穏やかな心

8月 9, 2016

A Tranquil Heart
August 9, 2016

引用文集

オーディオ所要時間: 10:35
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「穏やかな心は身の命である。」 この「穏やかな」という言葉は、原語のヘブライ語では、基本的に心が妬みなどの激情にとらわれず、感情や情熱がコントロールされている状態を意味します。落ち着いていて自信を持っており、イライラしたり取り乱したりしない、ということです。

心に妬みを抱くのではなく、平和な心を育むのを助けてくださるよう神にお願いしましょう。人に目を留めるのではなく、神を見上げて、自分独自の性格や才能、さらには弱点を受け入れられるよう助けを求めましょう。

自らを神の言葉で満たし、神の知恵を心にしまうなら、穏やかな心が育まれます。そうすれば、自分の状況に対して神の言葉に語ってもらい、波立つ感情を落ち着かせたい時に、必要な神の言葉を思い出すことができます。

祈りを優先事項とし、神が常に完璧なタイミングで私たちの願いに応えるのを見る時に、穏やかな心が育まれます。

自分の状況について神に信頼し、神が私たちのために最善を考えてくださっていると信じ、私たちの人生のために神が計画された役割を果たそうとする時に、穏やかな心が育まれるのです。—カレン・イーマン [1]

*

主よ、信仰を与えてください! 一日一日を
穏やかな心で自らのささいな役割を果たしつつ生きていけるように
そして、あなたに手をあずけて、あなたの道を歩めるように。
主よ、信仰を与えてください! すべてのことにつき
落ち着いた心で、あなたに信頼できるように
そして、あなたが望まれるところへ私が行けるように。
主よ、信仰を与えてください! すべてをあなたにお任せできるように。
あなたからの贈り物である未来と私とのあいだに
あなたの愛がかけたベールを外すようなことを、私はしません。
寄りかかるものが何もない時
とりでが次々と粉々に崩れ去る時
神が今も支配しておられるということ以外に何も確かなものがない時
それこそが、信頼すべき時です。
あなたと私の歩むこの道を
見えるものより、信仰によって進むほうが良い。
あたりに光のない真っ暗な夜こそ
信仰が輝く時なのです。
ジョン・オクセンハム

*

世界はいつの日か、イエスの再臨の後、戦争がないという意味での平和を知るようになりますが、神の言葉で頻繁に語られている平和とは、肉体的な面と霊的な面の両方における、人の全体的な健全さを言います。聖句は、そのような健全と平穏とシャーロームは、神との正しい関係を持つことによって得られると繰り返し語っています。その関係とは、2千年前のあの夜に御使いが羊飼いたちに告げ知らせた救い主を通して得られるものです。

その時、私たちはシャーロームを十二分に持つことができます。それは完全さ、健全さ、安全、満足、平穏、調和、心の平安であり、私たちが誰しも人生で遭遇する嵐や困難のさなかでも持つことのできる、内なる平和の源です。イエスの犠牲によって得られた救いを通して、この義が神との平安をもたらし、次にそれが私たち自身の内面における真の平安の土台となるのです。

私たちは救い主にあって平安を見いだします。神の御言葉を愛する時の平安、私たちの行いが主を喜ばせる時の平安、聖霊がいますことによる平安、信仰にあっての平安、キリストが私たちの心を支配しておられる時の平安です。—ピーター・アムステルダム

*

聖書では、平和(平安)という言葉がいくつかの異なる使われ方をしています。平和が、神と人間のあいだの友好的な関係を指す場合もあります。聖なる神と罪深い人間とのあいだの平和は、キリストの犠牲的な死によってもたらされました。「その十字架の血によって平和をつくり」[2] とある通りです。さらに、大祭司である主イエスは、「いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る」[3] 人々のために、この友好的な状態を維持してくださいます。神との友好的な関係は、もう一つの種類の平和を得るために必須であり、それは、穏やかな心とも言われるものです。「わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている」[4] 時にのみ、私たちは真の心の平和を経験することができます。その平和は聖霊の実、つまり、私たちのうちに聖霊が表してくださる実なのです。[5]

イザヤ26:3には、私たちの思いが堅固に神に留まっているなら、つまり、私たちの思いが神に頼り、神を中心とし、神に信頼しているなら、神は「全き平安をもって」私たちを守ってくださるとあります。私たちの心の穏やかさというのは、私たちの思いが、自分や自分の問題よりも神に留まっている堅固さの度合いに応じて、「全き」もの、あるいは、不完全なものとなるのです。神が近くにいてくださる[6] という聖書の言葉、さらに、神の慈しみや力、神の子どもに対する憐れみや愛、人生のあらゆる状況に対する神の完全なる支配についての聖書の言葉を信じるなら、平和を味わうことができます。けれども、私たちは知らない人を信頼することはできません。ですから、平和の君であるイエス・キリストを親しく知ることが不可欠なのです。

祈りの結果、平和を味わいます。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」[7]

知恵に満ちあふれ、愛情深い天の父が、私たちの試練にも目的を持っておられると認める結果として、心と思いの平安を味わいます。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」[8]gotquestions.org より [9]

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私たちの第一の、そして唯一の務めは、神をこの上なく愛し、神のゆえに、敵をも含めてあらゆる人を愛することであると理解するならば、どんな状況にあっても霊的な穏やかさを享受することができる。—A・W・トウザー(1897-1963)

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あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。—ヨハネ 14:1

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静けさという言葉を聞くとき、あなたは何を思うだろうか。静けさというとき、人は色々なことを連想する。たとえば、風も波も全くない、水面がまるで鏡のように穏やかな湖。あるいは、かすかな動きさえない、優美な花の広がる野原。それとも、しーんと静まりかえっている、雪の降りつもった冬の日。

あなたの思い描く静けさがどんなものであれ、あなたの心もそのようであってほしい。わたしはあなたの心が静まり、安らいでいてほしい。不安であってほしくはない。この静けさを見いだすには、わたしを深く思う時間をとりなさい。真の静けさは、祈りと瞑想の時間を取っている時、ただわたしからのみ来る。だから、時間を取って、必要とする静けさを見いだしなさい。

わたしの霊があなたの中を流れるに任せなさい。わたしは平和であり、穏やかさだ。わたしとわたしの言葉について深く思う時に、あなたはわたしの存在を味わうことができる。あなたの思いを調和と静けさのイメージで満たしてあげよう。わたしの安らかで穏やかな性質ゆえにわたしを賛美しなさい。—イエス、預言で語る

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‥‥心の穏やかさは、愛と思いやりを育むことから生まれる。人の幸せを願うほど、おのれの幸福感も大きくなる。—ダライ・ラマ

2016年8月アンカーに掲載。朗読:ジェリー・パラディーノ。
音楽:ジョン・リッスン。


2 コロサイ 1:20.

3 ヘブル 7:25.

4 ローマ 5:1.

5 ガラテヤ 5:22.

6 詩篇 139:1–12.

7 ピリピ 4:6–7.

8 ローマ 8:28.

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