キリストにあって新しく造られた者となりなさい

3月 10, 2016

Become a New Creature in Christ
March 10, 2016

デービッド・ブラント・バーグ

オーディオ所要時間: 8:34
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恵み+信仰+ゼロ。それが救いです。救われるのに善良である必要はないし、救われたままでいるためにも善良である必要はありません。しかし、だからと言って、救われたらあとは好きなままに生きればいいというわけでもありません。本当にクリスチャンなら、常に救われていますが、主や他の人たちに対して罪を犯し、それを告白しておらず、悔い改めず、正していないなら、何らかの形でそれに苦しむことになります。「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。」[1] しかし、時に不従順で、罪のゆえに主に懲らしめられることがあっても、救われているなら、いつまでも救われたままです。

若きクリスチャンであった頃、私はヨハネ3:36を読んですべての心配が消えました。「御子を信じる者は永遠の命をもつ。」 それが答えでした。自分にはイエスがいるとわかっており、私の心を出たり入ったりされることはないとわかっていました。常に心の中にいてくださったのです。主は言われます。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」[2] 「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」[3] 「わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」[4]

だから、私たちが救われていること、また、それを知っていることを主に感謝しましょう。もちろん、本当に救われているなら、そのことが表にあらわれるでしょう。あなたは、世界の他の人たちのようではなく、異なる存在です。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」[5] チェンジ、それも真のチェンジが起こるのです。

イエスがあなたの人生に入られると、あなたの霊は新たにされ、清められ、再生されるだけでなく、あなたの思いも新たにされ、古い回線や習慣的な考え方は断ち切られていきます。あなたは徐々に再構築されて、完全に新しいコンピューターシステムに再配線され、全く異なる人生観や世界観を持つようになり、周りのほとんどすべてのものに対して新しい反応をするようになります。

人には、自分を真に変えるのは不可能ですが、神には誰でも変えることができます。イエスがあなたの心に入られる時、全てが変わり、あなたは新しい人になります。

あなたが真に救われ、生まれ変わり、キリスト・イエスにあって新しく造られた者であるなら、古いものは過ぎ去り、全てが新しくなります。あなたがイエスにつながっており、またイエスがあなたとつながっておれば、あなたは実を豊かに結ぶようになります。[6] あなたが真に救われ、真に生まれ変わり、心に神がいて、救いがあり、イエスがいるなら、あなたは新しく造られた者であり、変わっていくのです。

だから、物事が変わるものと思っていてください。ただ、完全に変わるわけではないでしょう。あなたはまだ人間なのですから。でも、霊のうちに、また思考や心や方向性において変わります。幸せになり、愛に溢れることでしょう。あなたにイエスがいるなら、あなたには愛があります。「神は愛」だからです。[7]

あなたにはイエスがいますか? イエスを心に受け入れ、その霊によって生まれ変わりましたか? あなたは真に変わり、新しい人、新しく造られた者となりましたか? そして、古いものは過ぎ去り、全てが新しくなりましたか? 祭壇の所に行き、立ったり座ったり回ったり逆立ちしたりする必要はありません。体の姿勢は関係ありません。大切なのは心の姿勢です。神の前に心が謙虚で、自分は罪びとで助けが必要だと認めるなら、ただイエスを心に受け入れればいいのです。

イエスは言われました。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」[8] 救いはとても力強いものですが、神はあなたに強いることはされません。神の愛は全能ですが、それを受け取るよう強いることはされません。イエスは扉をノックしますが、押し入ることはされません。扉を壊すことも、一目見ただけで粉々にすることもできますが、無理矢理、心に押し入るようなことは拒まれるのです。

イエスはただ、中に入りたいと言い、あなたがイエスを招き入れるのです。イエスはそういう制限を設け、そういう条件を求められます。イエスに入っていただかなければならないのですが、あなたが心から招き入れないなら、無理矢理入ることはされません。

イエスはあなたを救いたいのですが、あなたが望まないならそれはできません。入ってくださいとお願いしないといけないのです。優しいイエスは柔和に穏やかに、愛情深い忍耐をもってそこに立っており、あなたの心の扉の外で、おそらく何年も待っていてくださいました。その言葉や愛により、また悲しい出来事や愛する人との別れや、死や、病気や、痛みにより、繰り返し扉をノックしておられるのです。

しかし、神は選択の権利を私たち個人に与えておられ、誰も、イエス・キリストを救い主として受け入れるようあなたに強いることはできません。それを望む場合、望む時に、あなただけがその選択をできるのです。イエスは確かにあなたの救い主となりたがっておられ、あなたが求めればすぐに心に入ってくださいます。けれども、あなたがその決断をしなければならず、主はその選択をあなたに任せておられます。

あなたはイエスを心に持っていますか? それなら、永遠に救われているし、天国に行くことになっており、失われることは永遠にありません。あなたは救われていますか? 確かでないなら、それを確かにするために、今すぐにイエスを個人的に自分の主として、救い主として受け入れてください。ただ心からこの簡単な祈りを祈ればいいのです。

「主イエス様、私のすべての罪をゆるしてください。あなたが私のために死んでくださったことや、あなたが神の子であることを信じます。いま、私の人生に入ってくださるようお願いします。心の扉を開いて招きますので、どうぞ中に入ってください。私が他の人たちを愛せるように、また、彼らにもあなたを見つけてもらうため、あなたについて話せるように、助けてください。あなたの言葉を読み、あなたの霊によってそれを理解するのを助けてください。イエス様の名前で祈ります。アーメン。」

この祈りを心から祈るなら、イエスは中に入ってくださいます。イエスは、あなたが心の扉を開き、中に入ってくださるようお願いするなら、中に入ると約束されたので、それは確実なことです。

真の救いは、感情を信じることではなく、神の言葉を純粋に信じることに基づいています。感情は日によって異なり、浮き沈みがありますが、神の言葉である聖書は決して変わりません。だから、神の言葉に信仰をおきなさい。信仰は神の言葉を聞くことによるのです。[9] 聖書は確固たるものなので、あなたがどう感じるかと関係なく、イエスに心に入ってくださいとお願いするなら、イエスは入ってくださいます。そうすると約束されたからです。

もちろん、生まれ変わり、イエスを受け入れた結果、働きによって信仰を示すようになり、[10] 人生が変わります。けれども、それは必ずしもその時に大きな感情が押し寄せたり、見える形で変化が現れるというものではありません。そういう場合もあることはありますが。しかし、感情に関係なく、神の言葉はいつも変わることがないし、イエスはいつでもお願いされれば中に入ってくださいます。

「主イエスを信じなさい。そうしたら…救われます。」[11] 神は今も、そして永遠に、あなたを祝福して愛と救いを与えてくださるのです。

初版は1984年3月。2016年3月に改訂・再版。
朗読:ジェリー・パラディーノ。


1 ヘブル 12:6.

2 マタイ 28:20.

3 ヘブル 13:5.

4 ヨハネ 10:28.

5 2 コリント 5:17.

6 ヨハネ 15:5.

7 1 ヨハネ 4:8.

8 黙示録 3:20.

9 ローマ 10:17.

10 ヤコブ 2:18.

11 使徒 16:31.

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