神は礼拝されるにふさわしい方

9月 10, 2018

God Is Worthy of Worship
September 10, 2018

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 11:25
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主は大いなる神で、大いにほめたたえらるべきです。その大いなることは測り知ることができません。[1]

私たちは限界のある存在ですが、神は無限であられ、ゆえに神は私たちよりも限りなく偉大な方です。私たちは神の偉大さを完全に理解することはできません。それを十分に知ることは決してできないのです。神の理解力は測り知れず、神の道と思いは私たちのものよりもはるかに高いのです。[2]神の豊かさ、知恵、知識、裁きは、窮めがたく、測りがたいので、それらはすべて、私たちの理解力を超えています。[3]

ヨブは、世界の創造という神の偉大なるみわざについて語りましたが、その時、彼はこれらのみわざは神の御力のささやきに過ぎず、単に神の道の端あるいは縁であると言いました。「見よ、これらはただ彼の道の端にすぎない。われわれが彼について聞く所はいかにかすかなささやきであろう。しかし、その力のとどろきに至っては、だれが悟ることができるか」。[4]

限界のある私たちは、神の道や偉大さを完全に知ることは決してできず、神がご存知であることをすべて知ることも決してできません。それにより、私たちは神のみが神であられることに気づきます。神はいつまでも私たちよりも限りなく偉大であり、私たちは神の被造物として、礼拝と敬愛を捧げる恩を負っているのです。

神を知る

さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。[5]

私たちは神のすべてを知ることや、神がご存知のすべて、神がなさるすべてを知ることは決してありません。けれども、神は、私たちが神との関係を持てるような方法で、ご自身を私たちに知らせて下さいました。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」[6]

神は無限であると同時に個人的な方でもあるので、私たちは神についての事実を知るだけに制限されることなく、神を個人的に知り、神との個人的な関係を持っています。神には何ら制限はなく、存在するあらゆるものよりもはるかに偉大な方ですが、同時に、私たちと個人的に相互関係を持つ個人的な存在であり、ひとりの方として通じ合うことができます。私たちは神に語りかけ、神も私たちに語りかけて下さいます。私たちは神と交わり、神は私たちと相互関係を持ち、祈りに答え、私たちの中に宿られます。[7] 私たちが神とのこうした関係を持っているのは、イエスの死とよみがえりを通して与えられた救いの贈り物ゆえであり、これは私たちが神を礼拝すべき最も大切な理由の一つです。

神を見る

御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 8

聖書は、神は霊であって人には見えないということを明確に述べています。神を見た人、つまり、神の本質と神のすべてを見た人は誰もいません。神は、目に見える、神の顕現という方法で何度もご自身を現されたものの、神ご自身をそのまま見た人は誰もいません。

しかし、神を見た者は誰もいなくとも、神の御子イエスは父を見たことがあり、父をあらわされました。

「父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。わたしを見た者は、父を見たのである。」[9]

三位一体の第二位格である、御子なる神イエスを「見る」ことで、私たちは父を見るのです。私たちは、聖書の紙面にイエスを「見」ます。また、イエスが語られた言葉、イエスの教えを聞き、イエスが他の人たちとどう関わられたか、また、イエスが持っておられた愛、恵み、憐れみ、知恵、力、父とひとつであられたことを見ます。イエスは地上に生きた神であり、イエスの中に、私たちは見えない神の、目に見える姿を見るのです。イエスはまだ何も創造されていない内から、父と共に存在しておられました。そして、受肉を通して、私たちは神がどのような方であるかを理解するのです。

神は、私たちと共に地上に生きられた御子の内にご自身を現されました。そしてそれによって、私たちは永遠に続く神との関係を持てるようになりました。救いという無料の贈り物により、私たちは神と顔と顔を合わせてまみえる特権と喜びを得るのです。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。」[10]

神は御子の内にご自身を現され、御子の内に、私たちは父を見ます。私たちが神を見る日がいつか来るでしょう。このすべては、イエスが私たちのために命を犠牲にして下さったおかげで、可能になったのであり、それゆえに、イエスと父は私たちの礼拝にふさわしい方なのです。

神の知識

「神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。」「神は地の果てまで見渡し/天の下、すべてのものを見ておられる。」[11]

聖書には、神の知識は完全であり、神はすべてをご存知だと書かれているので、神は全知であるということになります。神は存在するすべてもの、起こるすべての事をご存知なのです。被造物で、神から隠されているものは何一つありません。[12]

神は、将来、これから起こるすべてのこともご存知です。「わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。」[13]

真実で忠実

しかし主はまことの神である。生きた神であり、永遠の王である。[14]

神の知識と言葉はすべて真実であり、真理の基準です。神がご存知であることや考えなさることは、すべて真実であり、現実に対する正しい認識です。神は世界に対する認識や理解を間違えることが決してなく、神の知識は完全です。[15] 神は常に真理を語られます。偽ることができません。[16] 神は偽ることがないゆえに、信頼できる方であり、常に忠実であられ、約束されたことは常に実行されるので、私たちは神が約束を決して違えることがないと当てにすることができます。

「神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。」[17] 私たちの神は真実で忠実な方なので、私たちは常に神を信頼することができます。神は私たちの崇拝を受けるにふさわしい方です。

神のみ力

神にできないことは何一つない。[18]

神は全能、つまり何でもできる方です。神は聖なる御旨のすべてを為すことがおできになります。神には、ご自分がすると決めたことをするための力があります。

主は全能者と呼ばれています。「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』。」 [19] 全能者として使われているギリシャ語は「パントクラトール」であり、これは、万物を支配する者、すべてのものの支配者という意味です。全能者の力は無限です。神にできることは限りがありません。

神にはできないことは何もありません。神は受肉して処女から生まれ、人類を救うことさえも選ぶことができます。そして、実際にそうされたのです。神の限りない力のおかげで、私たちは救いを受け取ることができました。私たちは常にそのことゆえに神を礼拝すべきなのです。

支え主

すべての生き物の命、/およびすべての人の息は彼の手のうちにある。[20]

神は世界を創造されたばかりか、それを支え、維持されます。すべての被造物の存在と機能は、神に依存しています。「神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、‥‥われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。[21]

聖書は、万物はキリストによって創造され、キリストがすべての被造物を成り立たせていると告げています。キリストが宇宙を支えていらっしゃるのです。[22] 宇宙とそこにあるすべては、今と同じように続いていきます。なぜなら、神が私たちを支える方だからであり、それゆえに神は礼拝するにふさわしい方なのです。

あがない主、救い主

時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。[23]

神は私たちの救い主、あがない主であられます。神の救いのご計画により、それを受けるにふさわしくない私たちは、神の恵みと憐れみを受け取ったのです。「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」[24]

神の愛と恵みと憐れみ、恩寵ゆえに、私たちは神との永遠の関係を持つにいたりました。私たちはあがなわれ、救われ、養子とされて神の子供になったのです。この偉大なる特権への深い感謝と愛によって、私たちは引き続き、み名の栄光を主に帰し、聖なる装いをもって主を拝むべきなのです。[25]

初版は2014年5月 2018年9月に改訂・再版
朗読:ガブリエル・ガルシア・ヴァルディヴィエソ


1 詩篇 145:3. 

2 詩篇 147:5; イザヤ 55:9.

3 ローマ 11:33–34.

4 ヨブ 26:14.

5 1 ヨハネ 5:20.

6 ヨハネ 17:3.

7 ヨハネ 14:23.

8 コロサイ 1:15.

9 ヨハネ 6:45–46; 14:9.

10 1 コリント 13:12.

11 1 ヨハネ 3:20; ヨブ 28:24.[新共同訳]

12 ヘブル 4:13; マタイ 10:29.

13 イザヤ 46:9–10.

14 エレミヤ 10:10.

15 ヨブ 37:16.

16 テトス 1:2.

17 民数記 23:19.

18 ルカ 1:37.[新共同訳]

19 黙示録 1:8.

20 ヨブ 12:10.

21 使徒行伝 17:25, 28.

22 コロサイ 1:16–17; ヘブル 1:3.

23 ガラテヤ 4:4–5.

24 コロサイ 1:13–14.

25 詩篇 29:2.

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