痛みに苦しんでいる人の祈り

6月 15, 2015

A Sufferer’s Prayer
June 15, 2015

マリア・フォンテーン

オーディオ所要時間: 8:58
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これは私が読んだ祈りで、終わることのない痛みに苦しんでいる人が書いたものです。あなたがもう耐えられないと感じている時のための祈りでもあります。また、慰めてあげたい人がいるなら、その人にこの祈りを分け合うこともできます。これは、苦しんでいる仲間がイエスに捧げた祈りなのです。

何よりも、祈りの後には、苦しんでいる人たちへのイエスからのメッセージがあります。主もまた、私たちと同じように苦しんだ仲間だったのであり、今ではいつもそばにいてくださる方でもあります。主は理解しておられます。なぜなら、主も同じ経験をなさったからです。

主よ、私は横たわって天井を見ています。この祈りが屋根裏部屋にさえも届くのだろうかと思いながら。動くたびに痛いのです。心の休まることを考えたいのですが、痛みが襲ってきます。慰めについて歌っている昔の賛美歌を口ずさもうとしても、痛みがメロディーを奪っていきます。木の葉にあたる陽の光、綱渡りのように小枝を渡るリスなど、窓の外にある命のしるしを見ようとするのですが、痛みがカーテンを引いて見えなくします。芝刈り機、互いに名を呼び合っている子どもたち、フライパンで玉ねぎを焼くジュージューという音など、日常生活の音を聞こうとしても、痛みが私の耳を聞こえなくします。

そしてついに、痛みと仲良くなって和解交渉を行い、休戦に持ち込もうとします。愛しいイエスよ、痛みに勝って欲しくはありませんが、もう戦いに疲れ切っているのです。痛みが勝ち札すべてを抑え込んでおり、優勢でいるのです。

主よ、どうか私の思考から邪魔者を取り除き、カーテンを開け、再び耳が聞こえるようにし、交渉の場で私と共にいてください。痛みはまだあるでしょうが、慰めが得られたことになります。イエスよ、お願いします。もう涙も尽きたのです。あなたに捧げられるのは涙だけなのに。愛するイエスよ、私に勇気を授けてください。—ジョン・タフト

*

愛する友よ、わたしがあなたのすぐそばにいることを、どうか知ってほしい。ほんの一秒だって、あなたのそばから離れたことはない。わたしはあなたの祈りをすべて聞いた。あなたが祈る力や信仰のなかった祈りさえもだ。わたしはあなたの涙をすべて見た。そして、あなたが忍んでいる試練のすべてを理解している。

あなたにとって、わたしと慰め主である聖霊とが、いかにあなたを助け、必要としていた恵みを与えてきたかを理解するのは、おそらく難しいことだろう。しかし、わたしたちは本当にそこにいたのだ。どうか信じてほしい。あなたはすでに、自分で思っていたよりもずっとずっと多くを、そして耐えられると思っていた以上のものを、耐え忍ぶことができたのではないか? 自分がそれほど勇ましいとか強いとか思えないのはわかるが、あなたは自分で気づいている以上に、ずっと勇敢にやってきた。

あと一秒だって耐えられないと感じたことも、何度もあった。それでもあなたは奇跡的に、わたしの恵みによって、進み続け、耐え続け、克服し続けた。たとえもう少しも力が残っていないと感じる時でも、それでも最後の力を振り絞り、信仰によってわたしにしがみつく。そして、痛みがやんでほしいと心の底から願い、もう涙も枯れて、なお痛みが続く時でも、それでもあなたはしがみつき、必死になってわたしを信頼しようとする。あなたはなお、もう一日、もう一晩を切り抜けようと、わたしに助けを求める。

痛みから完全に解放されて、もう耐え忍ばなくてもよくなる日を心待ちにしているのは知っている。愛する人、その日は来るよ。わたしの完璧なタイミングの時に。その日を待ち望んで、明るい希望を心の励みとしなさい。わたしも、痛みと悲しみで耐え難かった時に、そうした。 ヘブル書にあるように、わたしが苦しみの道を歩き、十字架刑に耐えることができたのは、わたしの前にある喜びゆえだった。[1]

だから、愛する人、わかってほしい。あなたは決して一人ではない。わたしがいつも一緒にいる。それで痛みが消えるわけではないが、少しは耐えやすくなるよう、わたしは祈ろう。それで助けになるなら、わたしを「同じ痛みを経験した仲間」と考えるといい。わたしは本当に、それを経験したのだから。それがどんなにつらいことか、わたしは知っている。

わたしはあなたと同じ霊の苦しみと、同じ試みにあった。別の方法がないものか、わたしの人生の宿命と使命を、どうにかして他の方法で達成できないものかと祈った。わたしは苦しみ、心の奥底から父に呼ばわった。「もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」 しかし父は、あなたとこの全世界をとても愛していたので、少しの間、わたしに背を向けなければならなかった。[2]

痛みや死や地獄がわたしとの戦いに勝つかのように見えた時でも、最後には、わたしと父が切り札を持っていたのであり、父の恵みにより、わたしの使命は達成され、勝利が勝ち取られた。愛する人、その日はあなたにも訪れる。そしてあなたも自由になり、勝利を収めるのだ。いつまで経ってもそうはならないと思えることもあるだろう。わたしもそうだった。しかし、保証するが、その時は完璧なタイミングで来る。だから、ほかのすべてがうまく行かず、周りで起こっていることに集中しようとしても徒労に終わる時には、全力を尽くしてわたしのことを考え、これから来る喜びを待ち望むようにしてごらん。

それまでの間は、わたしにあって安らぎなさい。わたしのもとに来なさい。休みを与えてあげよう。自分は弱く、十分な信仰がないように感じているね。心配しなくていい。信仰を奮い起こす必要はない。わたしはあなたの心を見るのだから。あなたが信じていることは、わたしもわかっている。少しでも力が残っているなら、わたしの方に手を伸ばしなさい。あとは私がするから。周りのすべてに目を閉じ、耳を閉じなさい。わたしがあなたの心に、慰めと愛の言葉を語ろう。わたしに話しかける力もないと思う時には、ただわたしのことを考えなさい。わたしもあなたのことを考えているから。

わたしが地上で経験した試練はすべて、あなたのためだった。わたしはあなたのために死んだ。あなたを愛しているし、決してあなたのそばから離れることはない。—イエス、預言で語る

*

悲しみは果実。神はその重みに耐えられぬ弱い枝に果実を大きく実らせることはしない。—ヴィクトル・ユーゴー

私たちが、「もう耐えられない」と言うまさにそのとき、イエスはそこにいてこう言う。「わかっているよ。あなたのことを気にかけている。わたしもそれを耐えたんだ。あなたにもできるよ。」—作者不詳

私と共にいてください。たちまちの内に日が暮れます。闇が深まります。主よ、私と共にいてください。他の助けが失敗し、慰めが消え失せるとき、寄る辺のない者をお助けください。ああ、私と共にいてください。—ヘンリー・ライト

状況の嵐は私の魂を脅かしているかもしれないが、イエスは今でも私と共に船に乗っておられる。「静まれ!」との命令はこだまし、それは周りの嵐ばかりか、私の心の不安をもしずめてくれる。—作者不詳

2011年6月初版。2015年6月アンカーに再掲載。朗読:マリア・フォンテーン


1 ヘブル 12:2.

2 マタイ 26:39.

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