主を喜ぶことについて思う

4月 18, 2016

Reflections on the Joy of the Lord
April 18, 2016

イエスからの言葉

オーディオ所要時間: 14:15
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「主を喜ぶこと」とは、実に精神と心の状態である。わたしがあなたに永遠の命を与えたことを何よりもよく知っているので、感謝することなのだ。とどのつまり、人生の優先順位に気づくこと、人生の目的について気づくことだ。

誰かがあなたに何をしようと、あるいはどんな状況にいようと、あなたは主の喜びという宝物を持ち続けることができる。あなたには天国での永遠の命があるのだ。つまり、すでに最高の賞を勝ち取ったようなものであり、それについてものすごく素晴らしいのは、決して失うことがないということだ。

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主を喜ぶことは心の状態である。霊の世界、永遠の世界の現実に気づくことだ。「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」[1] というわたしの言葉を覚えておきなさい。それは、あなたがたの中にある。わたしの国はあなたの内に、あなたの心の内にあるのだ。

主を喜ぶことは、優先順位を正しくし、正しい見方をするよう調整することである。他のすべての細々とした不十分な、時にイラっとさせられる詳細、不完全で、気の滅入るような詳細は、いつか過ぎ去る、取るに足らないことだと気づくことである。しかし、あなたの霊は残り、永遠に生きる。あなたは救われているのだ。そう気づくのはすごいことだ。それこそ正しい優先順位であり、正しい人生の見方、あなたの人生の正しい見方だ。どこに目を向けるかによって態度や行動が違ってくるので、その目を、あなたが永遠に指針とする永遠の価値観に向けるのだ。一時的な後退に縛られないでいることだ。

主を喜ぶことは、永遠に幸せの世界に生きるという真理に気づくことだ。わたしの友であるあなたがたは、「全うされた義人の霊」[2] という聖書の節を成就する者たちである。愛や喜び、創造のうちに全うされたもの、それがあなただ! あなたはその状態に向かっている。喜びを取り戻すというのは、この真理に気づくことであり、一時的なものの見せかけに妨げられないということだ。

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たとえ微笑む気分ではなくても、微笑む時、そして微笑み続ける時、その微笑みには大いなる力がある。物事が全く上手くいかず、疲れ、働きすぎだと感じ、元気がなくても、ただ微笑みなさい。笑みを絶やしたり、失ったりしないで。微笑み続けなさい。あなたにはできる。微笑み続けるなら、じきにそういう気分になるものだ。それは上手くいく。

わたしはあなたにずっと人生を楽しんでもらいたい。たまに短い間、パーっと楽しむだけでなく、いつもだ。幸せな思い出を作ってもらいたい。他の人たちと笑い、彼らを愛して時間を過ごしてほしい。愛し、毎日何かを楽しんで過ごしてほしい。

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気持ちが明るく、霊が幸せと喜びに満ちていれば、人生はもっとずっと楽しくなるし、あなたも、一緒にいて楽しい人になる。自分の人生で何が起こっていようと、どれほどの戦いや試練を味わっていようと関係ない。それでも、目に笑みをたたえ、唇に賛美をたたえ、明るい心でいることができる。自分を奮い立たせ、それが表に出て、周りの人が見られるようにするには、かなりの努力が必要かもしれない。だが、いったんそうして、楽しさを実践する習慣がついたら、それが自然と自動的にできるようになる。

第一に覚えておくべきことは、人生をあまりに深刻に考えないことだ。自分を深刻に受け止めすぎず、他の人のことも深刻に受け止めすぎないほうがいい。陽気でいる術を学び、それを実践しなさい。

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この地上に生きるというチャンスは一回限りだと覚えておきなさい。一度きりの人生なのだから、その間、楽しみなさい。ここにいる間、わたしへの奉仕も楽しみなさい。一緒に暮らし、働く人たちのことも楽しみなさい。永遠には続かないのだから。今の状況を楽しみなさい。このようにこの場所にいて、この人たちと一緒に過ごすのは、今だけなのだから。この時を楽しみなさい、今のこの時はすぐに過ぎ去るのだから。あなたは生きている。楽しみなさい。

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良い時の思い出にふけることもできれば、悪い時の事を悔いることもできる。あの時は楽しかったと懐かしく思い出すこともできれば、楽しまなかった時のことを嘆くこともできる。だが、今実際に楽しめるのは、今のこの時だけである。だから、この時を逃してはいけない。しっかり掴みなさい。喜びを掴みなさい。

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3千年前に詩篇の作者はこう言った。「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」[3] 友よ、これこそが人生の秘密の方程式だ。わたしのそばにいれば、喜びを見出す。わたしは喜びに満ちた神であり、近くにいれば、その喜びは否が応でもあなたをも覆うことになる。

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世界が喜ばしく神聖な笑いであふれることをわたしは願う。愉快で、伝染する、お祭りのごとき、聖なる笑い、世界に喜びを伝えるような笑いだ。「主をおのが神とする民はさいわいです。」[4] わたしは、わが民がわたしの喜びに満たされ、その喜びが笑いとなって表れたのを耳にするのが大好きだ。賛美のように、その笑いはわたしのところまで届く。賛美と似ており、賛美と混ざり合うこともよくある。これは、世界にとって喜びであり、わたしの耳にも喜びである。

精神を引き上げ、この物質世界の制限を超え、天国全体を喜ばしいお祝いで満たすような笑いについてわたしは話している。笑いは人間の霊を引き上げるのだが、その必要がどれほど切実なものかは知っているね。

だから、通りや小道に出て行き、人々をわたしの国に連れてきて、喜びにあふれるようにしてあげなさい。孤独な人たちのところに行き、笑いや太陽の光をまき散らしなさい。行って、人々を笑わすならば、わたしもうれしくなる。地上を笑いで満たしなさい。

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心の中の喜びと平安と幸せは、わたしのための人生では変わらずあるべきものだ。物事の様子や周りで何が起こっているかに左右されるべきではない。愛する人よ、心にわたしの喜びを持つ鍵は、この喜びは、わたしの喜びであって、あなたのではないと覚えておくことだ。

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わたしの喜びは、来てはなくなるはかないものや状況を土台としてはいない。わたしの喜びは幸せな未来、将来のありさま、それぞれの状況における可能性に土台を置いている。わたしがあなたのうちに置いた可能性だ。わたしの喜びは永遠を土台としている。わたしの創造物を喜ぶこと、愛を喜ぶこと、その他、お金では買えない永遠の喜びに浸り、それを愛することを土台としている。

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わたしの喜びをもって喜べばあなたは幸せになれる。わたしの喜びによって、あなたは、たとえ多くの思い煩いに囲まれていても、幸せと賛美に満ち、気を楽にしていられる。その喜びは、天国の最上階からくるものであり、地上の問題をはるかに超えたものだからだ。

わたしにあっては多くの喜びがあり、天国には多くの幸せと愛があり、あなたの未来には数々の成功や勝利が待ち受け、現在にも多くの祝福や素晴らしいものがある。幸せではないと思えるものがあっても、それにかかわらず、わたしはあなたが幸せになれるようにする。この世界を超えていながら、あなたの手の届くところに、喜びの世界があるからだ。

わたしはその世界への架け橋であり扉だ。ここで何が起こっていようと、わたしを通して、そのより幸せな世界にアクセスできる。何があっても関係なく、あなたは幸せになり、超越することができる。ただ涙を流してというのではなく、あなたの声に天の笑いを響かせながらだ。

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毎日、わたしがあなたを幸せにし、喜びや楽しみや満足感を与えるためにもたらす物を見つけるようにしなさい。大きなものもあるが、まず小さなものに焦点を当てなさい。すべてが、あなたへのわたしの愛の一部なのだから。わたしは、わたしがあなたに与えるすべての祝福を楽しむのを見たい。だが、さらに永久的な喜び、つまり地上のものに依存しているだけではない、より永続的な幸せについて教えたい。

わたしのもたらす幸せは信仰に基づいたものである。それは、時を超え、わたしのあなたへの愛の永遠性を喜ぶ。

初版は2009年。2016年4月に抜粋、再版。
朗読:マリア・フォンテーン。音楽:マイケル・ドーリー。


1 ルカ 17:21.

2 ヘブル 12:23.

3 詩篇 16:11.

4 詩篇 144:15.

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