悲嘆の後に喜びが来る

9月 3, 2019

Joy Comes after Mourning
September 3, 2019

引用文集

オーディオ所要時間: 8:41
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何もかもがうまく行かない時、私たちはそのような状況を「口外禁止」のカテゴリーに分類し、大急ぎでそこを通り過ぎ、うやむやにし、あるいは否定したい誘惑に駆られます。そしてそのような混乱を鎮めるためなら、どんなことでもします。心のどこかでは嘆き悲しみたくてたまらないのに、その衝動をわきに押しやり、無理して何でもないように振る舞うのです。

私の場合は、嘆き悲しむ必要があるとわかっていたものの、涙をこぼすまいと懸命にこらえていました。[何といっても]自分は喜びで応戦すると、事前に心に決めていましたから。悲嘆というのは、喜びの対義語ではありませんか? イエスの最も有名な説教の言葉がふと目に入った時、私はそれまで気づかなかった何かに気づきました。…

ルカは群衆の中心におられるイエスの姿を描いています。主は心の病を持つ人や、体が不自由な人や、辛うじて生きているような人の中に、入って行かれました。そして病気や汚れた霊に悩まされていた人々と、体が触れ合うほど近づいて、彼らに自分たちが幸いであると考えるよう言われたのです。

「涙がとめどなく流れる時、あなたは幸いだ。朝と共に喜びが来るのだから。」…

そのような言葉は一見、人の直感的な思いに相反しているように思われます。何といっても、涙は多くの場合、弱さのしるしと見なされるのですから。あきらめを表明する皺くちゃの白旗のように。しかし、イエスは、嗚咽を漏らせるほど強い人は幸せだと断言されました。神の御子が声を震わせつつ、嘆き悲しんでもいいのだと言っておられるのです。…

悲嘆は私たちを喜びへと運んでくれる川です。

時には、喜びが入る余地ができるよう、悲しみに場所を与えなければなりません。悲しみを免れる人など一人もおらず、深く悲しむことを学んだ人々だけが、それがもたらす癒しを再び手に入れることができます。光には暗闇が必要であるように、喜びには悲しみが必要です。そして夜の後に朝が来るように、悲嘆の後には喜びが訪れるのです。…

[私の] 涙は私を清めてくれます。悲嘆にあったことで、それほど重要ではないもの、魂に刻まれた忘恩の貯水池、とうの昔に消え去っているべきだった未熟さの拠点が洗い流されました。私は涙を流すことによって、改めて人生の美しさに気がついたのです。

確かに嘆きは一晩中続くかもしれませんが、喜びが訪れるのは朝(morning)だけではありません。それは悲嘆(mourning)の最中にも訪れるのです。空に太陽と月の両方があるように、人生にも喜びと悲しみの両方があるのです。…

逆境に遭遇すると、人は嘆き悲しみたくなります。そのような悲嘆によってすっかり無力になり、逃げ、隠れ、その悲しみの豪雨から逃れたいと望むかもしれません。しかし、うまく行けば、その悲しみの涙は苦悩を洗い流す川となり、癒しや健康や喜びへと、私たちを運んでくれる小川となります。—マーガレット・ファインバーグ [1]

*

わたしの王国では、すべての苦しみに意味がある。苦悩や問題は、わたしへの信頼を実証する機会だ。勇敢に状況を耐え忍び、それをわたしに感謝さえすることは、最も高度なレベルの賛美の一つだ。このような感謝という犠牲は、天国の至るところに、喜びという黄金の音色の鐘を鳴り響かせる。また地上においても、苦しみを耐え忍ぶなら、良き知らせの波紋が起こり、それがますます大きく広がってゆく。

苦しみに襲われたなら、わたしが主権者であり、あらゆるものから益をもたらせることを、思い出してほしい。苦悩から逃げようとしたり、問題から隠れようとしてはいけない。むしろわたしの名によって逆境を受け入れ、わたしの目的が果たされるよう、それをわたしに捧げなさい。そのようにすれば、苦しみは意義深いものとなり、さらにわたしに近づけてくれるだろう。あなたの信頼と感謝を通して、逆境という灰から喜びが生じるのだ。―イエス、預言で語る [2]

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大切な誰かや何かを失うことによって生じる、深く強烈な悲しみがあります。悲しみは私たちが愛し、人生を生きるために支払う代価です。健全な感情の持ち主であれば誰でも、数々の悲しみの時期を経験するでしょう。死や喪失は、移り変わる人生につきものだからです。また私たちは、失業やペットの死や生まれ育った家が売りに出されるなど、他の人たちがそんなに悲しまなくても、と思うような出来事にも、悲しみを感じることがあります。…

詩篇34:18は、「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」と告げています。神は私たちの悲しみをご存じであられ、そばについていると言って下さいます。そしてその御言葉からの約束や、「人知ではとうてい測り知ることのできない平安」[3] によって慰めて下さるのです。—gotquestions.org より [4]

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甘美な何かが生じるためには、何らかの苦しみが必要です。美しい炎を起こすためには、灰が生じなければなりません。何かが灰にならなければならないのです。苦しみから祝福が、灰から美しさが生じます。ヘブル12章で、巧みに言い表されているように。その11節にはこうあります。「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」 ちょうど、蜂の巣を握りつぶす巨大な手のように。そこから蜂蜜が流れ出すのです。そして、モーセが岩を打った時のように。岩は傷つきましたが、そこから水が湧き出ました。[5] 美しい花が押し潰されて、そこから香水ができるように。鳥の喉から、美しい音楽が出てくるように。鳥は喉を痛めて鳴いているように聞こえますが、そこから歌が生じるのです。鳥の歌は悲しそうですが、同時に甘美でもあります。

主よ、私たちがあなたに押し潰され、打たれ、傷つけられることに抵抗しませんように。そこから水がほとばしり出るからです。私たちが、その美しい歌を押し殺すことがありませんように。たとえ悲しくても、その悲しみにもかかわらず、あなたに感謝できますように。私たちが、打たれ押し潰され、握り潰され、傷つけられることを厭いませんように。そこからあなたの優しさや、芳香や、美しさや歌や、力づけてくれる水が生じるからです。敗北に見えるものから、あなたの最大の勝利が勝ち取られるのです。

「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」 [6]デービッド・ブラント・バーグ

2019年9月にアンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク 音楽:マイケル・ドーリー


1 Margaret Feinberg, Fight Back with Joy (Worthy Publishing, 2015).

2 Sarah Young, Jesus Calling (Thomas Nelson, 2010).

3 ピリピ 4:6–7.

5 出エジプト 17:6.

6 2 コリント 1:4

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