ペテロの劇的な変貌

9月 27, 2023

Peter’s Transformation
April 12, 2023

聖書の中で最も傑出した人物の一人は、今日一般に使徒ペテロとして知られているシモン・バルヨナです。彼は非常に個性の強い、荒っぽく無骨な漁師で、エネルギーにあふれた行動派でした。最初の何年かの間、キリストの個人的指導と教えのもとにあった時、ペテロは正しいと思ったことやなすべきだと思ったことは率直に口にしました。使徒たちの中で飛び抜けて率直にものを言ったのです。

ペテロは、まる3年間イエスに従って行った後、劇的な変化を遂げました。この変化を探るために、イエスの地上での使命が終わりに近づいた時のことから話を始めましょう。イエスは、弟子たちと一緒に最後の晩餐をしていました。イエスが逮捕されて十字架につけられる、わずか数時間前のことです。

イエスは、まもなくご自分がこの世の人々の罪のために、十字架にかけられて死ぬことを知っておられたので、弟子たち一人一人を見て、悲しそうに、しかし確信を持ってこう言われました。「今夜、あなたがたは皆、わたしにつまずくだろう。『わたしは羊飼いを打つ。そして羊の群れは散らされるであろう』と書いてあるからである」(マタイ 26:31)。

これを聞いたペテロは、自分の信仰と力を買いかぶり、大胆にもこう断言しました。「たといみんなの者があなたを見捨てても、私は決してあなたを見捨てません。」 けれどもイエスは、これから起こることを知っておられたので、「よくあなたに言っておく、今夜、にわとりが鳴く前に、三度わたしのことを知らない、と言うだろう」と静かに答えられました(マタイ 26:33–35)。ペテロはそのような預言にショックを受け、こう言い張ったのです。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたと一緒に行く覚悟です」(ルカ 22:31–33)。

しかしイエスの預言はすぐに成就したのです。まさにその夜、イエスが弟子たちと一緒にゲッセマネの園で祈っていた時、祭司長や長老たちがつかわした大勢の兵士の一団が、剣やこん棒やたいまつを手にやってきました。彼らはイエスを捕らえましたが、おびえるばかりの弟子たちは一人残らず、夜の闇の中へ死に物狂いで逃げていってしまいました。

イエスが大祭司の屋敷に連れて行かれたとき、ペテロは勇気をふりしぼって、「遠くからイエスについて行き」ました(マルコ 14:54)。屋敷に着くと、ペテロは離れた所から裁判の成り行きを見ようと、門のところに立っていました。屋敷の門番の女性が、ソワソワして落ち着きのない様子の人がいるのに気づき、疑い深い様子で、「あなたも、あの仲間の一人ね」というと、ペテロは驚いて、「いや、私はちがう」と言ったのでした。

しばらくたって、ペテロが夜警が焚いた火のそばで暖をとっていると、他の女性が、そばに立っている人たちに、「この人もナザレのイエスと一緒だった。この人も、あの人たちの仲間よ」と言いました。しかしペテロは、彼らの前で、「私は、その人を知らない」と誓って言ったのです。

状況が緊迫したものになるにつれて、イエスが捕えられた時にそこにいた男がペテロを指さして、「ゲッセマネの園でイエスと一緒にいたんじゃないか?」と大声で尋ねました。群衆の中にいた他の人達も、「確かにあなたは彼らの仲間だ! そのなまりで、ガリラヤ人だとわかる」と言うので、ペテロは、どうしようもなくなり、のろいの言葉さえ口にしながら誓って、「何のことを言っているのかわからない。あなたの話しているその人のことは何も知らない!」と言い張りました(マルコ 14:70–71)。

すると、彼がまだ言い終わらぬうちに、にわとりが鳴いたのです。 イエスは、ご自分を捕えた者によって屋敷の中の他の場所に連れて行かれるところでしたが、振り返って、まっすぐペテロを見つめました。するとペテロはすぐに、「にわとりが鳴く前に、三度わたしを知らない、と言うであろう」と言ったイエスの言葉を思い出したのです。自分のしたことに気づいたペテロは、悲しみをこらえきれなくなり、思わず涙がこみあげてきました。彼は門のところまでよろめきながら歩いて行き、それから、夜の暗闇へとまっしぐらに駆けて、とうとう人気のないエルサレムの城壁のところまでくると、地面に伏して激しく泣いたのでした(ルカ 22:59–62)。

それからイエスは、裁判にかけられ残酷な十字架刑を受けましたが、3日後に奇跡的に死からよみがえりました。一方、弟子達は、「ユダヤ人を恐れて」彼らから身を隠し、小さな部屋に集まっていたのですが、弟子達の隠れ場所を知っておられたイエスは、突然彼らの前に姿を現しました。その時から、彼らの人生が変わり始めたのです。

復活の後、40日間、イエスは弟子達の間に姿を現され、彼らを励まされました。また、御自分がまもなく去ることになっていたので、彼らの使命について詳しく説明されました。そして、40日たって昇天する直前に、イエスは弟子達にエルサレムに戻るように命じられ、「上から力を授けられるまでは、わたしの父の約束を待っているがよい。聖霊があなたに下る時、あなたがたは力を受けてわたしの証人となるであろう」(ルカ 24:49; 使徒 1:8)と言われました。

使徒達は、エルサレムに戻り、他の120人以上の弟子達、さらに彼らの妻や子供達と一緒に、屋上の間にいました。イエスの昇天前の命令に従って、そこで祈りながら待っていたのです。10日後に神のすさまじい力が現れました。「突然激しい風が吹いてきたような音が起こって、一同が座っていた家いっぱいに響き渡った。また舌のようなものが炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は、聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、いろいろの他国の言語で語り出した」(使徒 2:2–4)。

これこそ、弟子達が待っていたものでした。彼らは、主イエスが去られた後も、主の仕事を続けていくのを可能にするための、主からの超自然的な力を待っていたのです。その時、ペテロの心と人生も、神の聖霊の超自然的な力によって変えられ、彼は力を受けて、弟子達を、歴史上まれに見る驚異的な証しの冒険へと導いたのです。

その時、エルサレムの路上では、盛大な宗教祭が行われており、そのユダヤ人恒例の収穫祭りを祝うために、国外から多くの人々がやって来ていました。ペテロが、今やあふれるまでに聖霊に満たされた120人の弟子達を連れて路上に出ると、彼らは全員、その日にエルサレムを訪問していたたくさんの人々の国の言語で超自然的に語り出したのです。けれども、弟子達の誰一人として、それらの言語を前から知っていたわけではありませんでした。弟子達は、群衆に、大胆にもイエスのうちにある神の愛の素晴らしい知らせと永遠の救いのメッセージについて証ししました。

それからペテロは、そばにある建物の階段のところに上がって、手を上げ、群衆に向かって大声で呼びかけ、静まらせました。彼が聖霊の権威と確信をもって話し始めたので、その結果、3千という驚くほどの数の人々が救われただけではなく、それらの人々は、その日に弟子として主に仕える決心をしました。

ペテロは、イエスが逮捕された後に、三度もイエスを否定した男です。その彼が変貌し、今度は、イエスが十字架にかけられたまさにその同じ町で、何千人もの人々の前に立って、大胆に、すべての人に神のメッセージを宣言しているのです。主が約束された通り、彼らは聖霊が下った時、力を受けたのです。

ペテロは、わずか数週間前に彼の人生で最も厳しい試練と苦難とを経験したのですが、もはや悔やんでいるような時間は全くありませんでした。証しをして他の人々を神の王国に導くという仕事が、爆発的に進行しており、主は、ペテロが夢にも思わなかったような方法で、彼を通して働いておられたのです。今彼は、主が祈られた通りに、「兄弟を力づけ」る役割を担っていたのです(ルカ 22:32)。

神の御霊が働いて人々をキリストへの信仰に導いておられるのを見て、ペテロが励まされただけではなく、全ての弟子が大喜びしました。イエスは彼らに大宣教命令を託し、それを実行する力を与えておられました。「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」(マタイ 28:19–20)。

聖霊が彼らの上に臨まれた後、彼らはイエスが彼らの間を歩かれた日々を凌ぐ信仰の強さを経験しました。イエスはもはや肉体的には彼らとともにおられなかったけれど、以前よりも近くにおられたのです。彼らは、イエスから以前言われていたことを思い出しました。「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主(聖霊)はこないであろう。あなたがたはそれ(聖霊)を知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである」(ヨハネ 16:7; 14:12, 16–17)。

たった一日で3千人以上の新しい改宗者を獲得してからまだそれほどたっていないある日のこと、ペテロとヨハネは、生まれつき足の不自由だった人を群衆の前で即座に癒し、この奇跡を目撃した人達をびっくりさせました。ペテロは、その奇跡を見に来た数えきれないほどの人々に向かって語り、さらに5千人が弟子として加わりました。だから弟子の数は8千人にまで増えたのですが、それには、女性と子供の数は含まれていません。まさにこれは、イエスが語っていた「もっと大きなわざ」でした。イエスは、もはや、ただ彼らと一緒にいるのではなく、聖霊を通して彼らの内におられたのです。

そしてその後、ペテロとヨハネは、彼らの救い主を十字架にかけたのと同じ邪悪な宗教指導者によって起こされた迫害に直面しました。しかしこの時は、恐れもせず、主を否定することもなかったのです。ペテロは、議会の前に立っても、勇気を持って御霊の権威によって証しをしました。聖書にはこう書いてあります。「人々は、ペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時にふたりが無学な、ただの人たちであることを知って驚嘆した。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認めた」(使徒 4:13)。どうして人々は、驚嘆したのでしょうか。彼らは、イエスが地上で現されたのと同じ力を、弟子達が持っているのを見たからです。

そしてこの話の素晴らしいところは、主の証し人になるための聖霊の力は、それを受け入れる人なら誰でも持つことができるということです。「ただ聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けて、わたしの証人となるであろう」(使徒 1:8)。「あなたがたは、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、もしあなたが求めるなら、あなたに聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ 11:13)。

イエスの昇天後に、弟子たちが成し遂げたことはすべて、最初にキリストが弟子たちと共に、次に弟子たちの内に生きてくださった結果でした。「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものではないことがあらわれるためである」(2 コリント 4:7)。私たちは皆、イエスに従う者になるための力を得るために、神の愛と尊い聖霊とのバプテスマを受けて、それに満たされることが、確かに必要です。

聖霊の第一の目的は、証人となる力を与えることです。しかしまた、聖霊のバプテスマは、主との個人的な関係においても大きな助けとなります。祈りを通して神とコミュニケーションを持てるようになり、また神の御言葉を読む時に、はるかによく理解できるようになるのです(ヨハネ 16:13)。

「あなたがたは信仰に入った時に、聖霊を受け入れたのか」(使徒 19:2)。あなたは、イエスを受け入れて救われた後、神の御霊の力をあふれるほどに心に受け入れましたか? 聖霊に満たされるには、このような祈りをして、神にお願いすることができます。

「親愛なるイエス様、聖霊というあなたからの尊い贈り物を感謝します。どうか、私がもっとあなたを愛し、もっとあなたに従い、より大きな力を持って、あなたの愛と救いを他の人に告げることができるように、御霊で私を満たしてください。あなたの名前で祈ります。アーメン。」

1987年ファミリー・インターナショナル出版『宝』の記事より 2023年4月に編集・再版

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