大いなる平安

1月 7, 2016

Great Peace
January 7, 2016

イエスからの言葉

オーディオ所要時間: 9:38
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「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』」—ヨハネ 20:19[新改訳]

わたしの平安はすべてを包み込む贈り物であるから、状況に左右されることはない。他のすべてを失っても、わたしの平安があるなら、あなたは実に恵まれているのだ。

そのことを大いなる慰めとしなさい。とりわけ自分ではどうすることもできないような、人生の数多くの側面において。状況に翻弄されているように感じる時には、すべてを包み込むわたしの平安こそが、あなたに必要なものだ。たとえ時折、それを受け取ることができないように感じるとしても。おそらくそれは、あなたが愛する人々や持ち物や、世間の評判といった他の物事にしがみついているからなのだろう。

わたしの平安が、わたしが死ぬ少し前に信者たちに残していった超自然的な贈り物であることにあなたが気づき、それをこの世の他の何ものにもまさって大事にするよう、助けたいと願っている。まもなく死ぬとわかっている者は、愛する人々に何か大切なものを残したいと思うものだ。だからわたしは、弟子たちや信者たち全員に、わたしの平安を残していくという「遺言」を与えた。わたしはこれが(とりわけ逆境のさなかにいる時には)、受け取るのが難しい贈り物であると知っていた。それで、よみがえった後最初に弟子たちに語った言葉が「平安があなたがたにあるように」だったのだ。彼らはわたしが死ぬ前に彼らに教えたことを確信できるよう、このような保証を必要としていた。あなたもまた、この贈り物の聖なる性質を思い出さねばならない。わたしが与えるのはこの世が与えるような平安ではなく、人知を超えた平安だからだ!

他の物事にしがみついているなら、この尊い贈り物を受け取るのが難しくなる。それはまるで、わたしが幾らでも純金をあげようと言っているのに、ちっぽけな銅貨をしっかりと手に握りしめているようなものだ。わたしがあげようとしている贈り物を受け取るには、まずあなたの手と心をわたしに開かなければならない。そうやって思い煩いを手放し、わたしがそれを世話するのに任せるのだ。わたしの輝かしい平安を受け取るなら、あなたはわたしとの親密さをさらに増し加えるという、あらゆるもののうちで最も豊かな祝福にあずかるだろう![1]

わたしにあっての平安

「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、何ものも彼らをつまずかすことはできません。」—詩篇119:165

祈りの内にたゆむことなくわたしの顔を仰ぎ求め、わたしを認め、わたしのもとに願いを携えてくるなら、わたしは忠実な与え手となろう。そしてあなたを引き続き世話し、害悪から守る。あなたに供給し、危険から救う。苦難の時にあなたを慰め、混乱の中で平安を与え、悲しみの代わりに喜びを与えよう。

天地は滅びるが、わたしの言葉は滅びることがない。わたしはあなたへの約束を決して破らないが、あなたも自分のすべき分を果たし、わたしを尋ね求めなければならない。もし一心に尋ね求めるなら、わたしを見つけるからだ。わたしの平安を求め、穏やかに静まってわたしのもとに来るなら、わたしの平安が訪れるだろう。恐れや気苦労や不安を和らげてあげよう。あなたがわたしのもとに来て、へりくだってそれらをわたしの足下に横たえ、わたしの助けや平安を求めるならば。

わたしの愛と心は、あなたに向けて開かれており、いつでもわたしの答えや慰めや、愛や力を注ぎ出そうと待ち構えている。だからわたしに呼ばわりなさい。そうすれば、答えてあげよう。呼び求めるなら、わたしの平安と力を与えよう。わたしは導き、守り、道を示す。人知を超えたわたしの平安で、心を満たしてあげよう。

打ち勝つ平安

「そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。」—イザヤ 58:8

わたしを全身全霊で、心から信頼することを学ぶなら、何ものもあなたをわたしの平安から引き離すことはできない。あなたが耐え忍ぶあらゆる物事も、それによって鍛えられ、わたしに信頼することを学ぶなら、有益なものになり得る。あなたはこのように、自分に害を及ぼそうと襲ってくる逆境そのものを通して、恵みの内に成長することによって、悪しき者のわざをくじくのだ。自分の兄弟たちに次のように宣言したヨセフは、このどんでん返しの格好の例だ。「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて下さいました。」[2]

今日という日に、あるいはどんな日にも、何が起こるかを恐れてはならない。わたしに信頼し、なされるべきことに思いを向けなさい。わたしが日々あなたの前を行き、あなたと共にいることを思い出しつつ、わたしが統治者であるのだと、肩の力を抜きなさい。悪を恐れてはならない。わたしはあなたが遭遇するであろうあらゆる状況から、益をもたらすことができるのだから。[3]

静まれ、黙れ

「すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、『先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか』と言った。イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、『なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか。』」—マルコ 4:37–40

信仰によってわたしの言葉に信頼するなら、魂は静まり、平安と休みを見いだすことだろう。だから心配や恐れや不安という荷を下ろして、信仰によってわたしのもとに来なさい。

わたしが舟に横たわって眠り、風や波や嵐が襲って来た時、わたしの弟子たちはどうしたらよいのかわからず、風や波を恐れ、舟が沈むのではないかと心配した。それでわたしを起こした。答はわたしの力にあると知っていたからだ。わたしが「静まれ、黙れ」と言うと、嵐は静まった。彼らは自分にはどうすればいいかわからないと認めて、わたしのもとに来たので、わたしは彼らに平安を与えた。

だから、父親が自分を誤り導くことなく、むしろあらゆる真理に導いてくれると確信している子どものような信仰を抱いて、わたしのもとに来なさい。心と思いを開いてわたしのもとに来るなら、平安を与えよう。信仰や信頼によって、そして自らの意志を明け渡し、神の意志に従うことによってもたらされる平安を。

2016年1月アンカーに掲載。朗読:サイモン・ピーターソン。
音楽:マイケル・ドーリ―。


1 Sarah Young, Jesus Lives (Thomas Nelson, 2009).

2 創世記 50:20.

3 Sarah Young, Jesus Calling (Thomas Nelson, 2010).

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