信頼と喜びに満ちた祈りを祈る

4月 14, 2016

Praying Trusting and Jubilant Prayers
April 14, 2016

イエスからの言葉

オーディオ所要時間: 10:13
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祈りというのは驚くべき霊的武器であり、それを使うと答えを受け取る。状況が改善され、周りも変わっていく。

あなたの人生も状況も、さらには宇宙全体をも、最終的にはわたしがコントロールしている。だから、あなたが良い祈りを祈っても、わたしは時には、あなたがこうなるべきだと考えるようには答えないこともある。方程式全体には、あなたの知らない要素も関わっているからだ。でも、あなたや関わっている人全員にとって一番いいようにわたしが答えると信頼することができる。

あなたの祈りにどう答えるかは、わたしの意思と大いに関係している。もっとはっきり言えば、完全にわたしの意思による。あらゆる面でわたしの意思に従って物事を行ってほしいと考えているなら、答えが来た時すぐにそれだとわかることだろう。あなたが祈った通りになるからだ。でも、わたしの意思があなたの祈ったこととは異なる場合には、すぐには答えが認識できないかもしれない。わたしは答えているのだが、あなたの祈りに対する答えの一部、あるいは答え全体が、あなたの期待していたものとは異なるかもしれないからだ。

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あなたが自分の愛する人の要望に応えてあげたいと思うのと同様、わたしもあなたの祈りに答えたいと思っている。彼らがあなたにお願いしたものを受け取って幸せで満足そうな顔をするのを見ると、あなたには与えることや他の人が幸せなのを見ることからくる真の幸福感が生じる。わたしの心もあなたが幸せなのを見ると嬉しい。あなたが求め、わたしがあなたのリクエストに答え、それを受け取ったあなたの喜ぶ顔を見ると、わたしの喜びも溢れる。

わたしはあなたの祈りに答えるのが大好きだ。それは、わたしがどれ程あなたの世話に打ち込んでいるかを示す、特別な方法だから。わたしたちが永遠に結ばれる素晴らしい日までは、あなたの祈りに答えることが、あなたのあらゆる必要に愛情深く優しく対応する方法である。祈りに答えることで、わたしはこのように伝えているのだ。「愛しているよ。毎日1日24時間、あなたのためにここにいる。あなたに完全に尽くしており、何ものもわたしたちを引き離すことはできない。2つの全く異なる領域にいても引き離されはしないんだ。」

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自分の人生で起きたことについて、自分が望み、願っていたけれど、不可能だと思っていたことについて、少し考えてみてほしい。それが実現した時、どう感じただろう? その時の幸せ、喜び、感謝の気持ちについて考えてみてほしい。

祈る時には、喜びの霊で祈りなさい。たとえあなたの予想とは違う答え方をするとしても、わたしはやはりあなたの祈りに答え、勝利まで見届ける、とわかっているのだから。

喜びをもって祈るというのは、祈りへの答えがあることや、わたしがすでに奇跡をおこなっていることを喜んでいるということだ。あなたが求める前からあなたの祈りに答え始め、たいてい、あなたが想像もつかない、理解を超えた方法で答えるからだ。

喜びに満ちた賛美のうちに両手をあげなさい。わたしの豊かな祝福を感謝しなさい。何よりも、自分の手の内に祈りの力という力強い武器があるのだから、そのことで興奮や喜びの感情を表しなさい。

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祈りの領域は広大で、問題に対する答えや解決策は非常に数が多い。自分の期待や信仰を、自分の考える解決策だけに結びつけてはいけない。それは、わたしがあなたのために計画していることとは異なるかもしれないからだ。

森で、道を阻む巨木を目の前にした人のことを考えてみなさい。わたしは、その人を上空に引き上げることもできれば、木の下を掘り進ませることもできれば、火を送って木を燃やすこともできれば、木を引き抜くことも、その人を木に登って渡らせることも、迂回する道を示すことも、あるいは、そもそも、そこを横切っていくのはわたしの意思ではないことを示すこともできる。だが、その人がただチェーンソーを求めて祈るなら、どうだろうか。それが問題に対する彼の理想的な答えだからと。そんな時は、わたしがチェーンソーを与えなくても、その人はがっかりすべきではない。わたしの答えは、彼が期待しているものとは全く違うのだから。

状況が自分の思う通りになることにこだわって、あなたの祈りへの究極の答えをもたらすためにわたしが使いたい他のオプションを見逃すことがないようにしなさい。

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「神が私の祈りに応えてくれないことがあるのはどういう理由からでしょうか?」とあなたはたずねる。愛する人よ、わたしは常にあなたの祈りに答えている。わたしの答えは、「はい」の場合も、「いいえ」の場合も、「待ちなさい」の場合もある。あるいは、まずあなたに何かをするよう求めることもある。何にしても、わたしは必ず答える。

特定の方向でカウンセルを与え、まずそれに従い、それから次のステップを求めて戻ってきなさいと言うこともある。それも答えだ。忍耐を持ちなさいということもあり、それも答えだ。わたしは常に祈りに答えているのだが、人はどんな答えがほしいかについて先入観のある時が多いので、わたしは答えていないと思うのだ。

祈りに答えないというのも、やはり答えである。たとえば、子供がトラック一台分のキャンディーのために祈るとする。それはその子のためにならないとわかっているので、トラック一台分のキャンディーを与えるという形で祈りに答えることはしない。トラックを送らないという答えを与えるのだ。

あなたの祈りは、わたしの意思、そして私があなたや関係するすべての人にとって最善だと知っていることに応じて答えられる。わたしがあなたの願い通りのことをしていないように思えても、自分や自分の祈りに問題があると考えて信仰を失ってはいけない。あなたが祈り、何かをわたしに委ねたなら、わたしがあなたのために最善のことをすると信頼しなさい。たとえそれが、あなたに何かを与えないとか、あなたの願った通りのことをしない、ということになってもだ。わたしは、より良い道があると知っているのだから。

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信者は祈るとワクワクする。心の目を通して祈りの結果がすでに見えているからだ。すでに祈りが答えられたというテスティモニーを聞き、その霊はすでにわたしの答えの実を味わっているのだ。というのも、わたしの変わることのない愛、世話、思いやりという言葉のあらゆる意味においてわたしのことを知っているからだ。

賛美の祈りを祈る者は、信者たちを最終的な勝利まで導く、喜びに満ちたシンガーやダンサーの一団のようなものだ。彼らは、感謝と喜びをもってわたしの門に入り、わたしの約束をしっかり握っており、わたしは失敗することがありえないし失敗したりなどないということ、自分は勝利への道のりにあるのだということを確信している。

だから、昔のダビデ王が詩篇でしているよう、わたしへの賛美と喜びにあって心を引き上げなさい。彼の愛は大いなるもので、賛美は力強かった。また、何も踏みとどまることをしなかった。奔放にわたしの前で踊り、人々に、自分が喜びと賛美に満ちていることを示した。わたしはわが民の賛美を住まいとする。

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腕を上げ、笑い、手を叩き、喜びの涙を流し、歌い、踊り、叫びなさい。わたしがこれまでにしたこと、またこれからすることに対する喜びと感謝をもって祈りながら、好きなように賛美を表現しなさい。

目の前に立ちはだかる「不可能な状況」に直面し、その困難にうまく対応し、わたしがそれを良きものとすることで賛美しなさい。そうやって祈ることはあなたの霊にとても良いことだ。ポジティブで楽観的で明るい思考になる。それこそ、手強く厳しい状況に直面するときに必要なものだ。

わたしにとって難しすぎることは何もない。喜びの祈りを祈ることで、あなたはこの約束に対する信仰と信頼を身をもって示すことになる。

わたしの喜びは必ずしも感情ではない。多くの場合、状況をどう見るかについての選択である。あなたが祈っている問題や必要は、取り組むのに一番喜ばしいことではないかもしれないが、それでも喜びの祈りを祈ることができるのは、わたしのすごい力、私があなたのために持っている圧倒されるほどの愛、あなたのために供給し、あなたを守りたいという私の願望をあなたが認識しているからだ。

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喜びと賛美に満ちた心からは自然と力強く祈りが流れ、私を賛美し、私のいつくしみと私の与えた結果や答えに心を留めている時には、祈りへの信仰が強められ、自信も強められる。なぜなら、わたしが前にしたことを再び行うことができるとわかっており、その源は豊かであると知っているからだ。

だから、ありったけの喜びと賛美を祈りに込め、あなたの人生にもそれを溢れさせなさい。そうすれば、ポジティブな祈りのアクションを取っているということであり、わたしが最善だと知っている方法で、あなたを通して、またあなたのために聖霊に働いてもらっていると安心できるからだ。

初版は2007年9月。2016年4月に改訂・再版。
朗読:ジェリー・パラディーノ。音楽:マイケル・ドーリー。

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