クリスチャンの世界観

1月 19, 2016

The Christian Worldview
January 19, 2016

引用文集

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わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける。—ヨハネ 18:37

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キリスト教は単に、現実世界の小さな一部分を解き明かそうとする試みではありません。キリスト教は、人生の意義そのものを与える、一つの世界観なのです。それは人類の最大の疑問に答え、また、死後の人生や宇宙の起源、神の存在とその性質、善と悪との普遍的な戦いといった、歴史上において最も深く探られてきた数々のテーマを取り上げています。私たちが福音と呼んでいるメッセージは、それらすべてと、さらに多くの事柄に触れているのです。—スチュアート・マカリスター

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世界観とは、人がそれを通して世界を解釈し、世界とかかわるための、思考や信念の骨組みです。簡単に言うと、世界観は、人に見える何かではなく、人が何かを見る時に用いるものであると言い表されてきました。世界観の迷路をうまくすり抜けて、「人生のパズル」のすべてのピースが、適所にぴったりと収まった状態に至るには、正しい問いを投げかけ、正しい結論に至るという、二つの簡単なことをすればいいだけです。私たちはこう信じています。正しい問いかけをし、正しく真実な答を見つけようというなら、世界観という迷路を通り抜ける理にかなった方法を、そして真理を探し求める人々が人生のパズルピースを拾い上げて、それらを最後に理路整然と組み合わせる方法を示してくれるのは、キリスト教だけであると。—ロビン・シューマッハー

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今日の文化的、社会的、知的、世俗的および道徳的環境は、蔓延する疑いや懐疑的態度、長年標準的な価値観として受け入れられてきたものに対する拒否と相まって、多くの人々の価値観、道徳観、世界観、権威に対する態度、対人関係に根本的な変化をもたらしました。多くの人にとって、何に信頼を置けばいいのかを知るのが、ずっと難しくなっています。世界や社会の状況によって福音のメッセージに引きつけられる人もいれば、今日の世界の環境のゆえに、福音のメッセージを自分に関係のあるものとして見るのがずっと難しくなり、それを信じたり受け入れたりするなどもってのほか、という人もいます。

そういうわけで、福音を人々に伝えようと決意している人は、数々の難題に直面しています。2千年前に生きて、死からよみがえった方についてのメッセージを伝え、そのメッセージこそ彼らにとって一番大切なものだということを伝えるというのも、その難題の一つです。ですから、ミッションを果たそうとするクリスチャンは、現代社会の人々の心に語りかける形で、時を超えた神の愛のメッセージを表現し、伝えるための、新しく創造的な方法を見つけなければなりません。過去のクリスチャンもその時代なりの難題があったでしょうが、現代世界では、私たちなりの難題があるのです。—ピーター・アムステルダム

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より具体的に言うなら、キリスト教世界観における神は、悪から距離を置いて関わらないというような方ではありません。実際のところ神は、イエス・キリストという人となって、邪悪で苦悩や不正のはびこる、私たちの世界に来て下さいました。神の立場で地上に来て、社会からのけ者にされた人たちの友となり、病人をいやし、どん底の状態から向き直ってご自分に従う人に希望を告げ知らせなさいました。イエスは十字架の上で裸で死に、ご自分の言葉が真実であったことを証明するために死からよみがえられました。そして、あらゆる過ちを正し、もはや不正も悪も存在しない新たな世界を創造するために、また戻ってくると約束されたのです。—ポール・コパン

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私たちが御子イエスを心に受け入れた時に、神の御霊の力によって起こる、即座の奇跡的で超自然的な心と思いと人生の変化は、あまりに劇的であるため、神の言葉はそれを、霊の内で生まれ変わることにたとえています。その時初めて神の新生児は、素晴らしい神の霊の王国における新たな人生という、まったく新しい世界に足を踏み入れるのです。

そのような「生まれ変わり」や「回心」という経験は、これまで歴史を通じてごく頻繁に起こってきた神の奇跡でした。イエスはそれを御霊によって「新しく生まれる」ことと呼ばれ、パウロはそれを「古いものが過ぎ去って、すべてが新しく」なり、「キリスト・イエスによって新しく造られたもの」となる、つまり新たな誕生であると表現しました。聖書は他にも、それを「古き人を脱ぎ捨てて新しき人を着る」ことと呼んでいます。しばしば目を見張るような変化が起きて、人の性格が実際に変貌するため、神の言葉はそれを、古いものが死んで葬られ、まったく新しい人生や生き方へと生まれ変わることにたとえています。[1]

主を人生に迎え入れると、霊が新たにされて清められ、再生されるだけではなく、心も新たになり、文字通り古い関係や反応が絶たれて、まったく新しいコンピューターシステムへと、徐々に再構築され再配線されるため、その人は以前とはまったく異なる人生観を抱き、世界を新しい目で見、周りのほとんどすべての物事に対して、真新しい反応を示すようになります。

その信者の生活全体や、本質や思いや心といった、あらゆるものが変わります。通常はその人の、全体的な物の見方や願望や人生の目標が、以前とはまるで違ったものになります。それまでの人生と比べるなら、まるで地上の天国のような、まったく新しい世界に入ったと感じます。そんなにも素晴らしい経験なのです!—デービッド・ブラント・バーグ

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まっとうな世界観であれば、人がどうすれば収入を最大限に増やし、楽しみを得ることができるかといったレベル以上の答を与えなければいけません。「なぜ私たちはここにいるのか?」「次に何が起こるのか?」「いかに生きるべきか?」あるいは「救われるにはどうすればいいのか?」といった、夜の静寂と闇の中で私たちを悩ます、難解な質問の数々に対して、納得のいくような説明を与えてくれなければいけないのです。

今日大勢の人が、黙想することなく、過剰な刺激に満ちた人生を生きています。自分の世界観を見つめ直す時間をまるで割くことなしに、これが終わったら次はあれ、といった調子で忙しく飛び回りながら、何かが欠けていると訴えかける心の声を、脇に押しやっているのです。ですから、そういう人々が(少なくともかなり長いあいだ)気づいていないであろう事実とは、自分たちが楽しみや力を重んじる一方で、永続する物事から顔を背けるという、きわめて「必要最低限の」世界観に基づいて生きているということです。

優れた世界観というのは、ぴったりと現実に即しているものです。そのような世界観は「真実なもの」を追い求めるので、身につけるだけの価値があります。…ですから身につけるべき最善の世界観とは、現実と完全に一致した、正確な世界観なのです。…キリスト教は今ここ地上において、何不自由ない生活を約束するものではありません。実のところ、キリストに従うなら、必ず試練や苦難が降りかかります。…しかし、地上において生き甲斐のある充実した人生を送り、完璧さとは何かを定義されたまさにその方によって、完璧な者としていただける保証が欲しいなら、キリスト教世界観こそが、あなたの目指す最終目的地となることでしょう。—アル・セラト

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そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。

この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。

こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である。』 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。

神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである。」—使徒行伝17:22–31

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ある意味では、世界観とは、人が最終的にそれを通して現実を見るレンズのようなものです。私がキリスト教で気に入っている点とは、そこです。それは現実に則した、理にかなった世界観であり、理論上でも一貫性があり、実際に試みることによって証明することができ、またあなたや私が人生において携わる最も必要不可欠な営み全般に当てはめることができるのです。—ラビ・ザカライアス

2016年にアンカーに掲載。朗読:デブラ・リー。


1 ヨハネ 3:1–8; 2 コリント 5:17; エペソ 4:22–24; ローマ 6:3–11.

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