所にたどり着くことができるのです。

もちろん、聖書について最も素晴らしいのは、その言葉を通して著者を知ることができるという点です。聖書は神から私たちへの素晴らしいラブレターです。そこにある命を与える言葉のゆえに、聖書は世界で最も素晴らしい本であり、その著者は世界で唯一、命と愛、幸せ、天国を永遠に保証できる方です。ただ聖書を読み、その主人公を信じればいいのです。主人公とは、私たちを救うためにご自分の命を捧げるほどに私たちのことを愛してくださった方、神の子なるイエス・キリストです。聖書に書いてある、イエスのなさった素晴らしい驚異的なことの全ては今日も起こりうるし、実際に起こっています。というのも、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」からです。[5]デービッド・ブラント・バーグ

2015年11月アンカーに掲載。朗読:ジョン・マーク。


1 詩篇 119:11.

2 Recapture the Wonder (Nashville: Thomas Nelson, 2005).

3 2 テモテ 3:16.

4 Against the Flow (Oxford, UK: Monarch Books, 2015).

5 ヘブル 13:8.

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