マリア・フォンテーン
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私たちの誰もが、人生の様々な時点で、とてもつらい試みの時を通ってきました。一人一人が特別な試練を味わい、その結果として、信仰や主との歩みを強めてくれるような、特別な機会にあずかったのです。おそらくあなたはまだ戦いの渦中におり、すっかりうみ疲れて、この試練が一体何の益になるのだろう、いつになったらすべて終わるのだろう、と考えているのかもしれません。
けれども、人生で何が起きていようとも、主はご自分があなたを愛し気にかけておられ、すべてがご自分の手の中にあることを、あなたに知っていてほしいのです。主があなたの人生に起こるのを許されるすべてのことは、何らかの形で共に働いてあなたの益となります。その益が今は見えなくても、将来には見えるようになるのです。そう信じることはできるでしょうか?
おそらくあなたは最近、人間関係で傷ついて、つらい思いをしたのかもしれません。そして心破れ、打ちのめされ、孤独で、不安で、自分は誰からも愛されないと感じているのでしょう。決して失望させることのないイエスの愛は、最も暗く長い夜にもあなたと共にあり、主はあなたがもう一度愛を信じることができるよう、助けて下さいます。主はあなたの心や、その破綻した人生を置き去りにはされません。それが砕け散って百万もの破片になってもなお、一つ一つのかけらを見つけ出し、つなぎ合わせてあなたを元どおりにし、その人生から何か美しいものを造られるのです。
イエスはすべて理解して下さっています。あなたの心がどんなに痛むかを、他の誰もわかってくれなかったとしても、主は深く理解して下さるのです。傷が癒えるには時間がかかるかもしれませんが、それは必ず癒えます。主は私たちを孤児のように、慰めを与えられないままで捨ておくことはされないと約束されましたから。[1] 主は私たちがどんなことを味わっているのであれ、私たちを慰めたいと望んでおられます。私たちの弱さは主の心に触れ、主はわかって下さるのです。[2] あなたの重荷を軽くし、痛みを和らげ、祈りに答えて下さいます。いつの日か近いうちに、また太陽が輝くのを目にするでしょうから、絶望してあきらめてはいけません。むしろあなたの最高の友である方に語りかけて、必要な慰めをいただきましょう。
おそらくあなたは今自分が過労気味で、多くのものを背負い込みすぎていると感じているかもしれません。すべきあらゆる仕事の重圧に耐えて進み続けるなど、到底できないと。霊や体や心が、あるいはそれら全部が消耗しきっているように感じるなら、イエスのこの約束を思い出しましょう。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」[3]
主から何かをするよう求められ、それに従うのがとても難しい時には、こう考えそうになるかもしれません。「それは難しすぎます、主よ。私にそんなことはできません。」 あるいは、「身体的にも、精神的にも、また情緒的にも霊的にも、自分にはそんな才能や能力がありません」と。けれども、主が私たちにそうするよう求められるなら、主がそれを可能にして下さると信じなければなりません。ですから、信仰によってためらわず前進し、ただそれをしなければならないのです。自分が身を置いている枝を手ずから切り落とし、主に受け止めて頂きましょう。
すべき仕事を全部片付けるのは、不可能に思われるかもしれません。実際にそうです。だからこそただ主に、「御力を貸して下さい、何をし、何をしないでおくべきかについて、導きを与えて下さい」と、求めねばならないのです。負いきれないほど荷が重くなった時には、イエスにそのことを打ち明けて、解決策を求めましょう。主はあなたに、どうやって適度なペースを保つかを教えて下さるでしょう。また、しばらく手を休めて、ただ祈ったり御言葉を読んだり、瞑想したり、仕事から離れて息抜きの時間を取り、ただ人生や家族や愛する人々を楽しむべきタイミングを。
おそらくあなたは、主への奉仕に励んでいるにもかかわらず、その成果が見えないせいで、がっかりしているのかもしれません。あるいは、自分の霊的成長のことで落胆し、自分は十分努力していないとか、主との関係において成長していないと感じているのかもしれません。そのような時には、あなたの忍耐力を主が増し加えて下さっているのであり、辛抱強く耐え忍んで主の御心を行うなら、約束のものを受けるのだと知っていて下さい。[4]
おそらくあなたは、一時的にある状況に陥って、そこから長いこと抜けられそうにないと感じているのかも知れません。あるいはただ、自分に合った場所や仕事や家や召しや職業が見つからないのでしょう。絶望してはいけません。イエスはあなたのために場所を用意しておられるからです。天国においてばかりではなく、今ここ地上においても。また神は失敗を犯されることがなく、神があなたをその場所に置こうと決められたのなら、あなたが今いるその場所こそが、今のところはあなたにとって、神の御心がなされるための最善の場所であるかもしれないのだということも、覚えておきましょう。
神のために尽くした偉大な人々は、自分に合った奉仕の場ではなく、むしろ自分が他の人々のために何ができるかを捜し求めました。必要に目を向け、自分がその必要を満たすために選ばれたことに栄誉を感じました。彼らは世界に違いをもたらせると信じた夢想家だったのであり、そのような違いをもたらすために出て行き、その大勢が目標を達成しました。それは彼らがあきらめなかったからです。
私は最近、夢想家の特徴を巧みに言い表したこんな言葉を読みました。
人というのは理不尽で、不合理で、わがままなものだ。それでも、人を愛しなさい。
何か良いことをすれば、利己的な下心があるはずだと言われるだろう。それでも、良いことをしなさい。
成功を収めるなら、偽りの友と本物の敵ができるだろう。それでも、成功を収めなさい。
正直で率直に振る舞えば、弱さを見せることになるだろう。それでも、正直で率直でありなさい。
今日良いことをしても、明日には忘れられてしまうだろう。それでも、良いことをしなさい。
もっとも大いなる心を持ったもっとも大いなる人は、もっともちっぽけな心を持ったもっともちっぽけな人によって撃ち落されことがある。それでも、大いなる心を持ちなさい。
人は弱者に好意は示すが、勝者にしかついて行かない。それでも、弱者のために戦いなさい。
何年もかけて築きあげたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。それでも、築きあげなさい。
—ケント・キースの「逆説の10カ条」より
偉人というものは、反対を受けようと、また自分がどう感じようと、とにかく正しいことをすることによって作り上げられていくものです。それこそが成功につながる道です。そして神の道を歩む時、神は決してあなたやあなたの子どもたちの世話を怠られることなく、あらゆる必要を満たして下さいます。あなたは神の数々の約束を、当てにすることができるのです。
主はその栄光の富の中から、あなたの一切の必要を満たすと約束されています。[5] そして御霊により、その無限の供給源からの力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さいます。[6] 主を信頼し、その約束が果たされるのを求め続けるなら、主が必ずそうして下さると、私たちは確信しています!
主は何があってもあなたを世話されます! そしていつの日か、あなたはここ地上の人生で経験したあらゆる物事を主が切り抜けさせて下さったこと、また、主のために忠実でい続け、他の人を愛するための恵みを与えて下さったことを、感謝するようになるでしょう。
数々の困難にもかかわらず、あなたが主に与えられた召しに忠実でいてくれることを感謝します。主はあなたの人生におけるご自分の御心が果たされるために必要なあらゆるものを、必ず与えて下さるでしょう。
初版は2005年10月。2016年5月に改訂・再版。
朗読:デブラ・リー。